ほんわかコミュニケーション

 
「ねぇ、死後の世界って在ると思う?」

 相変わらずの何を考えているか読めない笑みを浮かべながら、狛枝凪斗が俺に質問を投げ掛けてきた。俺はパソコンの画面に表示されている機械工学に関する論文の羅列から狛枝へと視線を移し、はぁと小さな溜息を吐いて自身の頬を掻いた。

「在るんじゃねぇの? 多分」

 我ながら曖昧な回答だと思ったが、そう答えることしか出来なかったのだから仕方無いと自分に言い訳をする。死後の世界なんて見たことが無い訳だし、在るか無いかなど判らない。知ったことではない。
 いや、多分考えたくないのだ。死ぬことすら考えるだけで恐ろしいのに、死んだ後のことなど考えたくないのだ。

「――つうか、何でそんなこと俺に聞くんだよ。これでも俺、ばりばりの理系なんですけど。神とか仏とか信じてねぇし、宗教なんて社会的装置くらいにしか認識してねぇし。死後が云々とか言われても判らねぇよ」

 もっと増しな回答が欲しいなら田中辺りに聞けよ、彼奴ならそういうの詳しいだろ――そう言葉を続けてから俺は再びパソコンの画面へと目を向け、論文漁りを再開した。
 かちかちというマウスのクリック音だけが部屋に響いている。狛枝は全く動く気配がない。先程からずっと俺の作業を隣で見ている。此方は椅子に座って机に置いてあるパソコンと睨めっこをしているというのに、此奴は立ちっぱなしの中腰でずっと俺を見ている。とても居心地が悪い。
 田中に聞けと――暗に俺の部屋から出て行けと言ったつもりだったのだが、どうやら狛枝には空気を読む能力が著しく欠けているらしい。知っていたが。集中して論文を漁りたいから寄宿舎へ戻ると言ったのに、勝手に付いて来た時点でお察しである。
 どうせ出て行けと言っても、へらへら笑いながら居座るに違いない。不本意ながら此奴との付き合いは長い。絶対に此奴ならそうするだろうと予想出来た。ならせめて自分だけが座っているという居心地の悪さだけでも解消したいと思い、俺は狛枝へ適当に座れと命令を下す。
 すると狛枝は床に敷かれたカーペットへ腰を下ろし、体育座りで俺を見詰め始めた。座らせたのは良いが見上げられる形になり、これはこれで居心地が悪い。
 俺は顳に指を当てながら大袈裟に溜息を吐き、椅子から立ち上がった。きょとんとした様子で此方を窺う狛枝を一瞥した俺は、部屋の端に寄せていた予備の椅子を持ってきて俺の椅子の隣に置いた。そして持ってきた椅子をこつりと小突いてから自分の椅子へ座って再びマウスを弄り始めれば、狛枝は有り難うと言いながら俺が用意してやった椅子へ腰掛けた。

「優しいね」
「そりゃあどうも」

 俺は軽薄な態度で適当に返事をしながら、狛枝に目も呉れずパソコンを睨む。他の奴が相手なら愛想笑いの一つや二つはしていただろうし、最初から相手の分の椅子を用意していただろう。
 だが、此奴は別だ。どんな態度で接しても反応は変わらない。友好的に接しても敵対的に接しても、狛枝凪斗は態度を変えない。此奴の超高校級に対する敬愛と盲信は、如何なる屈辱や苦痛にも挫かれることはないのだから。
 ならばもう、楽に接した方が得だろう。普段は他の同級生相手に馬鹿を演じて明るく振る舞っているのだから、此奴相手の時くらい気を遣わず素でいたい。
 ん? もしかして俺、此奴に凄く気を許してしまっているのでは――なんて恐ろしい考えが頭を過ぎったが、気の所為だということにした。いや、しなければならない。気の所為、気の所為。こんな狂人に気を許したら駄目だ、危ない。
 気を取り直す為に深呼吸をし、マウスをかちかちと動かす。相変わらず狛枝は俺をじっと見詰めているのか、頬に突き刺さる視線が擽ったい。俺じゃなくて画面でも見ていろよ。暇なら帰れよと言いたいが、言っても無駄だと判っていたので黙っていた。飽きたら帰るだろう、多分。

