一つだけの嘘を親友の貴方に
――これから俺は、一つ、嘘を吐く。
突然俺様の部屋にやってきて、半ば無理矢理雑談を交わしてきた左右田が、何の脈絡もなく唐突にそう言った。
「嘘だと?」
「ああ、嘘だ」
一つだけな、と言って左右田はにこりと笑う。そして――別人にでもなったのかと錯覚してしまう程の無表情になり、俺様の目をじっと見つめた。
「一つだけ、な」
「あ、ああ。解った」
薄ら寒いものを感じつつも、俺様は左右田に返事をした。いや、しなければならない気がしたのだ。
無視をすれば、逃げてしまえば、何か恐ろしいことが起こるような気がして――。
「――あるところに、一人の少年がおりました」
何の前触れもなく、左右田が――御伽噺を語るような口調で――語り出した。俺様はどうすれば良いのか判らず、温和しく聞いていることしか出来ない。
「少年の家は貧しく、父親も母親も共働きで、一人っ子だった少年は、いつも一人でした」
相変わらず左右田は無表情で、何を考えているのか解らない。
「そんな少年でしたが、彼には唯一の楽しみがありました。それは――」
機械を弄る、ことでした――と、左右田はただただ無表情で語った。
機械を、弄る? それは――。
「左右田、その少年は――」
「――少年は、毎日機械を弄っていました」
俺様の声を遮るように、左右田がまた喋り出す。
「そのお陰で少年は機械弄りが得意になり、彼は皆から機械の修理を頼まれるようになりました」
左右田が少しだけ、ほんの少しだけ口角を上げた。
「学校の友達からも色々頼まれ、少年は――とても満足していました」
少年は、自分が必要とされていることが、とても嬉しかったからです――と言って、左右田は俺様の目を改めて見つめた。
左右田の瞳が少し濁っているように見えるのは、果して気のせいなのだろうか。
「ですが――」
そう言って左右田は目を伏せた。
「――少年は、裏切られてしまいました」
左右田はまた、俺様を見る。その瞳は――先程よりも濁って見えた。
「少年は皆よりも賢く、学校の中で一番優秀でした。彼の友達も――親友も、それを知っていました。なので親友は――」
――少年に、カンニングの手伝いを頼んでしまったのです。
そう言った左右田の声は、今まで聞いたこともないくらいに低く、冷たい声だった。
「賢い少年に頼めば、上手くいくと思ったのでしょう。少年も大切な親友の頼みでしたので断れず、親友のため、テストの時に答えを書いた答案用紙を見せてあげました」
ですが、世の中はそう上手くいきません――左右田は目を閉じ、言葉を溜めた。
「――親友と少年の目論見は、ばれてしまいました。そして、こともあろうに親友は――少年に、罪を被せたのです」
左右田は楽しそうに――悲しそうに、微笑んだ。
「そのことに関しては、人の良い少年は怒っていませんでした。ですが――その後のことは、少年にとって苦痛そのものでした。それはまさに――」
ぜ、つ、ぼ、う――と、左右田は唄うように囁いた。
「親友は少年を避け、友人も少年を避け、少年の周りには誰もいなくなりました。そして――何と虐めが始まってしまったのです」
――机の上には花瓶と花。靴隠しは当たり前。
――教科書はびりびりに破られて、トイレに入れば水が降る。
机の中には虫の死骸。鞄を開ければ墨汁が溢れ、そしておまけに――彼の大好きな大好きな機械達が、見るも無惨な鉄屑にされたのです。
畳み掛けるような早口で言い切った左右田は――薄気味悪い笑みを浮かべ、虚空を見つめていた。
