アポ、襲来
俺はとある牧場を経営している普通の人間だ。人間だと言ったら人間だ、冒涜的生物じゃない。
だが、飼っている生物は冒涜的だったりする。
世間一般では「冒涜的羊」などと呼ばれて恐れられている、名状し難い冒涜的なもふもふの権化だ。
そのもふもふ具合から体毛は様々な用途に使われるが、飼育がとても難しく誰も飼いたがらないので、かなり高額で取引される。御陰で俺の懐はとても温かい。
しかし馬鹿羊との熾烈な闘いによって怪我をするので、治療代で半分消し飛ぶ。正直、割に合わない。
だがあんな馬鹿羊でも可愛いところはあるし、彼奴も俺のことを少しは気に入っているみたいなので、まぁ我慢している。懐いてなかったら即処分だぞ。
とまぁ、そんな馬鹿羊と愉快な羊達が住まう素敵で冒涜的な牧場に、新しい仲間が今日やって来る。名前はアポパカ。名状し難い冒涜的もふもふだ。
アポパカはアルパカのような身体にデフォルト化した人間の顔を持つ冒涜的羊の亜種である。
本来のアルパカはラクダ科・ラクダ亜科・リャマ族・ビクーニャ属で、羊はウシ科・ヤギ亜科・ヒツジ属という全く違う生物なのだが――冒涜的羊とアポパカの違いは首の長さくらいで、殆ど同じ生物なのだ。
冒涜的羊は冒涜的動物界、凝固動物門、哺乳網、冒涜的ヒツジ目、冒涜的ヒツジ科、冒涜的ヒツジ属という名状し難い分類の生物である。冒涜的と付くヒツジ目やらヒツジ科があるという時点でもう色々凄まじい。
アポパカは界、門、網、目、科までは冒涜的羊と同じのアポパカ属だ。本当に首の長さくらいの違いしかない。あと顔。
因みに性格は阿呆で馬鹿。鳴き声は「アポ」で、首の長さを活かした攻撃を得意とする。正に冒涜的である。
「おーい、アポパカ連れてきたよーっ」
噂をすれば何とやら、冒涜的保健所の人がやってきた。笑えるくらいに険しい山を登ってきた所為か、凄く顔色が悪い。と思ったら喰屍鬼の人だった。顔色は元々っぽいな。
「態々すみませんね、こんな山奥に」
「いえいえー、仕事ですしーっ。それに引き取り手の無い子を引き取って貰えるのはー、こっちも有り難いですからねーっ」
「いやいや本当、ありがとうございます」
「はいーっ。ほらー、挨拶しなーっ」
保健所の人が自分の後ろに隠れていたアポパカを俺の目の前に引き摺り出した。アポパカは首が長い分、冒涜的羊より身体が大きく、鶏冠みたいな橙色の髪をしていて、何故か髭があった。初めて実物を見たが、結構愛嬌のある面だな。
「アポ」
アポパカが鳴いた。本当にアポって言うんだな。
「よしよし良い子良い子ーっ。じゃあ宜しくお願いしますねーっ」
一頻りアポパカを撫でくり回すと、保健所の人は颯爽と走り出し、崖から飛び降りた。そりゃあ其処から下りれば早いけど、躊躇い無さ過ぎだろ。跳躍と登攀持ちか? まぁ人間じゃないっぽいし大丈夫か。
万が一のことを考えて俺は崖に手を合わせ、アポパカに向き直った。
「扨、行くぞ」
「アポ」
アポパカがこくりと頷いたのを確認してから、俺は奴等が居る冒涜的牧場へと向かった。アポパカもてちてちと歩いて付いて来ている。素直で可愛いなおい。
「もうすぐ仲間に会えるからな」
「アポォッ」
何を考えているか判らん面だが、多分喜んでるんだろう。多分。
そうこう歩いて早五分。奴等の住まう冒涜的牧場に辿り着いた。丁度もふもふタイムだったのか、奴等は一ヶ所に固まってもふもふしている。くっそ混ざりてぇ。
「おい羊共、新しい仲間が来たぞ」
もふもふしたい気持ちを抑えて話し掛けると、奴等は一斉に此方を見遣り、おおぉぉ――と歓声を上げて此方へやってきた。
「素晴ラシイヨ! 希望ヲ感ジルヨォ」
流石ヒツジエダ、第一声から希望云々だな。
「フッ、ナカナカノ魔力ヲ宿シテイルヨウダガ――俺様程デハナイナ」
言い方は偉そうだが、どうやらタヒツジはアポパカを歓迎しているようだ。相変わらず判り難い物言いだ。
「宜シク、アポパカ!」
ヒツジナタが元気良く挨拶をした。ソウヒツジが絡まなければまともなんだよな、ヒツジナタ。
扨、最後は彼奴かなと思って待っていたが、彼奴――ソウヒツジは沈黙した儘アポパカを凝視している。何なんだ、眼付け?
