観光で慣行に物申す

 

 俺は今、船の中に居る。石の中でも塀の中でもない、船だ。だが俺は漁師でもないし金持ちでもない。
 では何故船の中に居るかと言うと――当たったんだ。懸賞で! 二泊三日の南国の島の旅行が!
 しかもその島は、あの有名な楽園の島――インスマウス島だ!
 ルルイエ支部も有るから海も綺麗だし、治安も良い。住んでいるのは大半が半魚人らしいが、彼等は優しくて明るい種族なので多分大丈夫だ。海を汚さなければな!
 ああ、もう直ぐ島に着く。どきどきするなあ。別に半魚人が珍しい訳じゃないんだが。職場に一人居るし。でも一杯となると緊張するというか――失礼かも知れないけど、俺のSAN値大丈夫かなって。
 よく見れば愛嬌のある顔立ちだけど、一杯居ると流石に少しびびりそう。覚悟を決めなきゃな。大丈夫大丈夫、皆良い人なんだからびびらなくても大丈夫。
 あっ、島に着いた。




――――




「――ようこそ! インスマウス島へ!」

 盛大に俺――正確には旅行客全員――を出迎えてくれたのは、島の住人でもある半魚人達だった。皆人の良さそうな感じで、全然SAN値は減らなかった。びびって損したぜ。

「さぁさぁ、とりあえず旅館の方へ行きましょう。後は自由行動ですので、どうぞごゆるりと島を観光なさってくださいな」

 沢山の半魚人達に出迎えられて感動している旅行客達に呼び掛け、旅行案内の半魚人さんが旅館へと誘導し始めた。
 そうだ、とりあえず旅館だ。着替えとかの邪魔になる荷物は置いて、早く観光しなければ! 折角の旅行だ、海で泳いだり魚を食べたりしたい!
 色々したいことが多過ぎて、二泊三日もあっという間に終わりそうだなと思いながら、俺は荷物も背負って旅行案内の半魚人さんに付いて行った。




――――




 青い空、青い海、白い砂浜。そして――。

「あ? はぁ、人間かよ」

 妙に柄の悪いスキュラソウダコが居た。
 って、何でやねん。いや本当に。何で俺、睨まれてるの? すっごい睨まれてるんだけど。何で? ソウダコ種ってかなり友好的じゃなかったっけ?

「えっと、あの、スキュラソウダコさん?」
「は?」

 やだ怖い。何でこんなに怖いの。俺、何かした? 泳ぎに来たばかりなんだけど。まだ泳いですらいないんだけど。砂浜を歩くことすら許されないとか?
 いや、旅館の女将さんに勧められたし、それは無い筈なんだけど。

「あの、俺、何かしましたかね」
「俺の視界に入った」

 り、理不尽だああああああああっ!

「いや、ちょっと待ってくださいよ。何で視界に入ったくらいで眼付けられなきゃいかんのですかね」
「五月蠅えよ猿」

 猿? 俺、人間なんだけど?
 ああ、ぶちっときたぜ。ゆっるゆるの堪忍袋の尾ってやつがな。

「おう、久々に切れちまったよ。屋上行こうか蛸助」
「は? 蛸助って誰のことだよ」
「お前に決まってんだろ蛸。丸焼きにして食うぞ、あぁん?」
「遣れるもんなら遣ってみろよ、毒殺してやっから」
「じゃあ焼いて捨てるわ」
「流石猿、屑だな」

 きぃいいいいいいいいっ! 何だよ此奴! 何なんだよ! 一発殴ってやりたい! でも冒涜的生物は人間より遥かに強いから勝てる気がしない! 俺は短気だし口も悪いけど、力は無いんだよぉっ!
 でも後には退けん。せめて口で負かして泣かせたい。どうせソウダコ種だ、メンタルは豆腐のように脆い筈!

「はっ、蛸助がなぁにをほざいてんだか。温和しく海に帰りやがれ、ヘタレ種族が」
「――けけっ」

 スキュラソウダコが笑った。いや、嗤った。耳まで裂けたかと思うくらい口角を吊り上げ、目を見開いて横に割れた瞳孔を此方に向けている。
 こ、こええええええええっ! 旅行に来ただけなのに、何でこんな目に! 不幸だ! 不幸だ!

