B

 などと恐怖と緊張に震えながら耐え忍んでいると、遂に狛枝の指先が俺の眼球に触れた。痛みも感触も無いが、視界が片方だけ真っ暗になったことと触れたことによる衝撃で判った。指が動いているのがよく見える。
 もぞもぞと蠢く指が離れた時、狛枝の親指と人差し指の間にはコンタクトレンズが挟まっていた。あんなに怖がっていたのが馬鹿馬鹿しくなるくらい、すんなりと取れている。

「おお、凄い。ありがとうございます」

 狛枝があっさりとコンタクトレンズを取ったことに感動し、俺は彼に素直な賞賛を漏らす。すると狛枝は嬉しそうに笑い、もう片方も取るね――と言って先程と同じように取ってみせた。コンタクトレンズを取った所為で視界が霞んでいるが、狛枝の手にコンタクトレンズが乗っていることは判る。

「左右田君、胸のポケットにコンタクトレンズのケースが入ってるから」

 そう言われて自身の着ているつなぎ服の胸ポケットを漁ると、狛枝の言う通りケースが入っていた。何故知っているのだ? エスパーか?
 と思ったが、以前の俺と仲が良かったと見受けられるので、仕舞っている場所を知っていたのだろう。
 自分で自分の予想に納得した俺は、ケースを狛枝に渡した。彼はコンタクトレンズをその中に仕舞い、はいと言って俺に返した。それを再び胸ポケットに仕舞い、先程受け取った眼鏡を掛けてみる。初めて掛けた筈なのに、いつも掛けているかのような馴染み深さを感じる。そんな違和感を覚え、本当に何もかも忘れてしまったのだなあ――と改めて感じ、寂しい気持ちになってしまった。

「どうしたの?」

 そんな気持ちを悟ったのか、狛枝が心配そうに俺へ声を掛けた。駄目だ駄目だ、余計な心配を掛けては。

「いえ、何でも無いですよ。それにしても手慣れた感じでしたね、狛枝さんもコンタクトレンズなんですか?」

 俺への関心を逸らそうと思って話を振ってみると、狛枝は一瞬寂しそうな表情を浮かべ、直ぐに笑顔を取り繕ってみせた。
 何だ、今のは。

「いや、僕はコンタクトレンズじゃなくて裸眼だよ」
「そうなんですか。でも、慣れてましたよね」
「ううん、実はコンタクトレンズを付けたままコテージで寝ちゃう人が居てね。僕が毎回取ってあげてたから慣れちゃったのかも」
「まあ、困った人も居るんですね」

 一瞬見せた表情が気になりつつも返事をすると、狛枝は何とも言えない顔をして笑った。何故そんな変な顔で笑う。いや、待てよ。もしかして――。

「――もしかしてそれ、俺ですか」
「あはっ、正解。勘が良いね」

 ああ、やっぱり。
 困った人は俺じゃないか。いや、俺というより以前の俺だが。しかし今こうして狛枝を頼っているということは、矢張り俺は困った人に分類されるのか。複雑な気分だ――うん?
 よく考えたら可笑しくないか? 何故狛枝がコテージで寝ている俺のコンタクトレンズを取るのだ?
 コンタクトレンズを取るのは俺に対する気遣いであろうが、其処は問題ではない。何故狛枝がコテージで寝ている俺の傍に居て、尚且つ俺の目に入っているコンタクトレンズを取れるような状態にあるのかが問題だ。
 見たところ一人一つのコテージで生活しており、多人数で一つのコテージを使っている様子は無い。先程見たが、コテージは人数分合った。ということは、狛枝にもコテージがちゃんと宛行われている筈で――何故手慣れてしまうくらい、コテージで寝ている俺のコンタクトレンズが取れる?
 何故手慣れてしまう頻度で寝ている俺の傍に居る? 寝ている隙を狙っての不法侵入? 俺が寝る前に狛枝をコテージへ招き入れている? それとも――。

「何を考えてるのかな?」

 気付いたら狛枝の顔が直ぐ目の前にあった。あまりにも突然過ぎて声も出ず、俺は身体が固まってしまう。そんな俺を見てくすりと笑った狛枝は、細くて硬い己の指を俺の唇に押し当てた。触れたところが妙に熱い。