「――さっき、判らないって割には『在るんじゃねぇの?』って言ったよね」
「は?」

 思わず威圧的な声が出てしまった。此奴だから良いけど、他の奴だったら人間関係に罅が入っていたな。気を付けなければ。
 それよりも何だ此奴は。もう終わった話題だと思っていたのに、また掘り返してきやがった。意図が読めない。此奴が何を考えているのか判らない。

「何か文句あんのか?」
「そんな、文句なんて無いよ。僕はただ、君の答えに興味を抱いただけなんだ」
「抱かなくて宜しい」

 狛枝を一切見ずに只管画面を凝視する。ああ、この論文まだ見てないなと思いクリックしようとした――のだが、何故か狛枝が突然俺の手を握ってきたので、驚きのあまり身体が硬直してしまって叶わなかった。

「っ――何だよもう、俺は忙しいんだっつうの!」
「ごめんね。でも教えて欲しいんだ。何で判らないのに『在る』って答えたのか」

 何だよ、何なんだよ此奴は。いっそ怒鳴り散らして追い出すのも有りかと思いつつ、そんなことが出来る程の薄情で冷酷な人間ではない俺は、仕方無く狛枝の相手をしてやることにした。

「そりゃあ在った方が良いって思うだろ。死んだら終わり、自我も記憶もなぁんにも遺りませぇん――なんて、夢も希望も無ぇじゃねぇか」
「希望?」

 あっ、しまった――と気付いた時には遅し。希望大好き希望狂信者の狛枝は、俺の発言に目を輝かせながら、ずいと此方へ身を寄せてきた。奇妙な圧迫感を覚える。あと顔が近い。無駄に端正な顔立ちしやがって、この野郎。

「近い近い、離れろ」
「そうか、死後の世界は『在る』って答えたのは『在って欲しいから』という希望からだったんだね!」

 どうやらこの希望狂信者は、俺の要求を聞いてくれていないらしい。普段から人の話を聞かないが、希望が絡むと益々聞かなくなるので本当に質が悪い。少し腹が立った俺は、握られていない方の手で狛枝の頭に軽く手刀を打ち込んだ。

「離れろ」
「はい」

 素直に返事をした狛枝は俺の手を解放し、すっと俺から身を離した。圧迫感が無くなって楽になった俺は、目を眇めて狛枝を睨め付ける。

「ったく、希望が絡むと直ぐこれだ。少しは落ち着けっつうの」
「普段は全く落ち着きの無い左右田君にだけは言われたくないなあ」
「うっせぇ」

 むかついたので、もう一発狛枝の頭に手刀を打ち込んだ。今度は少し強めにな。

「痛いなあ、もう。左右田君って結構暴力的だよね。この前なんかスパナで殴ってきたし。他の皆が今の君を見たら、一体どう思うのかなあ」

 狛枝は至極楽しそうに、嬉しそうにへらへら笑いながら俺に擦り寄ってくる。離れろと言ったのに、まぁた此奴は。このドMめ。これ以上言っても殴っても無駄だと判断した俺は、好きにしてくれと言わんばかりに身体の力を抜いた。