「確かに俺はどうしようもないくらいヘタレで屑で愚かで醜い蛸だけどさぁ――」

 不幸――うん? 何だこの、この――。

「お前みたいな猿野郎に蛸助なんて言われる筋合いは――いたぁっ!」

 コマエダコみたいな自虐は――と思った瞬間、スキュラソウダコの後頭部にスパナのようなものが命中した。かなり痛いのだろう、当たった部分を押さえて蹲っている。

「こらぁっ! まぁた人間に絡んで!」

 スパナのようなものが飛んできた方向――海から声がしたので見てみると、目の前に居るスキュラソウダコそっくりのスキュラソウダコが海から上がってきていた。ふぇぇっ、また増えたよぉっ。

「くっ、スパナ投げんなよ糞婆!」
「誰が婆だ! 俺は婆じゃねえ!」
「婆だろ! 俺を産んだの婆じゃん!」
「なら婆じゃなくて母さんと言え!」

 最初に居たスキュラソウダコの母親? らしき蛸が、スキュラソウダコを二本の脚を鞭のように撓らせ、凄まじい速度で殴り飛ばした。スキュラ種特有の怪力故か、奴は10mくらい飛んで砂浜に突き刺さった。蛸怖い。

「全く――あぁ、すみませんね、うちの馬鹿が」
「いえいえそんな大丈夫ですよはははは」

 一刻も早く一刻も早く立ち去りたい立ち去りたい立ち去りたい。蛸やばい助けて半魚人さん助けて。
 胸中で念仏のように助けを求めていると、先程ぶっ飛んでいったスキュラソウダコが戻ってきた。哀れなくらい砂塗れで、哀れなくらい半泣きだった。
 同情するぜ、あの怪力で殴られたら泣くわ。いや、俺なら死んでるけども。人は脆いのよ。

「大丈夫か?」

 ぐすぐすと鼻を啜るスキュラソウダコに優しく声を掛けてみる。あまりにも可哀想なものだから、さっきまで湧いていた怒りも失せてしまったのだ。
 するとスキュラソウダコは困惑した様子で俺を見詰めた。

「あ、あれだけ言ったのに、何で優しくすんだよっ」

 ああ、猿とか猿とか猿とかな。確かに腹は立ったけど、泣いてる奴に追い討ち掛ける程俺は鬼畜じゃないし。

「あれだ、俺は寛大なんだよ」
「何だよそれ」
「兎に角まあ気にすんなってことだよ。それより、えっと――お母さん? で良いんですかね」
「あ、はい。正確には母親であり父親ですけど」

 ああ。確か両性具有だもんね、冒涜的蛸は。

「何と言いますか、兎に角俺はもう怒ってないんで。此奴のことは許してやってくださいな」

 俺がスキュラソウダコを一瞥してから親蛸を見て言うと、親蛸は一瞬驚いた様子を見せ、良い人間ですねえ――と呟きながら嬉しそうに微笑んだ。出来るなら人間って言い方じゃなく、人って呼んで欲しいと思うのは俺だけだろうか。まあ良いけどさぁ。
 そんなことより――。

「そ、そう言う訳で俺は行きますね――じゃあ!」

 そんなことより早く逃げたかった俺は、何か言いたげに此方を見てきたスキュラソウダコを振り切るように砂浜を駆けた。だって怖かったんだもの。俺は悪くない。




――――




 砂浜に行った俺は冒涜的蛸の恐ろしさを痛感させられて逃げ帰り、海に入ること無く島を徘徊することになった。折角新しい水着を買ったのになぁ。
 まあ良いさ、こうして島を練り歩くのもまた一興。何せこの島は、あの超傑作映画「島を覆う影」を撮影した島なんだから!
 それに最近やってる「星辰が揃わぬ世界に」の実写ドラマの撮影を此処でやったこともあるし、わくわくする場所が満載だ!
 あっ。あのクトゥルフ像、映画に出てたなぁ。確か映画ではクトゥルフに化けたっけ。実はクトゥルフ本人じゃなくて落とし子でしたってオチだったけど。
 あっ! あの酒屋はドラマに出てたな。ドラマでナイアさんが美味そうに飲んでたなぁ。確か海藻から作った「ディープ・ワン」って名前の酒だよな。微かに磯の香りがする翡翠色をした酒で、とても神秘的だ。飲んでみようかな。

「なぁ」

 あっ、名状し難い冒涜的な柄の悪いスキュラソウダコが――って。

「何でお前居るの?」

 もう会うことは多分無いだろうと思っていたのに、直ぐに出会してしまった。何でだよ。

「付いて来たから」

 何でだよ。

「何で付いて来たの」
「お前のことが気になったから」
「気になった?」

 気に入ったではなく、気になった? 気に入られても困るけど、気になったって何なんだ。気になるような要素、俺に有るか?

