ギャップ萌えの魔力

 

 左右田和一は怒りに燃えていた。
 深淵の底から湧き上がってくるような、弱火でじっくりことこと煮込んだシチューのような、静かで熱くて粘っこい怒りに燃えながら、学園内の廊下を威圧感丸出しで歩いていた。




 左右田は比較的温厚な方である、臆病とも言うが。喧嘩っ早い訳でもないし、其処まで沸点も低くない。
 では何故そんな彼が憤怒しているのかと言うと、それはとある男の所為である。
 その男の名は石丸清多夏。左右田より一年学年下の、超高校級の風紀委員という肩書きを持つ糞真面目な熱血漢だ。風紀を乱すものには容赦無く、規律と秩序を守る為に全力で立ち向かう――という無駄に熱い男である。
 そんな男に何故左右田が怒っているのか。事の発端は左右田の容姿にあった。
 躑躅色の派手な瞳と髪。両耳に付けられたピアス。極め付けは着替えが面倒だからと制服を着ずに派手な黄色いつなぎ服を着ての登校。これらの横暴が石丸に火を付けたのである。
 因みに超高校級の軽音楽部や超高校級の暴走族もなかなか派手な容姿をしているが、彼等はお咎め無しである。超高校級の特色を表した容姿を否定することを、石丸は良しとしなかったのだ。
 だがしかし左右田は違う。左右田は超高校級のメカニック、別に派手な容姿になる必要も無い。寧ろ派手な容姿である必要が一切無い。だからこそ石丸に目を付けられたのである。
 左右田は本来糞真面目ながり勉君であった。しかし昔色々と酷い目に遭い、もう傷付かなくて済むように「軽薄で派手な左右田和一」を作り上げ、それを演じてきたのである。
 石丸がこの希望ヶ峰学園に来るまでの一年間、左右田はそんな自分を演じて生きてきたのだ。今更そんな自分をぽっと出の人間に否定されても困るし、何より腹立たしい。
 第一に愛着もあり、もうこれが自分なのだと思える域にまで達していたのだ。今更昔の自分に戻るなど――そう思って左右田は石丸のことを無視していた。
 しかし今日、左右田は無視出来ない発言を石丸に浴びせられたのである。


 ――そのような軽薄な恰好では、信用性に欠けますよ。


 その言葉が、左右田の心に仄暗い怒りの火を灯したのである。
 信頼、信用。その言葉は左右田の大嫌いな言葉だった。信じれば裏切られる。だから信じたくない、信じられたくない。
 そんな思いで今の自分を作り上げた彼にとって、石丸の発言は核爆弾に等しい破壊力を持った言刃だったのである。
 許せない。絶対に許せない――怒りに燃えた左右田から発せられる気迫は凄まじく、擦れ違う人々が小さな悲鳴を上げて退く程であった。
 しかし左右田はそんなことに気付くことなく、自身の寮部屋まで威圧感全開で歩き続け、そのまま部屋の中へ姿を消した。
 左右田の手にはビニール袋が握られており、中に入っている物体ががさがさと音を立てながら揺れ動いている。左右田はその物体を袋から取り出し、風呂場へと直行した。


 ――そんなに「俺」が駄目なら、「僕」に戻ってやろうじゃねぇか。


 左右田和一は完全に怒りで我を忘れていた。




――――




 がやがやと騒がしい朝の教室には既に何人かの生徒が居り、下らない雑談で盛り上がっている。何処にでもある光景であり、希望ヶ峰学園ならではの光景であった。
 そんな教室に一人の男が扉を開けて入ってきた。お手本のようにきっちり制服を着込んだ男が、レンズが少し厚めの黒縁眼鏡を光らせ、肩に掛かるくらいの黒髪を棚引かせながら颯爽と入ってきたのである。
 教室内に居た生徒達はその男が誰なのか、一瞬判らなかった。だが暫くして理解する。その男が迷い無く席に――左右田和一の席に荷物を置いたことによって。
 左右田の豹変振りに絶句する同級生達を余所に、左右田は前髪が少し掛かった眼鏡のフロントをくいと指で押し上げ――。