「おい、挨拶」
おい無視か。
「おい、馬鹿羊」
更に無視かい。いつもなら「馬鹿羊、違ウ、ソウヒツジ」とか言ってくるのに。
「どうしたんだよソウヒツジ」
三回目の呼び掛けで漸くソウヒツジが此方を見た。奴はアポパカを一瞥し、小首を傾げて口を開いた。
「餌?」
違うわ馬鹿。
「仲間って言っただろうが、馬鹿なの死ぬの?」
「馬鹿、違ウ、ソウヒツジ」
「うっせぇ馬鹿。つうかさっき牛丸々一頭食っただろ、まだ足りんのか」
「足リン」
「この大食らいが!」
お前の食費だけでどれだけ金が飛んでいると思ってんだ。病死した家畜の死骸を買い取っているから一頭辺りの金額は安いものだが、毎日々々一頭食われたらかなりの額になるんだぞ。そこんところ判ってんのか、この馬鹿は。
俺がソウヒツジの暴食っぷりに苛立っていると、アポパカがてちてちとソウヒツジに歩み寄っていった。
拙い、食われる。
「おいアポパカ、やめろ! 食われるぞ!」
慌てて引き止めるも、アポパカはソウヒツジの眼前に立ち開かった。じっとソウヒツジを見詰めている。ソウヒツジもまたアポパカを見詰め返している。
何だか不穏な空気が漂っている気がする。他の奴等も察したのか、おろおろと狼狽えながらソウヒツジとアポパカを交互に見遣っている。
やばいな。何とか此奴等を引き離さないと。
「アポパカ、ちょっと向こうで――」
遊ばないか――そう言い切る前にアポパカの首が鞭のように撓り、目にも止まらぬ速さでソウヒツジの顔面にフルスイングを食らわせた。
「ゴッ、ガァアアアアッ!」
轟! という打撃音と共に、世界の終わりを告げる喇叭のような声を上げながらソウヒツジが吹き飛んでいく。
10m宙を飛び、バウンドして更に10m飛んだ。合計20m飛んだソウヒツジは地面に墜落し、10mくらい地面をごろごろと転がって漸くその動きを止める。
おい? 合計30mも吹っ飛んでいきましたよ? 野球のボールみたいに飛んだぞ彼奴。大丈夫か?
あまりにも超展開過ぎてどうすれば良いのか判らずに立ち尽くしていると、ソウヒツジがむくりと立ち上がり、ぶるぶると身体を震わせて毛に絡んだ土汚れや草を振り払った。
忙しなく首を左右に傾げ、ソウヒツジが此方を注視する。正確にはアポパカを。アポパカもソウヒツジを見ている。何だよもう、やめてよ喧嘩とか。血で血を洗う闘いとか嫌よ俺。
ちらりと他の羊を見るが、タヒツジはがくがくぶるぶる震えているし、ヒツジエダは涎を垂らしながらわくわくしているし、ヒツジナタはアポパカに突進して――突進?
