――嗚呼、今日は何て厄日なんだ。
 雨でずぶ濡れになったニット帽を両手で絞りながら、左右田和一は頭を振って躑躅色の派手な髪を振り払い、ちらりと自身の背後に居る男達の様子を窺った。
 左右田の後ろには全体的に真っ黒な男と、頭髪が白い男が居る。真っ黒な男は田中眼蛇夢、白髪の男は狛枝凪斗と云う。彼等は左右田の同級生であり、この珍妙な修学旅行に参加させられている仲間である。
 現在彼等は山に居り、突然の豪雨に見舞われたので近くの洞窟に避難してきたところだ。何故山に居たのかというと、それは学級目標を達成する為の材料を採集しに来たからである。
 正にサバイバル、普通の学校が行う修学旅行ではない。流石、希望ヶ峰学園だ――などと皮肉混じりに胸中で吐き捨て、左右田は若干湿っているニット帽を被り、自身が着ているつなぎ服を撫でた。雨水で強かに濡れている。正直脱ぎたい。脱ぎたいが、少し――いや、かなり躊躇われる。
 此処に居るのは男だけだ。何も気にする必要など一切無い筈である。気にする必要が有るとすれば、彼等の中に同性愛者か、実は女性です、などという人間が居る場合だけである。
 そう、今その場合なのだ。前者の。一言で表すならば「この中に同性愛者――厳密には違うのだが――が居る」という場合である。居るのだ、左右田に惚れている人間が。
 しかも二人。

「ふ、ふっ。未来予知により破壊神暗黒四天王を我が結界内に封印しておいて良かった。で、でなければ、この世は闇に飲み込まれていただろうからな! ふ、ふははっ!」
「あはっ、まさかこんな不運に見舞われるなんて――いや、これも幸運の前触れかな。うん、きっとそうに違いないよ! だって――あはっ、あはははははっ!」

 田中は訳の判らない厨二病節をぎこちなく振るいながらちらちらと左右田を見遣り、狛枝は今にも飛び掛かってきそうな雰囲気を醸し出しながら左右田を凝視して笑っている。明らかに可笑しい。
 そしてそんな可笑しい二人から熱い視線を浴びせられている左右田は、雨に濡れた身体以上に肝を完全に冷やしていた。主に貞操の危機的な意味で。
 左右田自身、何故二人が自身に対して熱を上げているのか判らなかった。普通に交流を深めて希望の欠片を集め終え、お出掛けチケットで十回くらい遊びに行った程度の仲――という認識である。希望の欠片を集め終えたことと、十回出掛けたことが的確且つ最短で二人の好感度を上げてしまっていたことは、最早言うまでもないだろう。
 扨。まあ、そのようなことはどうでも良い。大事なのは過去ではなく今である。今更過去を遣り直せる訳でもない、人は未来に向かって突き進むものだ。嫌でも突き進まされる運命なのだ。だからこそ人は、最良の未来を目指して見苦しく足掻くのだ。
 そして今、左右田和一も足掻く側の一人である。左右田は最良の未来を掴み取る為、超高校級の優秀な頭脳を回転させた――が、答えは出なかった。
 彼は確かに優秀である。超高校級のメカニックとして希望ヶ峰学園に入学する程に。故に機械関係には強い。だが、人間関係には弱かったのである。
 見た目はコミュニケーション能力が高そうではあるが、中身はただのがり勉なのだ。ボールが友達のサッカー少年ならぬ、エンジンが友達のがり勉少年なのである。そんな左右田に、この状況を切り抜ける方法が直ぐに思い付く筈が無かったのだ。

「――左右田よ。貴様、かなり濡れているではないか」

 如何にして現状を凌ぐか必死に考えている左右田に、田中がずいと近寄って声を掛ける。いきなり近付いてきたので思わず悲鳴を上げそうになった左右田だったが、それをなけなしの根性で飲み込み、はははと乾いた笑いを零した。

「いや、お前もかなり濡れてるじゃねえか。御互い様だろ」

 何か言わなければ田中に悪い気がした左右田は、頑張っていつもの調子で言ってみせた。基本的に左右田は人が良いので、喩え愛しのソニア・ネヴァーマインドに好かれている恋敵――勝手にそう思っている――であろうとも無視はしないのである。
 そう、喩えソニアではなく自分を狙っている変態な恋敵でも。