「少年は泣きました。元々泣き虫だった彼は、毎日のように泣きました。でも彼は、虐められる辛さで泣いていたのではありません。彼は友人に、親友に見捨てられたことが――裏切られたことが悲しくて、泣いていたのです」
ふ――と、左右田が息を吐いた。
「そんな地獄のような毎日は、少年が高校生になって、皆と離れるまで続きました。そして、高校生になった少年は――自分を変えました。外見を派手にし、軽薄な人間を演じて――過去の自分を殺すことで、過去をなかったことにしたのです」
派手な外見、軽薄な態度。それは――。
「少年の目論見は成功しました。同じように派手で、軽薄な人間が少年に寄ってきたのです。お互いに中身を、心を見せる必要のない、利用し利用されるだけの――ただ、時間を浪費し合うだけの、知り合いが」
そう言って左右田は、小さく溜め息を吐いた。
「――そう、何の実にもなりはしなかった。ただ無駄に、一年という時間を浪費しただけの、無駄な時間だった」
気怠そうに吐き捨て、左右田は頭を掻いて目を伏せる。
「――ですが、少年にも転機が訪れたのです」
先程の気怠そうな態度は一転、今度ははきはきとした様子で語り出した。
「そう、それは一通の――希望ヶ峰学園からの手紙でした。手紙の内容は、学園に入学しないかという――それはそれは素晴らしい、少年にとっては極楽から垂らされた蜘蛛の糸のような――そんな僥倖でした」
左右田は楽しそうに笑い、話を続ける。
「勿論、少年は希望ヶ峰学園へ入学しました。きっとこの、希望に溢れた学園なら、必ず幸せになれる――そう、信じて」
ふと、左右田が俺様に微笑んだ――ような気がした。
「実際に少年は、とても幸せになりました。良き級友に恵まれ、少し変わった親友まで出来ました。学年が上がると、それはそれは可愛い、愛すべき後輩達まで出来たのです」
ですが――と、左右田はまた無表情を貼り付け、目を伏せた。
「少年は、そんな幸せ過ぎる毎日が、とても怖かったのです。いつまた壊れてしまうのか、壊されてしまうのか――裏切られてしまうのかが――とても怖かったのです」
暫時、静寂が部屋を包んだ。
かちかちという時計の音がやけに五月蠅く感じる。
何か言うべきかと思い、俺様が口を開いた――その瞬間、左右田は再び話し始めた。
「少年は、過去を殺せば良いと思いました」
さっきまでの語り口とは違う、まるで――左右田自身の言葉のような、そんな口調だった。
「高校生になった時のように。自分を殺したあの時のように――過去を殺せば、なかったことにすれば――この幸せを享受することが出来ると、裏切られる恐怖から解放されると思ったのです。だから――」
――殺しました。
無表情のまま、左右田ははっきりとした声で呟いた。
「過去の友人を、過去の親友を――確実に、一人ずつ、全員――殺しました」
そう言った左右田の顔は、晴々としていて、けれども何処か薄暗い――達成感と幸福感に満たされた、そんな笑みを浮かべていた。
「――左右田、よ」
何か言わなければならないと思った俺様は、左右田の名前を呼んだ。
少し黙っていただけで、こんなに声は出にくくなるものなのか――と思ってしまうくらい、俺様の声は掠れに掠れていた。
聞くのが怖い。今の話は、少年は――左右田、お前なのかと聞くのが。
だけど、聞かなくては。聞かなくては――俺様は――。
「今の、話は――」
「――何てな」
――は?
「あっ、もしかして俺の話だと思った? ははっ、残念でしたぁっ! ぜぇんぶ作り、ば、な、し」
あんなの信じちまうなんて、ハムスターちゃんってば結構単純だな――と言って、左右田はげらげらと笑い出した。
は? えっ――はあっ?
