間が悪い
「どうすれば左右田さんは、私を愛してくださるのですか?」
不意に問い掛けてきたソニアに、左右田は作業を一旦中断し、にっこりと微笑みながら口を開いた。
「俺はソニアさんのことを愛していますよ」
「嘘ですね」
即答だった。左右田の言葉を切り捨てるかのような即答だった。しかし左右田はその答えを予想していたのか、驚く素振りを一切せず、にっこりと微笑んだままである。
左右田の言葉を切り捨てたソニアは、左右田の顔をじっと見詰め、責めるように目を細めて睨め付けた。
「貴方は私を愛していません。愛していると周りに思わせているだけです」
「そうですか」
「そうですよ」
咎められているにも拘わらず、左右田はまるで他人事のように返事をした。それに対してソニアは不満そうに返事をし、少し大袈裟に溜息を吐いてみせる。
「左右田さん、貴方はあの世界で私にとても熱いアプローチをしていましたね。それはそれは鬱陶しいくらいに」
「すみませんね」
「良いのです、あの時はあの時ですから」
それに――と、ソニアが続ける。
「それに今では、あの熱いアプローチが懐かしくもあります。あの時の貴方は不誠実で軽薄でしたが、確かに貴方は私を好きだった」
「あの時は、ね」
過去のことですよ――そう言って左右田は嘲るように顔を歪めて笑った。その嘲りはソニアに向けられているのか、自身に向けられたものなのかは判らない。
もしかするとそれは、両者に対してなのかも知れない。
「――あの時は異常だったんですよ」
左右田は此処では無い、何処か遠いところを見るような目をしてソニアに語り始めた。有無を言わさぬ、横槍を入れさせぬ口調で。
「殺し合いなどという異常事態に巻き込まれた脆弱な精神の俺は、その異常事態から目を背けたい一心で恋愛という原始的で本能的な感情に逃避し、精神の安定を図っていたに過ぎないんですよ」
だから――。
「――だから、今の俺にはあの時のような感情はありません。今さっき、愛していますなんて言いましたけど――ええ、嘘です。俺はもう貴女に対して恋愛感情を抱いていません。今の俺にとって貴女は、友人の一人に過ぎないんですよ」
淡々と突き放すような物言いをし、左右田は同情と憐憫に満ちた視線をソニアに寄越す。もう良いでしょう、諦めてください――そう言いたげな視線を含めて。
しかしソニアはそれを察してか否か、愉快そうに微笑み、ふふっと笑い声を漏らした。
「嗚呼――今の台詞を過去の私が聞いたなら、きっと泣いて喜んだことでしょうね。漸く友人として接して貰えるのだと」
「なら今も泣いて喜べば良いでしょう。そしてこれからも良き友人として接すれば良い」
嫌です――ソニアは莞爾として笑いながら、はっきりと左右田に向かって言った。
「左右田さん、私は貴方を好きになってしまったのです。今更友人として接するなんて不可能です」
「それくらい、超高校級の王女と言われた貴女なら簡単でしょう。自分の気持ちを押し殺し、何事もなかったかのように振る舞うことくらい」
「今は只の女ですわ」
何処か哀愁を帯びた表情を浮かべ、ソニアは自嘲気味に呟いた。
「そう、今の私はもう王女でも何でもない、只のちっぽけな女です。何も無い、自分で全て壊してしまった。祖国も、民も――全て」
「そうですね」
左右田は何を考えているのか判らない表情で相槌を打ち、視線を宙へ漂わせた。それからソニアを一瞥し、再び宙へと視線を投げる。
「貴女は何もかも失いました。王女という地位も、何もかも。だけどそれは、貴女に対する恋愛感情の喪失とは一切関係ありませんよ。最初から全て幻だったんです、恋も愛も。あの世界と同じ――幻だったんですよ」
「幻なんかじゃありません」
ソニアが穏やかでありながら怒りのようなものが込められた声音で左右田の発言を否定し、ずいと一歩前に足を出して左右田に近付いた。
ソニアの接近を許しているのか、将又どうでも良いという無関心からなのか、左右田はずっと虚空を見詰めている。
「左右田さん、貴方も覚えているのでしょう。あの世界で何を見て、何を考え、何をしたのか。あの世界は確かに現実ではありませんでしたが、あの世界で生きてきた私達は幻じゃありません。貴方が私を好いたことも――幻なんかじゃありません」
「そうですか」
「そうですよ」