「他の奴にはそんなことしねぇし見せねぇから大丈夫なんですぅっ」
「じゃあ僕が特別なんだね」
「ああ、うん。そうそう、特別特別」

 区別とも言うがな、という本音は飲み込んでおく。幾ら此奴相手でも、幸せそうな雰囲気を打ち壊してやるのは流石に酷だろう。ああ、俺ってば優しいなぁ。

「――ねぇ、天国と地獄って在ると思う?」

 頭の中がお花畑状態の狛枝を生暖かい目で見詰めていると、此奴は急にまた変な質問を投げ掛けてきやがった。さっきから何なんだよ、もう。

「そりゃあさっきの質問に附属した質問か? あぁ、死後の世界が在るなら在るかもなぁ」
「それは『在って欲しい』もの?」

 在って欲しいか否か、そりゃあまあ――。

「天国は在って欲しいけど、地獄はやだなぁ」

 大抵の人間は皆そう思うだろう。斯く言う俺もその一人だ。誰だって怖いのや痛いのは嫌だろう。喩えそれが自業自得の罰であろうとも。

「――僕は地獄も在って欲しいって思うなぁ」

 やっぱりお前ってドMなのか、という質問を飲み込んで違う質問をすることにした。

「何で? 地獄ってすっげぇ怖いとこだろ」
「だからこそだよ」

 そう言って狛枝は口角を吊り上げて微笑んだ。鳥肌が立つくらい不気味で、一瞬見惚れてしまった程の綺麗な笑みを。

「天国という希望を輝かせるには、地獄という絶望が必要なんだよ」

 それは――。

「それは、地獄が在るからこそ天国が良いところに見えるってことか?」

 そうだよ、と狛枝は興奮気味に言った。

「人間ってさ、今の生活が如何に幸せであっても幸せだって気付かないじゃない。でも不幸に見舞われたり、不幸から上り詰めたり、自分よりも不幸な人間を見付けることで、初めて『あの時の自分は幸せだったんだな』とか『昔と比べて今は幸せだな』とか『自分は人より幸せなんだな』って思うでしょ?」
「不幸が無ぇと自分が幸せか判らねぇと」
「そう。だから地獄は必要だと思うんだ」

 堕ちてみないと今までの自分が幸せだったか判らない、堕ちたことがないと今の自分が幸せか判らない、堕ちた奴を見ないと自分が幸せか判らない。
 幸か不幸か。格差が無いと、比べる対象が無いと幸福の有り難みすら判らない。

「成る程、確かに俺達みてぇな馬鹿には地獄が必要だわ」
「左右田君は馬鹿じゃないよ」
「いや、馬鹿だわ。だって――」

 だってあの時の不幸が――親友の裏切りが無ければ、今の幸せを噛み締めることすら出来なかっただろう馬鹿だから。

「――いや、何でもねぇ」
「言い掛けて止めるなんて酷いなぁ」

 そう言って珍しく唇を尖らせるなんて子供染みたことをする狛枝に、思わず笑みが零れる。認めたくないが、此奴とこうしてだらだらと意味が有るような無いような話をしているのは――まあ、結構楽しい。本人には絶対言わないが。

「ねぇ、左右田君」
「はいはい、また質問ですかねぇ」

 放置していたパソコンがスクリーンセーバーによって画面が真っ暗になっているのを横目で見つつ、当初の目的であった筈の論文漁りを完全に諦めて狛枝の呼び掛けに答えてやった。

「うん。あのね、もし僕が死んだら」
「ストップ」

 何て縁起でもないことを言うんだ、この馬鹿は。

「お前が言うと洒落になんねぇんだよ」
「あはっ、心配性だなぁ左右田君は。喩えだよ喩え、大丈夫だって」

 そう言ってへらへら笑っているが、お前は今まで何回死にかけてきたんだと説教してやりたい。俺が知っているだけでも、両手と両足の指じゃ足りないくらい事故に巻き込まれているだろうが。
 そんな俺の思いを知ってか知らずか、狛枝の馬鹿はマイペースに質問を続ける。

「僕が死んだら、天国と地獄のどっちに行くと思う?」
「地獄」

 即答されるとは思っていなかったのか、狛枝は目を丸くして俺を凝視している。何て間抜け面だ、笑える。

「お前なら地獄行きだろうし、そうじゃなくても自分で地獄に行きそうだしな」
「あはははっ、よく判ったね」

 狛枝は愉快そうにからからと一頻り笑うと、粘着質で鼓膜に纏わり付くような吐息を漏らした。

「僕みたいなどうしようもない愚かで情けなくて薄汚いゴミ屑は、地獄で暮らすのがお似合いなんだよ」

 恍惚たる笑みを浮かべながら脳内お花畑状態になっている狛枝に呆れ、頭を叩いて正気にしてやろうと手を振り上げた――のだが、何だか遣る気が失せた。行き場の無くなった手をどうしようかと考えた結果、狛枝の頭に乗せて髪をぐしゃぐしゃに掻き撫でてやることに決める。

「わ、わわっ。何するの左右田君っ」
「うっせぇ馬鹿。どうしようもないとか、愚かとか情けないとか。そんなことで地獄とやらがお似合いなら、俺まで地獄行き決定じゃねぇか」

 俺がそう言うと、狛枝は一瞬目を見開いてから直ぐ満面の笑みを湛え、自分の頭に乗っている俺の手に自身の手を添えた。

「じゃあ、一緒に行ってくれる?」

 真っ直ぐ此方を見据えた此奴の目には、冗談とか嘘なんて言葉は存在しない。本気なのだろう、実に此奴らしい。相変わらずの狂人振りだ、何を考えているのか全く判らない。
 でも、嫌いじゃない。此奴となら地獄も楽しいかも知れない。
 だれど「おう」なんて返事をしてやるのも癪なので、代わりに狛枝の頭を思い切り撫で回してやった。

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