「し、しかし、貴様の脆弱な肉体では直ぐ瘴気に当てられ――その、病魔に、襲われてしまうだろう」

 田中は首に巻かれたずぶ濡れのストールで口元を隠しながら、左右田の身体を下から上、上から下へと視線を漂わせる。
 ――何だ、何だ此奴は。何が言いたい。
 機械にお熱な左右田とて、他者の考えていることくらい何となく判る。其処まで鈍い程、彼はコミュニケーション障害を患っている訳ではない。
 故に、田中が言おうとしていることも何となく判る。判ってしまっている。ただ、それを認めたり了承したくないだけなのだ。

「だからその、濡れた服を着たままなのは――だ、駄目だろう」

 田中の貴重な標準語頂きました――なんて内心茶化してみせたものの、左右田は自身の予感が的中してしまって泣きそうになっていた。遠回しに「脱げ」と言われている。脱げと。服を脱げと。
 判っている。脱いだ方が良いことくらい、左右田にも判っているのだ。機械のことしか判らない馬鹿ではない、人間のことも判っている。濡れた服を着たままだと身体が冷え、病原菌などに対する抵抗力が低下することくらい判っている。だが、だがしかし。判っていても出来ないのだ。
 もし田中と二人きりだったなら、左右田は多少警戒しながらも服を脱いだであろう。確かに言動は可笑しいが、同級生の中でも田中は結構常識人な方であり、高慢な振る舞いの割りに紳士的で、意外にも恥ずかしがり屋で奥手なのである。暗に服を脱げと言ったのも――下心が無かったとは言い難いが――左右田の為を思って言ったに違いないのだ。
 しかし、今は田中と二人きりではない。狛枝凪斗という危険人物が居るのだ。何を考えているのかも、何を仕出来すのかも予測不可能な変人である。そんな人間が居るにも拘わらず無防備に肌を晒すなど、腹を空かせた獅子の居る檻に裸一貫で突撃するようなものだ。自殺行為である。だから左右田には出来ない。服を脱ぐことなど出来ないのだ。
 しかし、田中にそんな左右田の思いが通じる筈もない。

「左右田よ、大丈夫か? ま、まさか、既に病魔の呪いに冒されているのか?」

 田中は純粋に左右田の身体を心配し、普段の傍若無人振りが嘘のように狼狽している。瞬間ずきりと、左右田の良心が痛んだ。
 こんなにも心配してくれているのに、どうして俺は怖じ気づいているのだろうか。狛枝がどうした、彼奴はさっきから一言も喋っていないではないか。最早あれだ、置物だ。気にする必要など無い。
 大丈夫だ、田中も居る。田中は紳士だ、大丈夫。もう何も怖くない。

「――大丈夫だって、心配し過ぎだっつうの」

 色々と吹っ切れた左右田は、いつもの臆病さからは想像出来ないくらい豪快につなぎ服を脱ぎ、シャツとパンツのみの姿になった。素早く避難したお陰か、シャツもパンツも殆ど濡れていない。シャツは兎も角、流石にパンツは脱げないから良かったと左右田は安堵する。

「うへぇ、寒っ。あっ、お前等も脱いだら?」

 左右田は機械弄りで発達した腕力を活かして服をぎちぎちに絞り、水気を取りながら田中と置物――いや、狛枝に話し掛けた。一人だけ脱いでいることが何だか居心地が悪かったのと、他に何の話題も見付からなかったからである。

「お、俺様はその――こ、これは魔力を封印する拘束具だから、脱ぐのは、世界が滅びるので、ちょっと」

 流石恥ずかしがり屋とでも言うべきか、田中は顔を赤らめ、ずぶ濡れのストールを弄り回しながら左右田から目を逸らした。
 世界が滅びる? そんなこと、左右田には関係ないのである。

「お前、俺に脱げって言っといて自分は脱がねえとか無しだろ! 無し! 風邪引くぞ!」

 いつもの調子が出てきたのか、この異常事態に狂ったのか、左右田は先程まで貞操の危機を感じていたことも忘れ、絞り終えたつなぎ服を放り捨てて田中の改造学ランを無理矢理剥ぎ取った。