すっと、それが当然であるかのような自然さで、ソニアが自身の顔を左右田のそれに近付けた。
少しでも動けば唇と唇が触れ合うような距離で、ソニアはじっと左右田の双眸を見据える。
「左右田さん、私は今の貴方が好きです。過去の過ちを悔い、贖罪に身を窶し、世界の復興に尽力している――そんな貴方を好きになったのです」
ソニアはゆっくりと、擽るような手付きで左右田の頬を撫でた。
左右田の頬に付いていた機械油が指に付いたが、ソニアは気にすることなく、慈しむように左右田の頬に指を這わせて微笑む。
「左右田さん、どうすれば貴方はあの時のように私を見てくれるのでしょうか。あの時のように、私のことを好きになってくださるのでしょうか」
「――無理ですよ」
無表情でソニアの瞳を見詰めながら左右田が呟いた。左右田の眼は冷たく、何の感情の宿ってはいない。まるで人形――いや、機械のような無機質さを孕んでいた。
「もう、何もかも無理なんです。俺にはもう何も残ってないんですよ。残っているのは超高校級のメカニックと云われた、裏方としてしか存在出来ないくらいちっぽけで、いとも容易く人を殺せるくらい悍ましい才能だけなんです」
ちっぽけで悍ましいだなんて――そう言い掛けてソニアは口を噤んだ。何故なら眼前に居る左右田がソニアから離れ、作業を再開してしまったからだ。
工具と機械が織り成す小気味の良い騒音が、二人の間に漂う気拙い空気を掻き消すかのように響き渡る。
「好きも嫌いも、喜びも怒りも哀しみも楽しみも無くしたんですよ。いや、捨てたと言った方が正しいのかも知れません。あの世界の記憶と、以前の――絶望していた時の記憶。その二つを、俺みたいに弱い人間が抱えられる訳がなかったんです。だから――」
ふと、左右田が作業の手を止めた。
「――だから俺は、機械に成ることに決めたんです」
そう告げる左右田の声は淡々としていて、自分のことである筈なのに、まるで他人事と言わんばかりの薄情さをソニアに感じさせた。
「機械になれば何も感じない。罪悪感も、義務感も、何も感じない。後悔だの贖罪だの、そんな高尚なもの最初から抱いてないんですよ。未来機関に言われた通り、動いて造っているだけです。だからソニアさん、貴女が好きになった今の左右田和一は――幻想です」
早く目を覚ましてくださいよ――そう言って左右田は作業を再開した。
「左右田、さん」
ソニアは泣いていた。涙は一滴も流れていなかったが、彼女は確かに泣いていた。
左右田に対する失望?
拒絶されたことによる絶望?
違う。彼女はそんなことで泣いたのではない。
彼女は目の前に居る左右田があまりにも哀れで、寂しくて――何処までも誰よりも人間らしい彼が愛おしくて泣いたのだ。
「――左右田さん。貴方は機械に成っているつもりでしょうが、矢張り人間ですよ。きっと何処までも、誰よりも、貴方は人間らしい人間です」
此方を見ることなく作業をする左右田に、ソニアは歌うように語り掛ける。
「だから私は、矢張り貴方が大好きです。愛しています。愚直なまでに真面目で、傷付けることも傷付けられることも怖がる程に繊細で、どうしようもなく弱くて強い貴方が――大好きです」
なので私は絶対諦めません。あの時の貴方のように、私は貴方を追い掛けますから――凜とした力強い声でそう宣言したソニアは、くるりと踵を返し、左右田の下から去っていった。
一人残された左右田は作業を続けながらソニアの後ろ姿を一瞥し、作業をまた止め、何かを堪えるように目を固く瞑った。
「――本当、馬鹿な王女様だ。こんな碌でもない欠陥品に固執せず、あの飼育委員と一緒になれば良いものを」
そう呟いた左右田の声は、少しだけ震えていた。
「本当、馬鹿だ。大馬鹿だ。王女様も――俺も」
はぁ――と溜息を吐き、左右田は瞼を開いた。遠くを見詰め、また溜息を吐く。
「好意を抱いて近付けば逃げられ、好意が消え失せて離れれば寄って来る。何でこんなにも人間ってのは間が悪いんだよ。本当、馬鹿だよ人間は。はははっ――」
本当に機械に成れるものなら成りてぇよ――そう言いながら左右田は工具をぎゅっと握り締め、滲み出てきそうになった涙を堪えた。
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