藪を突いて蛇を出す

 

 田中眼蛇夢は人間である。彼は少々厨二病を発症してしまっているだけの、こよなく動物を愛する超高校級の飼育委員の肩書きを持つ、極々普通の人間である。
 そんな彼の目の前には、大柄な人間の男すらも容易く呑み込んでしまえる程に巨大な蛇が、蜷局を巻いて粛々と其処に鎮座していた。
 その蛇は堅牢な漆黒の鱗を鈍く光らせ、先端が二股になった細長く血が滴ったように赤い舌をちらつかせながら、見詰められただけで身が竦む暗黒の瞳を田中に向けている。正に蛇に睨まれた蛙、いや眼蛇夢。蛇を喰らう蛇は実在するので、何の違和感もない。
 しかしながらこの大蛇、別に田中を喰らおうとしている訳ではない。いや寧ろ――。

「――なあ田中ぁっ、早く本性出せよ! 魔物同士、仲良くしようぜ!」

 田中に対し、驚く程に友好的なのであった。




――――




 遡ること数時間前――正確には十一時間前。田中とこの蛇は超高校級として希望ヶ峰学園に入学し、無駄に仰々しい入学式を終えた後、同じ教室に入って決められた自身の席に座り、教師が来るまで机に片肘を突いて待機していた。
 蛇が入学? 蛇に肘? そう疑問に思った方も居るだろう。しかしそれについては問題ない。何故ならその蛇――左右田和一は人間の姿に化けていたからである。誰も彼を人外などと疑う者など居ない。それ程までに完璧な人間の姿だったのだ。
 左右田自身もそう思っていた。誰も自分の正体など判るまいと。しかし――。

「――貴様、只の人間ではないな?」

 左右田の後ろの席――男女別のあいうえお順で座っていた左右田の後ろに居た田中が、小さな声で呟いたのである。
 まさか自分の正体がばれた? いやいやそんな筈がない。自分はこんなにも完璧に人間に化けているではないか。きっと聞き間違いか、他の誰かに向けた言葉だろう。そう考えた左右田だったが――。

「ほう、俺様を無視するのか? 左右田和一」

 名指しで言われてしまってはどうしようもなかった。先程の発言は自分に向けられたものだと認めざるを得ない。
 どうする。どうすれば良い。無視するべきか? いやいやそれは危ない。自分の正体を知る人間を放置するのは危険だ。
 ならば――することは一つである。
 左右田は平穏な生活を望んでいた。魔界での寂寞に満ちた物悲しい生活に疲れ果てた彼は、平穏な生活を送る為に平和な人間界にやってきたのである。穏やかに日々を過ごす為には、正体を人間に知られてはならない。
 人間は自分と違う存在を嫌悪し、拒絶する生き物だ。正体がばれれば忌諱され、迫害を受ける。孤独を噛み締めて生きるのでは、魔界での生活と何も変わらない。それだけは絶対に避けたいのだ。
 その為なら彼は、人間一人くらい消すことも辞さない。正に魔物、人でなしである。
 さぁどうやってこの男を消すか――などと考えながら左右田は後ろへ振り向く。そんな左右田を見て田中は腕を組みながらにやりと笑い、再び口を開いた。