「皆さん、おはようございます」

 にこりと爽やかな笑顔を皆に振り撒いた。

「――か、和一ちゃんが壊れたぁああああああああっ!」
「そ、左右田、まさかお前、ヤクでもやったのか?」
「おにぃが壊れたぁああああああああ! いやぁああああああああっ!」
「ふぇえぇぇっ! 左右田さんが精神的な病気にぃいいいいいいいいっ!」
「左右田さんの新たな人格爆誕ですか! むっはーっ! ジャパニーズ漫画的展開きたこれ!」
「ち、ちょっと――そ、左右田? アンタどうしたのよ。頭でも打ったの?」

 阿鼻叫喚地獄と化した教室内で、何とか理性を保つことが出来た小泉真昼は、疑問符を付けてしまいながらも恐る恐る左右田に話し掛けた。

「どうもしませんよ。いつも通り、僕は元気ですから」

 左右田は笑顔を崩すことなくそう答えてから着席した。鞄から荷物を取り出して参考書とノートを机の上に並べ、流麗な字をノートに書き連ねる。普段の左右田からは想像も出来ない行動に、小泉真昼は絶句し固まった。

「ねぇ、どうしたの左右田君。何だかいつもとは違う希望が満ち溢れているよ!」

 如何なる状況にあろうとも通常運行な希望中毒者の狛枝凪斗が、息を荒げながら左右田に躙り寄る。普段の左右田なら泣き叫んで逃げる筈――なのだが、今の左右田は黒曜石のような瞳で狛枝を見詰め、困ったように微笑むだけだった。
 その儚さと愁いを孕んだ瞳と微笑に当てられた狛枝は、心臓を握り潰されたかのような錯覚に陥り、んうぅぅ――と唸りながら床に膝を突いて蹲った。頬は紅潮し、少々過呼吸に成りかけている。

「や、やばい。左右田君やばい。希望が溢れ過ぎてやばい。僕死んじゃう、まじで死ぬ」
「お、おお落ち着け狛枝! 今の左右田に近付くな! 奴は秘められし魔力を全開にしている! 本当に死ぬぞ!」

 田中眼蛇夢は死にかけている狛枝を引き摺って左右田から引き離し、安全圏に狛枝を置いてからずかずかと左右田に歩み寄った。そして腕を組み、高圧的に左右田を見下す。

「貴様、一体何が目的だ?」

 圧倒的威圧感を漂わせる田中に対し、左右田は笑顔を崩すことなく口を開いた。

「目的ですか? そうですね――石丸清多夏君に一泡吹かせる為ですよ」

 左右田は無邪気な笑みを湛えながら邪気に満ちた目的を吐いた。堂々と宣うその様は清々しささえ感じられ、嫌悪感すら抱けない。

「毎日々々しつこく容姿について言われましたから、言う通りにしてみたんですよ。ふふっ。あまりの変貌振りに驚いて、泡でも吹いて倒れてしまえば良いんです」

 にこにこと笑いながら猛毒を垂れ流す左右田に、田中は少しだけ安心した。豹変した理由がちゃんと存在したからである。
 理由も無くこんなことになった訳ではないのだと。
 他の同級生達も同じことを思ったのか、段々と落ち着きを取り戻している。

「そ、そうか。では奴に一泡吹かせることが出来れば――」
「勿論、元に戻りますよ」

 田中の問いにぐっと親指を立てながら答えた左右田は、教室の時計をじっと見詰めた。

「あと十秒。九、八、七、六――」

 左右田が何かのカウントダウンを始め、カウントが零になった時――。

「おはようございます先輩方!」

 左右田をこんな有り様にした元凶、石丸清多夏が現れた。毎日彼は決まった時間にこの教室へやって来るのである。
 何をしに来るのかと言うと、勿論風紀委員としての努め――容姿や服装のチェックだ。主に左右田の。ある意味ストーカーである。
 石丸はきょろきょろと教室を見渡し、ん? と唸って首を傾げた。

「左右田先輩はまだ来ていないのですか?」

 石丸が近くに居た西園寺日寄子に尋ねると、西園寺は引き攣った笑みを顔に貼り付け、とある人物を指差した。石丸が差された方向を見る。果して其処には、正に好青年と称すべき程に爽やかな青年が席に着いていた。
 石丸は首を傾げる。はて、彼処は左右田先輩の席ではなかったか? 疑問に思いながら石丸は青年に歩み寄った。石丸の到着を待っていた青年――左右田は石丸に向かって渾身の微笑を浮かべる。