「ソウヒツジ、虐メル、許サナイ!」
ヒツジナタが雄叫びを上げながら、勇猛果敢にアポパカへ突進していく。しかしアポパカは動じない。何故ならアポパカは既にフルスイングの体勢に入っていたからである。
「――ゴッ、ガァアアアアッ!」
アポパカの放った一撃により、ヒツジナタはホームランボールになった。
本格的にやばい。被害が増えていく。だから保健所行きになったのか此奴! 畜生っ、ちゃんと素行聞いてから引き取るか否か決めりゃ良かった!
後悔で頭を抱えていると、突然ソウヒツジが此方へ――アポパカに向かって勢い良く突進してきた。アポパカは動かない。逃げようともせず、ただじっと佇んでいる。
「避けろナッパ! いやアポパカ! 彼奴はガチだぞ、お前喰い殺されるぞ!」
巻き込まれたくはない俺はアポパカから距離を取りつつ忠告した。
あ? 俺が屑? おいおい、自分の命が一番に決まってんだろ馬鹿が。
そうこうしてる間にソウヒツジがアポパカの身体に頭突きを食らわせた。鋼鉄よりも硬いあの頭で。これは逝ったな。
「アッ、ポォオオオオッ!」
珍妙な絶叫を上げながらアポパカが吹っ飛んでいった。
10mくらい――もうこの説明要らないか。兎に角アポパカは吹っ飛んで地面を転がった。そしてソウヒツジがアポパカに走り寄る。追撃か、追撃する気か此奴。容赦ねぇな。
非情で冷徹なソウヒツジの行動を見守っていると、アポパカがすくっと立ち上がって首を思い切り撓らせた。ソウヒツジを迎え撃つつもりだ。打つつもりだ此奴。
だがソウヒツジは止まらない。打たれることを判っている筈なのに、彼は止まることをしなかった。その様は正に、死を覚悟して特攻していく兵士のようだった。俺は思わず敬礼した。
アポパカの迎撃範囲にソウヒツジが入る。骨無いのかと思うくらい首をぐにゃりと曲げ、思い切り振りかぶり――空高くソウヒツジを打ち上げた。
「ホォォムラァァァンッ」
打たれた本人――いや、本羊が何言ってんだ馬鹿羊。
ソウヒツジは30mくらい空中を舞い、くるくると回転しながら華麗に着地した。んん、95点。
「オォ、凄イ凄イ」
首を左右に振りながら、今度は走らずてっちてっちと歩いて戻ってきた。あんだけ吹っ飛ばされて大丈夫なのかよ、やっぱり冒涜的だわ。
「アホバカ、気ニ入ッタ。仲間、仲間。今後トモ宜シク」
あんだけ打たれて気に入るとかドMか此奴。つうかアホバカじゃなくてアポパカだ阿呆馬鹿羊。
「アポォッ! アッポォッ!」
「アポパカ? ソウカ、スマン」
通じ合った、だと? 正直アポォッとしか聞こえなかったんだけど。まぁ広義的には同じ冒涜的羊な訳だし、言いたいことが判るんだな。うん。
「アホバカ、俺、牧場案内」
ソウヒツジがてっちてっちと歩いてアポパカを先導する。先導するのは良いけど、また名前間違えてんぞ馬鹿羊。
「アッポォオオオオオオオオオッ!」
多分怒りの雄叫びなんだろうな。アポパカは首を思い切り振り回し、ソウヒツジにフルスイングをぶちかました。
さっきよりもよく飛んでいる。飛び過ぎて断崖絶壁から落ちていった。まぁ彼奴なら大丈夫だろ、多分。
「ア、新記録」
「ソウヒツジィイイイヤァアアアアァァァァァァ」
「何デ僕マデェェェイヤァァァッ」
タヒツジがぼそりと呟いたと同時に、ヒツジナタがヒツジエダを道連れにソウヒツジの後追い自殺を敢行した。死ぬ気かあのアンテナ馬鹿。まぁあんなくらいじゃ死なないけど。
あぁあ、これから賑やかになるなぁ牧場。すっげぇ頭痛いわ。胃も痛いわ。幸先悪過ぎ。冒涜的だわ畜生。
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