「人類史上最大の悪夢にして制圧せし氷の覇王である田中眼蛇夢を相手に、正体を隠すことなど不可能だぞ」

 その言葉を聞いて左右田は衝撃を受けた。
 まさかそんな、そんな――自分と同じ魔物が人間界に居たなんて!
 制圧せし氷の覇王という肩書きにも田中眼蛇夢という名にも聞き覚えはないが、如何せん魔界に居た頃は友人が一人も居らず、外界からの情報を遮断して引き隠っていたので、恐らく自分が知らないだけなのだろう。
 何せ覇王というくらいだ。自分が知らないだけで、魔界では有名な高位の魔物なのだろう。人類史上最大の悪夢というくらいだ、力もそれはそれは凄いのだろう。
 そんな凄い覇王にこんなところで出会うなんて、これはもう運命に違いない! 自分はこの覇王と――友達になる運命なのだ!
 などと左右田は若干御花畑な思考を巡らせながら田中の肩をがしっと掴み、目を輝かせてずいと身を寄せる。いきなり肩を掴まれた挙句に接近された田中は、小さな悲鳴を上げて仰け反った。
 田中の眼前には爛々と光る躑躅色の双眸があり、その瞳は己をじっと捉えている。その眼を見た時、田中は背筋が凍るような寒気を感じた。まるで自身が蛇に睨まれている蛙にでもなったかのような気がして畏縮したのである。
 そんな田中の様子に気付くことなく左右田は口角を吊り上げ、人のものとは思えない鋭利な牙を口から覗かせた。
 田中は思った。俺は此奴に喰われる――と。超高校級の飼育委員として動物を相手にしてきただけあり、田中は常人よりも危険を察知する能力に長けていたのである。
 まぁ左右田はただ笑っただけなのだが。

「田中、だっけ。あのさ――」

 田中は殺気とはまた違う、だが不穏な気配を左右田から感じた。気を抜くと喰われてしまいそうな、逃れたくても逃れられない嫌な空気を。端的に云うなら嫌な予感というやつである。
 そしてその予感は大正解であった。

「――放課後にお前の部屋に行って良い? 良いよな? な? お前も学園の寮暮らしだろ? 違うならお前の家に行って良い? 良いよな? な?」

 左右田は田中の目を見詰めながら、有無を言わさぬ質問という名の暴力を浴びせた。田中を凝視する左右田の瞳は、興奮からか瞳孔が開いている。
 これは下手に刺激してはならない、逆らってはいけない――そう痛感した田中は震える身体に鞭を打ち、こくりと小さく頷いたのだった。




 そして田中の寮部屋に突撃した左右田が自らの変身を解き――冒頭に戻る。

「なぁ、何で勿体振ってんだよ。早く真の姿を見せてくれよっ」

 わくわくという擬音が聞こえてきそうな程に楽しそうな左右田は、尻尾を力強く左右に振って身体を揺らす。その時、棚の上に置いてあった本が尻尾の先に当たって吹き飛び、頁を撒き散らしながら壁に叩き付けられて床に落ちた。
 嗚呼、あれはきっと未来の自分の姿なんだろうな――などと思いながら、田中は心の中で涙を流した。
 どうしてこうなったのだろう。自分はただ、ちょっと厨二病を拗らせて高校生まで引き摺っただけの、極々普通な超高校級の飼育委員なのに。
 なのに何で、何でこんな目に? 何でこんな化け物と対峙しなきゃならないことに? 調子に乗って厨二病全開で話し掛けたからか?
 田中はもう泣きたかった。泣いて土下座して逃げ出してしまいたかった。
 こんな訳の判らない化け物に喰われて死ぬなんて嫌だ。どうせ死ぬなら、死ぬなら――皆を守る為に死ぬとか、そんな感じで恰好良く死にたいじゃないか!
 そう、彼は何処までも厨二病を拗らせていた。どうやらまだ余裕はあるらしい。

「なぁ、まだ? 流石に待ち草臥れたというか、何というか」

 渋る田中に段々苛立ってきたのか、左右田は尻尾を床にばしばしと叩き付け始めた。
 左右田自身は貧乏揺すりのつもりなのだが、その威力はそんな可愛いもので済んでいない。床に亀裂が走り、今にも穴が開いてしまいそうになっている。
 田中は思った。これは拙い――と。今の苛立った状態でこれなら、怒った時はもっと酷い筈だ。つまり自分の命も学園も他の生徒もやばい。入学早々、希望ヶ峰学園が壊滅して死者多数――なんて洒落にならない。
 ――そうだ。今こそ自分が立ち上がる時ではないのか? この大蛇を御し、陰ながら皆の命を守る。完璧だ! 最高に恰好良い!
 少し残念な思考の持ち主だが、田中は基本的に良い子なのである。ただ、少し残念なだけで。
 そんな残念な田中は残念なりに、この状況を打開する為の策を考えることにした。目の前の大蛇を温和しくさせる方法を。怒らせない方法を。
 大蛇は言っていた。本性を見せろ、真の姿を見せろと。どうやらこの大蛇は自分のことを仲間だと思っているらしい。
 しかし自分は只の人間である。本性も真の姿も何も、今の姿が有りの儘の姿である。
 ではどうするか。実は人間です――などと言えば、恐らく自分の命は其処までだろう。そんな予感が田中の中にはあった。実際その予感は大正解だ。
 ならば――することは一つである。