「――き、貴様ぁっ! こ、この俺様を謀ったなぁっ!」
「ぎゃははははっ! ころっと騙されてやんの! ああ、面白っ!」
「悪趣味にも程があるわぁっ! このっ、このぉっ!」
「痛っ! あ、んっ、いやちょっ、痛いって! 関節技はやめ――ぎゃあああああっ!」
先程の陰鬱な空気を掻き消すように、左右田の滑稽な絶叫が部屋中に響き渡った。
――――
全く、昨日は散々な目に遭った。左右田の馬鹿に騙されるなんて、情けなくて涙が出そうだ。
現在、学園の食堂にて朝食を取っている俺様は、昨日の出来事を思い出し――憂さ晴らしにトーストをがぶりと噛み千切った。
「あら、田中さん。豪快な食べ方ですね」
そう言いながら俺様に寄ってきたのは、同級生のソニアだった。彼女も今から朝食らしく、持っているトレイにはトーストやサラダ、スープなどが乗せられている。
「隣、宜しいですか?」
「ああ」
ソニアを拒絶する理由がない俺様は、その申し出を許可した。
ソニアが俺様の隣の席に座る。
「何だか田中さん、ご機嫌が斜め四十五度ですね」
「ちょっと、な」
左右田に騙されました――なんて恥ずかしいことを言える筈もなく。俺様は触れないでオーラを出しながら、トーストをまた齧る。
「ふむ――なら、そんなご機嫌斜めな田中さんに面白い話をして差し上げましょう!」
あのですね――と、ソニアは目を輝かせながら勝手に話し始めた。
「最近この辺りで、謎の連続殺人が起こっているのです」
「殺人?」
何処か面白いのだ――と思ったが、殺人鬼が大好きな彼女にとっては面白いのだろう。俺様は面白くないが。
「それでですね――その被害者は皆、私達と同じ歳の方達ばかりなのです」
――俺様達と、同じ歳?
たらりと、嫌な汗が背中を伝う。
「そしてその犯人は、何の証拠も残さず、確実に一人ずつ殺しているのです」
――確実に、一人ずつ。
そのフレーズが、頭の中で何度も何度も繰り返される。手に持っていた筈のトーストが、いつの間にか皿に落ちていた。指が、震えている。
「凄いですよね、証拠を残さないなんて! あ、でも、被害者さん達には共通点がありまして――」
皆、同じ中学校出身だったそうなのです――と、ソニアが言った。
口の中がからからに渇き、身体の震えが止まらない。背中に氷柱でも突っ込まれたかのように、全身が寒い。
「きっと其処に何か手掛かりが――た、田中さん? 大丈夫ですか?」
俺様の異常に気付いたのか、ソニアが心配そうにしながら俺様の背中を撫で擦ってきた。だけど今の俺様には、そんな労りを感謝する余裕もなく――。
「体調が悪いようでしたら保健室に――」
「――ソニア」
行きましょう――と言ったソニアの言葉に被せるように、俺様はソニアの名を呼んだ。
「どうしました?」
ソニアが心配そうに俺様を見つめ返してくる。
ああ、聞くのが怖い。でも、聞かなくては、俺様は――。
「ソニア、先程の話は――本当か?」
必死に絞り出したか細い声でソニアに尋ねれば、彼女は――。
「勿の論です!」
――とても楽しそうに、俺様にとって残酷な肯定をした。
左右田の言葉を思い出す。
これから俺は、一つ、嘘を吐く。
一つだけな。
一つだけ、な。
何度も念押しに言っていた、あの言葉。
一つだけ。
一体それは――どれのことを指していたのだろうか。
裏切られたこと?
虐められたこと?
人を殺したこと?
それとも――。
「――ソニアさん」
その声に、俺様の身体は面白いくらいに跳ね上がった。声のした方を見る。其処には――。
「左右田さん、おはようございます」
「おはようございます」
――いつもと変わらない、左右田和一が居た。
いつもと変わらない、派手な外見と軽薄な態度。
そう、いつもと変わらない――。
「――おはよう」
ハムスターちゃん――と言って俺様の目を見つめる、いつもと変わらない左右田の躑躅色の瞳は――どす黒い狂気で、濁っていた。
ああ――。
いつもと変わらない日常は、いつから壊れてしまったのだろうか。
判らない。俺様には、判らない。
左右田が、ソニアではなく俺様の隣に座る。
そして、ソニアには聞こえない声量で――。
「一つだけと、言ったでしょう?」
私の大事な、少し変わった親友さん――と。俺様の耳に、吐き気を催すくらい甘ったるい声で、左右田がそっと囁いた。
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