「多分、君の想像通りだと思うよ」

 ――考えを読まれた?
 得体の知れない感覚が背筋を疾り、顔が段々熱くなってくる。何だこれは、何で俺はこんな反応を。自分で自分が判らない。
 胸中で混乱に陥っていると、狛枝は俺の唇に押し当てていた指を離し、自身の唇をべろりと舐め――それを俺に押し当ててきた。微かに湿った狛枝の唇が、俺の唇に触れている。
 えっ、何故キスされている? 何で、どうして? 理解の範疇を越えた展開に思考停止し掛けていると、狛枝が俺の肩を掴んでベッドに押し倒した。柔らかい衝撃を背中に受け、停止寸前だった俺の脳が漸く動き始める。

「な、何でこんなことを」

 そう言って狛枝を見詰めると、彼は寂しそうに微笑んで俺の唇をねっとりと舐めた。焼けそうなくらい熱い狛枝の舌が唇を這い摺り、何とも言えない感覚が全身に疾る。しかし不思議と不快ではなく、それが益々俺を混乱させた。

「僕はね、君とこういうことをする仲だったんだよ」

 狛枝は今にも泣きそうな儚い笑みを湛え、何かを求めるように俺の胸に縋り付いた。
 どういうことなのだろうか。あまりにも展開が急過ぎて、何をどうしたら良いのか判断出来ない。なので、落ち着く為にも少しずつ整理しよう。
 こういうことをする仲というのは、その――そういうことなのだろう。男同士なのに恋人というのは珍しいが。
 もう一つ、想像通りだよというエスパーのような狛枝の発言から考えると――俺達は毎晩のように同じコテージで一緒に寝ていたと思われる。だから手慣れてしまう程に、寝ている俺の目からコンタクトレンズを取ることが出来たのだろう。恋人だなんて思いもしなかったが。友人だと思っていたので、よくお泊まりしているだけなのかと思っていた。
 そして行き成りキスをされて押し倒されたのは――俺が狛枝とそんな関係であったことを、全て忘れてしまったからだろう。俺は確か、記憶が無くなってしまったものは仕方ないという、淡白な振る舞いを彼にしてしまったような気がする。それが彼の心を傷付け、フラストレーションが溜まり、爆発した結果がこれなのだろう。
 つまり原因は――俺か。

「――ごめんなさい」

 狛枝の身体をぎゅっと抱き締めて謝罪する。

「忘れてしまって、ごめんなさい」

 そう言って一層強く抱き締めると、狛枝が首を横に振り、泣き笑いの表情を浮かべながら俺の髪を撫でた。

「大丈夫。きっとこの不運も、次の幸運の踏み台になる筈だから」

 何故不運が幸運の踏み台になるのか判らないが、狛枝がそう言うならそうなのだろう。いや、そうであって欲しい。これ以上大変な目には遭いたくない。
 早く、早く記憶を取り戻さないと。こんなにも辛そうな狛枝は見たくない。何もかも思い出して、いつも通りに狛枝と仲良くしなければ。
 だが、どうすれば記憶は戻るのだろう。焦っても良くないと判っているが、俺は一刻も早く思い出したくなった。何か記憶を思い出す切っ掛けのようなものがあれば良いのだが――。
 切っ掛け? そういえば保健委員が言っていたな。今まで遣っていたことを遣ってみれば、記憶を思い出すことが出来るかもと。つまり今まで遣っていたことを遣ってみれば、それが切っ掛けで記憶を取り戻せるかも知れないということだ。
 なら話は早い。俺は狛枝の両肩をがしっと掴み、こう言った。

「狛枝さん、今まで恋人の俺に遣ってきたことを遣ってくれませんか。今直ぐ」
「――えっ?」

 前触れ無く突然言った所為で理解が追い付かなかったのか、狛枝が素っ頓狂な声を上げる。しかし暫くして俺の発言を理解したのか、狛枝は何故か顔を赤く染めて慌て始めた。

「ち、ちょっと待って。左右田君って、こんなに積極的じゃなかったのに」

 ん? もしかして、失望させてしまったか?

