田中眼蛇夢は、左右田和一のことを愛慕している。悠久の時を共に過ごし、健やかなる時も病める時も互いを愛し、命が尽きるその時まで――いや、尽きても傍に居たいと思うくらいには愛慕しているのだ。
 愛が重たい? 左右田には重いくらいが丁度良いのだ。左右田も田中に負けず劣らずの「愛が重たい」人間だから。
 扨、左右田の愛が如何に重いかは今問題にすべきことではないので割愛する。今は田中の愛についてだ。そう、田中は左右田を愛している。とても愛している。故に愛する左右田の危機を感じ取り、守る為に敵である狛枝の前に立ち塞がったのだ。

「田中君、どうして間に割って入って来たのかな」

 左右田に言われた通りつなぎ服を捨て、左右田へ飛び付こうとしていた矢先に田中が割って入って来たので、狛枝は珍しく御立腹である。
 いつもなら超高校級の人間に対してなら無条件に平伏するのだが、今日の狛枝は一味違うらしい。矢張り彼も男ということなのだろうか。男は狼なのである。

「どうして、だと? はっ、笑止! 我が魂の半身である左右田に手を出そうなど、この俺様が許す筈なかろう!」
「は? 左右田君が『掛かって来い』って言ったんだから、僕にはその権利が有るんだよ」
「そのような権利など無い! 貴様に有る権利は、この場で地獄の業火に焼かれて灰燼と帰す権利だけだ!」
「あはっ、田中君は面白いなぁ。流石、超高校級の飼育委員だよ。超高校級の幸運なんて才能のゴミ屑な僕とは違うんだね。でも、幸運だって偶には役に立つんだよ? 今だってさ、こうして豪雨に打たれるって不運を踏み台に、左右田君とお近付きになれる幸運を手に入れたんだからさぁ。なのに邪魔されるなんて――ああ、そうか。これもまた乗り越えるべき不運なんだね? あはっ! 何て素晴らしいんだろう! この不運を乗り越えた先には、一体どれだけの幸運が待っ――」
「長いわぁっ! どれだけ喋る気だ貴様ぁっ! あと、超高校級の飼育委員であることは今全く関係無いだろうがぁっ!」
「喋っている途中で割り込むなんて酷いなぁ。不運だよ、あはっ! 堪らないなぁ、早く幸運が来ないかなぁ!」
「黙れ変態! 貴様のような魔物に左右田は渡さん! 指一本触れさせんぞ!」
「うぅぅん、最っ高だねぇ! 成就が困難であればある程、障害がある程、愛は燃え上がるんだよ! あはははははっ!」
「くっ、最早言葉は通じんか。ならば我が邪腕によって葬り去ってくれるわ!」

 ちゃっかり左右田を魂の半身に認定している田中への突っ込みもなく、何の権利だよという狛枝への突っ込みもなく、二人の口論は段々と白熱していっている。もう誰も二人を止めることは出来ないだろう。左右田以外には。
 しかし、最後の希望――左右田和一は学ランを羽織ったまま地べたに座り込み、膝を抱えて小刻みに震えていた。先程よりも顔色が悪く、呼気も熱っぽい。どうやら体調が悪化してきたようだ。そりゃあ、濡れた学ランを羽織って阿呆のように燥ぎ回れば体調も悪くなろう。正に自業自得である。

「うぅっ。寒い、熱いぃぃっ」

 風邪特有の寒いのに熱いという異常な感覚に身悶え、左右田は言い争う二人をぼんやりと見詰めながら呟く。

「――彼奴等、何で喧嘩してんだぁ?」

 何故二人が喧嘩をしているのかも理解出来ていないようだ。罪な男である。まあ、熱でいかれている頭に正しい判断力と思考力を求めるのも酷な話ではあるが。
 しかしこのままでは田中と狛枝は不毛で滑稽な争いを過熱させ、無駄な傷を負う羽目になるかも知れない。それにこのまま左右田を放置していると生命の危険もある。風邪だからと舐めてはいけない、肺炎で死ぬこともあるのだ。
 なので二人には早々に喧嘩を収めて貰い、左右田の看病をして欲しいところなのだが――。

「判ってないなぁ田中君は。左右田君には猫耳が似合うに決まってるじゃないか」
「馬鹿が! 左右田は犬耳が一番似合うに決まっているだろう! 地獄の番犬が如き容姿、正に魔犬そのものだろうが!」
「それは違うよぉ。あの人懐っこいようで素っ気ない態度、あれは正に猫そのものじゃないか」
「はっ! 愚かな。素っ気ないのは貴様にだけだろうが!」
「そんなことないと思うけどなぁ。田中君にも素っ気ないじゃない」
「そ、そそそんなことはない! 貴様、その目は飾りか?」
「そうかな? 田中君ってさ、ソニアさんと仲良しだよね? つまり、ソニアさんのことが大好きな左右田君にとっては恋敵――」
「誤解だぁああああああああっ! 俺様はソニアとそういう関係ではない! そんな目でソニアを見ていなああああああああいっ!」
「そう言っても左右田君にとっての真実はそうなんだからさ、仕方ないよね。という訳でやっぱり左右田君は猫耳が一番似合うってことで結論は出たね」
「異議有り! その理屈は可笑しい! 認めん、認めんぞ三下がぁっ!」