「おはよう石丸君」

 左右田が和やかに宣うと、石丸も漸く目の前の好青年が左右田であることに気付き、んなっ――と判り易いくらいに狼狽した。そんな石丸を見て、左右田は胸の空くような思いになる。
 驚いただろう。違和感を覚えただろう。矢張り今まで通りの方が良いと思っただろう。さぁ泡でも吹いて倒れるか、今すぐ謝るかすれば良い――。

「素晴らしいっ!」

 などと考えていた左右田に、石丸が感激の涙を流しながら抱き付いた。突然のことに左右田は全く反応出来ず、されるが儘になっている。

「素晴らしいっ、素敵です左右田先輩! 正に僕の理想です!」

 石丸はそう言いながら身体を離し、左右田の両手をぎゅっと握り締めた。握り締めたまま、彼は真剣な面持ちで左右田の瞳をじっと見詰める。何故か目を逸らす気になれず、左右田も石丸を見詰め返した。

「矢張り僕の目に狂いは無かった。左右田先輩は容姿を整えれば素敵な男性になると、僕は信じていました」
「す、素敵?」

 左右田が思わず聞き返すと、石丸は頬を紅潮させながら力強く首肯する。

「はい。一目見た時から、僕は貴方のことを想っていました」

 不穏な発言と熱の籠もった石丸の眼差しに当てられ、左右田の胸がどきりと跳ねた。
 今まで左右田は、この姿で「素敵」などと言われたことがなかった。「根暗」だの「がり勉」だの「真面目君」だの言われ、馬鹿にされてきたことしかなかったのだ。
 本当は勉強の出来ない馬鹿共の僻みでしかないのだが、そんなことを左右田が判る筈もなく、左右田はその悪態を真に受けていたのである。それが遠因で、素とは真逆の軽薄で派手な人間を演じるようになった節もあったくらいだ。
 だからこそ衝撃的だった。この姿を――自分の素を見て「素敵」だと言われたことが。そして同時に歓喜に打ち震えた。自分を見てくれる人間が居ることに。
 左右田はすっかり石丸への怒りを忘れ、並々ならぬ好意を抱いてしまっていた。色々と心配になるくらいちょろ過ぎである。

「あの、石丸君。もし良ければ放課後、一緒に勉強しない?」

 ころっと堕ちた左右田がはにかみながら遠慮がちに尋ねると、石丸は目を輝かせながら、勿論です――と答えた。

「では、また放課後に」

 名残惜しそうに左右田の手を離した石丸は、静かに教室を後にした。左右田は去り行く石丸の背中をじっと見詰め、寂しそうに目を細めて見送る。
 そんな二人の姿はまるで人目を忍んで逢い引きをする男女のようであったと、狛枝凪斗は後に語ったとか語らなかったとか。

「そ、左右田?」

 妙な空気に晒されて黙り込んでいた田中が恐る恐る口を開く。田中の言いたいことが判ったのか、左右田は申し訳なさそうに――だが嬉しそうに微笑んでみせた。

「すみません田中君、やっぱりこのままで居ます」
「おい」
「ち、ちょっと! そのキャラこれからも突き通すつもりなの? いきなりそんなキャラになられても困るわ!」
「すみません小泉さん、慣れてください」

 柔らかく儚げな微笑を湛える左右田を直視した小泉は、顔を真っ赤にしながら自身の胸をぎゅっと押さえて蹲った。

「や、やばい。今の左右田やばい。ギャップやばい、眩しい。心臓爆発しそう」
「お、おねぇしっかりして! おねぇっ!」
「き、貴様ァッ! これ以上俺様達を惑わせるな!」

 西園寺が小泉を正気に戻そうと呼び掛ける中、田中が歯を剥き出しにして左右田に怒鳴り付ける。しかし左右田は怯えることもなく田中を真っ直ぐ見詰め、少し悲しげに笑いながら小首を傾げた。

「今の僕は、そんなに嫌ですか?」

 そんな表情で、そんな寂しそうに言われて「はい嫌です」などと言える人間が居る筈もなく――。

「そんなことないです!」

 田中はそう言うことしか出来なかった。
 ぎちぎちと心臓が締め上げるような錯覚に溺れながら、これから毎日左右田の魔力に皆が狂わされるのだろうな――と痛感するも、もうどうしようもないんだろうなと早々に諦め、田中は床に膝を突いて蹲った。

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