「なっ、貴様、何をっ」
「おお、でけぇ。つうか改造し過ぎだろ、これぇ」

 水を絞り出してやろうかと思った左右田だったが、ピンやら何やらが付いていて絞るのは無理だと判断し、呆れ混じりの溜息を吐きながら田中を見遣る。其処には学ランを取られて禍々しさがかなり削がれた田中が居り――左右田はふと考える。この学ラン、俺が着たらどんな感じなのだろうかと。禍々しい感じになるのだろうかと。
 何と突拍子もない考えだろう。しかし今の左右田は少し、いやかなり頭が残念なことになっているので仕方ない。仕方ないのである。気分は修学旅行先で無駄に燥ぐ男子高校生だ。正にその通りだが。

「やっぱりでけぇな!」
「なっ――」

 着るぞとも何も言わずさっと袖を通した左右田に、田中は絶句する。自分の衣服を勝手に着られたことにより怒り――からではない。愛慕している相手が自分の服を着ているという夢にまで見た現実が今、其処に在るという事実に驚愕し、喜びのあまり絶句したのである。
 男性諸君の憧れであろう彼シャツ――今回は学ランだが――は、どうやら同性相手にも有効らしい。田中はストールを握り締めながら眼前に広がる桃源郷を脳に刻み付け、我が人生に一片の悔い無し――と呟いた。
 そんな田中の静かなる暴走に全く気付くことなく、左右田は学ランを着てくるくると回ってみたり、ぴょんぴょんと跳ねてみたりしている。膝下まである学ランの裾が翻る様がお気に召したらしい。田中は此処が天国かと呟き、興奮と感動に身体が打ち震えている。
 改造学ランを羽織ったパンツ男と、その男を見詰めて興奮して震えている男。端から見れば変態共のサバトである。
 扨。そんなサバトが繰り広げられている中、置物こと狛枝凪斗は何をしているのかというと――。

「――あはっ。超高校級のメカニックである左右田君が着ていたつなぎ服っ、脱ぎたてのつなぎ服ぅっ! ああっ、希望が溢れてるよぉっ! 超高校級な希望が溢れてるよぉぉぉっ!」

 左右田が放り捨てたつなぎ服を抱き締め、息を荒げながら意味不明な愛を叫び、すりすりと頬擦りをしていた。矢張り此処は変態共のサバト会場らしい。

「――あ? は、はははっ! 狛枝、お前何してんだよ!」

 狛枝の痴態に気付いた左右田だったが、彼は怯えることなく笑いながら狛枝を指差した。
 一体どうしたというのだろうか。狛枝にびびっていた筈の彼が、貞操の危機を覚えていた筈の彼が、臆することなく狛枝の変態的行動を許容している――何故?
 左右田をよく見てみると、少し顔が赤い気がする。息も荒く、汗も掻いている。目の焦点も若干合っていない。足取りもふらふらとしていて覚束無い。
 よく考えれば可笑しかったのだ。小心者で比較的まともな彼が、危険性の高い選択肢――服を脱ぐということ――を取ったり、奇怪な行動――学ランを着て燥いだこと――を取るだなんて可笑しかったのだ。彼はあの時点で、田中の言っていた「病魔の呪い」に罹っていたのである。時既に遅し、運命とは常に残酷だ。

「何って、左右田君の希望を愛しているだけだよぉっ!」
「意味判んねえよ! バーカ! 服を愛してどうすんだよ!」
「じゃあ左右田君自身を愛して良いの?」
「来いよ狛枝ぁっ! つなぎ服なんて捨てて掛かって来い!」

 熱の所為で危機管理能力も思考力も言語能力も鈍っている左右田は、とんでもない発言を打ちかまして狛枝を挑発した。左右田が言ってもただの死亡フラグである。
 もし狛枝と二人きりだったなら、確実に戴かれていただろう。ナニが。しかし神は左右田を完全には見捨てていない。生かさず殺さずの状態を保ちながら、彼を翻弄してその様を嘲笑っているのである。なので、直ぐ殺す筈が無い。此処には左右田を生かす存在が居るのだから。

「ま、待て左右田! 狛枝も落ち着け! どうどうどう」

 そう。我等が世紀末救世主覇王、田中眼蛇夢その人である。

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