「――左右田よ」

 静かに、しかし力強い物言いで田中が言葉を発した。如何にも大物ですと言わんばかりの田中の気迫に呑まれ、左右田は黙り込んで固唾を呑む。
 そんな左右田を見て、田中は不敵な笑みを浮かべた。背中に冷や汗を流しながら。

「貴様は本当に愚かだな。この覇王たる俺様が、そう易々と真の姿を見せると思ったか?」

 呆れたような田中の物言いに、左右田は雷に撃たれたかのような衝撃を覚えた。
 そうだ、そうだよ。覇王だなんて凄い奴が、そんな簡単に真の姿を見せる訳ないじゃないか。ラスボスは変身を二、三回分取っておくものだろ!
 まんまと田中に騙された左右田は大蛇の姿から人間の姿に成り、落ち込んだ様子でがくりと床に膝を突いた。

「そっか、そうだよな。そんな簡単にぽんぽん真の姿を見せちゃ駄目だよな」

 何て単純な奴だ――と思いながらも、はったりが成功したことに田中は安堵した。

「そうだ。貴様もこれからは真の姿をひけらかさず、静かに生きるが良い。俺様も静かに暮らしたいのだ」

 だからもう俺様に構わないでね――という本音を呑み込み、田中は屈んで左右田の頭を撫でた。何となく落ち込んだ左右田を放ってはおけなかったのである。
 頭を撫でられた左右田は目を見開いて田中を凝視し、ぱあっと満面の笑みを浮かべて勢い良く田中に抱き付いた。突然の奇襲に対応出来ず、田中は左右田に押し倒される形で尻餅を搗く。

「田中ぁっ! 俺の友達に――いや、側近にして!」
「えっ、と」

 まさかの展開に田中は尻の痛みすら忘れ、混乱しながら左右田の頭を撫でた。それを肯定と受け取ったのか、左右田は嬉しそうに田中の胸に擦り寄る。

「へへ、覇王の側近だぁ。嬉しいなぁ、今まで誰も俺に近付きすらしなかったから、すっげぇ嬉しい」
「近付きすら?」

 妙な言い方に疑問を覚えた田中が聞き返すと、左右田は身体を離し、頬を掻いてはにかみながら微笑んだ。

「俺って藪蛇と書いてソウダって読む蛇の魔物なんだけどさぁ、俺に近付くだけで災厄が降り掛かるからって誰も友達になってくれなくて。えへへ」
「や、やぶへび? さいやく?」

 田中はとても、とても嫌な予感がした。藪蛇――そんな諺を聞いたことがあるからだ。
 そしてその嫌な予感は現実のものとなる。

「おぉ。人間界じゃ『藪を突いて蛇を出す』って言葉があるだろ? あれに因んだ名前なんだ」

 やっぱりそうか――田中は心の中で頭を抱えた。
 藪を突いて蛇を出す。余計なことをして災厄を招くという意味の諺だ。正に今の状況そのものである。
 厨二病全開で話し掛けなければ、こんな目には遭わなかった。覇王などと勘違いされることなく、左右田の正体を知ることもなく、普通の同級生として穏やかな日々を過ごすことが出来たのだ――厨二病全開で話し掛けなければ。
 正に藪蛇。しかし後悔先に立たず、時既に遅し。何もかもが手遅れなのである。

「じゃあ田中、えっと――今後とも宜しく」

 緩んだ笑顔で嬉しそうに此方へ手を差し出してくる左右田を見た田中は、何だかんだで藪を突いて良かったのかも知れないな――と後悔の念が少し薄れ、差し出された左右田の手をぎゅっと優しく握り締めた。


 これから左右田によって様々な災厄が齎され、あの時受け入れるんじゃなかった――と後悔することになる未来を、今の田中眼蛇夢は知らない。

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