「何が気になったんだよ」
「猿――いや、人間なのに俺なんかに優しくするなんて珍しいなって」

 おっ、言い直しおった。というか何だよ「俺なんか」って。ソウダコ種ってこんなに自虐的だっけ?

「別に普通だろ。それよりお前、あんまり自虐的になるなよ。過去に何か遭ったのかも知れないけどよぉ、自信持てよ。あと口の悪さ直せ」
「無理、親父がスキュラコマエダコだし」

 ああ、納得した。だから自虐的なんだ。でも遺伝ってするんだな、冒涜的蛸って。彼奴等同じ蛸なら種類が違っても交配するけど、見た目は両親のどちらかになるし、中身も見た目依存だから似るなんて無いと思ってた。

「口の悪さも無理、婆が悪い」
「ああ、はいはい。そうかい」

 でもソウダコもコマエダコもこんなに口悪くない筈だよなぁ。反抗期? いやまさか、まさかな。

「で? 優しくされるのが珍しいってどういうことよ。何? お前昔から人間に苛められてるとか?」
「俺がっていうか、冒涜的蛸全般?」

 はいぃ?

「冒涜的蛸全般が人間に苛められてる? おいおい、そんな訳ないだろ。今や冒涜的蛸はペット――いや家族として迎え入れられてるし、最近なんてスキュラ種に人権が与えられたんだぞ。苛めるだなんて、ばれたら虐待の罪で処罰もんだぞ」
「えっ?」

 スキュラソウダコは驚いた様子で俺を見詰める。何だ此奴、マジで知らないのか?

「言っておくが、嘘じゃないからな」
「え、えっ――でも、でも、ちょっと前まで苛められてたしっ」
「ちょっと前っていつだよ」
「えっと、地上の感覚で言うと――百年くらい前?」
「ちょっとじゃねええええええええっ!」

 おい! この馬鹿蛸を何とかしろ! 百年がちょっと前って何だよ! 人間が余裕で世代交代するレベルだわ!

「お前なぁ、人間百年もありゃあ孫も出来るし価値観や倫理観も変わるっつうの! 百年前はそういう生き難い世の中だったのかも知れねぇけど、今は全然違うわ! 新聞見ろ! もしくはテレビ! 世間様から取り残されてるってレベルじゃねぇぞ!」
「しんぶん? てれび? 何だそれ」
「そっからか! 駄目だこりゃ!」
「う、うっせうっせ! 何だよ! そんなん知らなくても生きていけてるし!」
「そうかも知れねぇけどさぁ、時代に取り残され過ぎだろ! お前一体どんな生活してんだよ!」
「蛸なんだから海ん中に決まってんだろ馬鹿!」
「ずっとか」
「偶にこうして陸に上がったりしてるわっ!」
「偶にって、どれくらいの頻度で」
「えっと、地上の感覚で言うと――十年に一回?」

 ああ、もう何か訳判んない。俺人間だから理解出来ない。十年って、十年って。全然偶にじゃないじゃん。此奴等の感覚が可笑しいじゃんじゃん。

「何かもう、お前ってナチュラルに浦島太郎状態だな」
「うらしまたろう? 何だそれ、生き物か?」

 もしかしなくてもこの子、教養0なんじゃないか。
 いや、言語による会話が成立しているから0では無いだろうけど、かなり低い気がする。まるで幼稚園児を相手にしている気分――ああ、道理で餓鬼みたいな反応しかしない訳だ。納得した。餓鬼なんだ此奴、俺より年上だけど。
 それにしても――此奴等って確か人間より賢い生物なんだよな、勿体無い。ちゃんと教育してやれば餓鬼っぽさも無くなるだろうに。
 って、何で休暇だっつうのに仕事モードに入りかけてんだろ、俺。今くらい教師だってこと忘れたいのに! 辛いんだよ本当、糞餓鬼やら糞親やらの相手するの! 神経磨り減るわ!
 はぁ、何か思い出したら気が滅入ってきた。兎に角バカンスを楽しもう。蛸なんて知らん。

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