 訳の判らない論争を繰り広げており、看病どころではないようである。看病なり何なりすれば好感度の一つや二つ簡単に上がるというのに、この二人は左右田の状態に全く気付いていない。至極残念である。

「何か、眠く、なって、き、たぁ」

 そして残念な二人を余所に、純粋な睡魔なのか永眠の誘いなのか判らないが、左右田はぐったりとした様子で瞼を閉じ始めている始末だ。こんな格好で寝てしまうのは良くない。本当に死ぬぞ、左右田和一よ。起きなさい。

「――くぅ」

 しかし、左右田は起きなかった!
 この男、このまま寝るつもりである。永眠へのカウントダウンがゼロになるのも遠くない。このまま逝ってしまうのか、何と短い人生だったのだろう。短命は許容するとしても、このように間抜けな死に方はあんまりではないか。神は死んだのか? 彼を弄ることに飽きてしまったのか?
 ――いや、神はまだ生きているし彼に飽きてなどいない。この神は飽く迄、悪魔で、人間を弄り倒すことがこの上無く大好きなのである。

「――な、何だこれは」

 そして来たるは神の遣い、日向創その人である。雨に降られて困っているだろうと三人を心配し、態々傘を持ってやって来たのだ。流石、男も女も陥落させるハーレム系パンツハンターな主人公。気遣いの出来る良い男である。
 しかし同時に哀れな主人公でもあった。混沌とした狂気の空間へ足を踏み入れることになったのだから。これも主人公の宿命というものである。多分。

「な、何であの二人は喧嘩してるんだ――って、左右田?」

 阿呆二人に目を奪われていた日向であったが、漸く左右田の存在に気付き、歩み寄る。

「大丈夫か? おい」

 声を掛けながら左右田の額に掌を押し当て、日向は顔を顰めた。少し熱い。これはもしかしなくても風邪の症状ではないだろうか。
 そう考えた日向は、一刻も早く左右田を病院へ連れて行くべきだと判断し――ちらりと、未だに言い争っている二人を一瞥した。

「左右田には犬耳だと何回言えば判るんだ! 貴様の頭は外だけでなく中も綿が詰まっているんじゃないのか?」
「あははははっ! 綿だなんてそんな、これは髪だよ! 紛う事無き髪の毛だよ!」
「ならば俺様の主張を――」
「それは違うよぉ、猫耳万歳!」
「貴っ様ああああああああっ!」

 二人は日向が此処へ来たことすら気付いていない様子で、論争を繰り広げている始末である。そのことに日向はほんの少し、ほんの少ぉしだけ苛立ちを覚えた。
 態々傘を持って来てやったというのに、この馬鹿共ときたら犬耳だの猫耳だのと。判っていない、此奴等は何も判っていない。一番大切なことが判っていない。
 日向創にとって一番大切なこと、それは――。

「――左右田に似合うのは兎耳に決まってんだろうがああああああああっ!」

 二人の主張を論破することだった。

「左右田みたいな寂しがり屋で一人じゃ生きていけない系男子には兎耳だろうが! お前等、何にも判ってない! あ、因みに垂れ耳希望。ロップイヤーな」
「こんの馬鹿者がああああああああっ!」

 地をも揺るがす咆哮を上げたのは、制圧せし氷の覇王こと田中眼蛇夢だ。彼は狛枝から日向へと狙いを変える。

「日向、貴様は馬鹿か! 馬鹿なのか! 兎は寂しがり屋ではない! 寂しくて死ぬこともない! あれは間違った知識だ! 世話を怠れば直ぐに弱ってしまう程に繊細などうぶ――魔獣だという意味だ!」

 あくまでも動物は魔獣という設定を貫いて厨二病アピールを打ちかます田中に、日向は少し怯んだ。しかし其処は主人公、ちょっと論破されたくらいでは負けたりしない。

「お前が言うならそうなんだろう。でもな、繊細な動物だってところは左右田と同じだろう!」
「ぐ、ぐぅっ!」

 今度は田中が怯み、歯を食い縛る。それを見て日向は勝利を確信した。

「つまり左右田は兎耳が――」
「それは違うよぉ」

 ねっとりとした不愉快極まりない声音が洞窟内に反響する。声の主は超高校級の狂人、いや幸運の狛枝凪斗だ。彼は口角をこれでもかと吊り上げ、すうっと目を細める。見ているだけで悪寒の疾る笑みだ。

「繊細な動物? それって猫もだよね。それに感情豊かで自由奔放に見えてネガティブなところもあって嫉妬深いところなんて正に左右田君じゃないか!」
「ぐ、ぐぅぅっ!」

 畳み掛けるような言弾の嵐に、日向創は膝を地に突く。正に死闘。互いに主張し合い、互いに一歩も譲らない。熱き漢の闘いだ。
 そしてそんな彼等を余所に、左右田和一はというと――。

「――う、ぅぅっ」

 色々と終わり掛けていた。




 その後ウサミ先生が左右田を見付けて保護したので大事に至らなかったが、ウサミ先生は「此奴等もう駄目でちゅわ」と三人を放置したので、馬鹿三人は見事に風邪でダウンした。

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