「すみません、失望させてしまいましたね。今のは無しで」
「えっ、いや、違うよ! 嬉しかったというか、興奮したというか」

 狛枝は先程よりも慌てながら俺に弁明した。その様が何だかとても面白くて、愛おし――ん? 愛おしい? もしかしなくても、これは俺の記憶に関する感情か?
 矢張り俺の行動は間違っていないのだな。

「――なら、俺に色んなことをしてくれますか?」

 そう言って狛枝の目を見詰めると、彼は何故かごくりと生唾を飲んだ。おまけに目が妙に血走っているような気がする。
 俺は何か間違った発言をしてしまったのか?

「それって、誘ってるってことだよね?」

 狛枝の声がねっとりしている気がする。気の所為か?

「はい」
「本当に色んなことしちゃって良いんだよね? ねっ?」
「は、はい」

 何やら狛枝から不穏な気配を感じる。喩えるなら、餌を前にした餓死寸前の犬のような――。

「――戴きます」

 そう言うや否や、狛枝は俺の唇に唇を押し付けてきた。しかも何かぬるぬるとしたものが俺の口内に入ってくる。考えるまでもなく、これは狛枝の舌だ。口内を傍若無人に這い摺り回り、俺の舌に絡み付いてきた。
 ぞくぞくと全身が痺れる。記憶は無いが身体は覚えているらしく、こういう時はどうすれば良いのか何となく判った。
 自分からも舌を絡め、狛枝の呼気を貪るように息を吸い、深く深く口付ける。口の端から二人の唾液が混ざり合ったものが伝い、ベッドに垂れ落ちた。
 脳が麻痺するような快感を味わい、夢中で舌を絡めていると、不意に狛枝がキスを止めた。

「――っ、はぁっ。そ、左右田君。実はもう思い出してるとか、無いよね? 何かいつもと同じ――いや、いつもより激しい気がするんだけど」

 息も絶え絶えに聞いてくる狛枝に対して俺は首を横に振り、彼の頭を掴んで再び口付けた。記憶には無い、全身を駆け巡る甘い痺れをもっと感じていたい。身体がもっともっとと求めているのだ。喋る間すらも惜しい程に。

「んんっ、そうりゃくんっ――まっへ、はげひぃって」

 狛枝が何か訴えているが、それすらも無視して俺はキスをし続けた。狛枝の舌を軽く食み、優しく吸ってみる。すると彼は耳を犯してくるような甘い吐息を漏らし、びくりと肩を震わせた。
 可愛い。男に対して抱く感想ではないが、それでも狛枝が愛おしくて可愛らしかった。もっと見てみたい、色んな反応が――。

「――左右田君」

 色んな反応が見たいと思った矢先、狛枝が服越しに俺の股間を撫でた。突然の刺激に驚き、俺は動きを止める。狛枝を見てみると、何やら怒っているような――いや、笑っている?

「遣られっぱなしは性に合わないんだ」

 そう言って狛枝は俺のつなぎ服のファスナーをゆっくり下ろしていった。一番下まで下ろされ、下に着ているシャツもパンツも外界に晒される。それを見て狛枝は目を細め、べろりと舌舐めずりをした。そんな狛枝を見た俺は今の格好が恥ずかしくなり、中が見えないように手で服を押さえた。

「隠さないでよ」

 それがお気に召さなかったのか、狛枝は俺の手を退けて服の中に手を入れ、一気にシャツを捲り上げた。肌が外気に触れ、思わず身震いしてしまう。

「や、ちょっと狛枝さん、止めてくださいっ」
「止めて? 今更そんなこと言わないで欲しいな。色んなことをして欲しいって言ったのは君じゃないか」

 狛枝はそう言いながら俺の胸を撫で回し、行き成り乳首を抓ってきた。痺れるように痛いのに、何故か嫌じゃない。

「な、何を」
「良いでしょ? 此処を弄られるの」

 ぐりぐりと俺の乳首を強く抓りながら、狛枝が意地の悪い笑顔を浮かべる。良くないと反論しようにも、本当に良いから反論出来ない。

「もっと良くしてあげるよ」
「――ひっ」

 そう言うや否や、狛枝は弄っていなかったもう片方の乳首に顔を寄せ、それを口に含んで吸い始めた。未知の刺激――身体は覚えているようなのだが、俺自身は覚えていない――に驚き、悲鳴に近い声が漏れ出てしまう。
 自分の乳首を前歯で甘噛みされ、舌で弾くように突かれる度に身体が歓喜に打ち震える。まるで自分の身体ではないみたいだ。

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