絶望教示
俺は確かに同級生の王女様が好きだった。金髪碧眼という、まるで絵本から出て来たかのような容姿と、気品と自信に溢れた高貴な存在感。彼女の全てが魅力的で、彼女の一挙手一投足が好きだった。
でも、何かが違った。
俺は王女様は好きだった。でも、俺の「好き」は「愛している」とは違うものだったのだ。
それに気付いたのは極々最近。彼女が飼育委員と仲睦まじく手を繋ぎ、何処かへ遊びに行くところを見てしまった時だ。それを見ても、俺の心は何一つ悲しまず、何一つ揺らぐことは無かった。
そして気付いてしまったのだ。俺は彼女を愛していないと。ただ自分と違う世界を生きている彼女に「憧れていた」だけだったのだと。
気付いてしまってからは、俺の中の彼女に対する「好き」という感情は急速に萎れていき、今では「好き」であるかも危うい状態になっている。
その所為で彼女に対する態度や対応が今までと変わってしまったが、彼女自身俺に対して何の感情も――少なくとも恋愛感情は――抱いていなかったので、何の問題も無かった。
ただ他の同級生達は、俺の心変わりにあまり良い感情を抱いている様子では無かったが、俺にとっては些末なことだった。
同級生ではあるが、俺の「友達」では無い。俺にはもう「友達」や「親友」と呼べる者は居ないし、作る気も無い。またあの時のように裏切られて傷付くくらいなら、最初から何も無い方が楽だ。
そう思っていると自然に彼女への未練も断ち切れ、繰り返される平和な日々を当たり障り無く過ごしていると――嘗て無い程の衝撃的な出会いが俺に訪れた。
超高校級のギャル――彼女はそう呼ばれていた。
一目惚れだった。外見に、ではない。言葉に出来ない何かを孕んだ彼女は、俺の心を一瞬で掴んでしまったのだ。
そして思った。彼女を解体したいと。
あの王女様にすら抱けなかった至上最高の究極的感情を、彼女に抱いてしまったのだ。
得体の知れない甘美で悍ましい何かを内に秘めている彼女の中身が見たい。あの見目麗しい彼女の外装を剥がしたい。きっと素晴らしい中身なのだ。どんな人間よりも動物よりも機械よりも。
毎日夢に見た。彼女と話しをしてみたり、遊んでみたりする夢を。そして彼女を捕まえて解体する夢を。夢の中の彼女は涙が出る程に美しい中身をしていて、造られたもののように整った骨格をしていた。本物もきっとこうなのだろうと思うと、胸が高鳴って苦しくなった。
このままでは頭が可笑しくなってしまいそうで、俺は気晴らしに道具を造ってみることにした。彼女を綺麗に素早く解体出来るチェーンソーを。
この学校は俺に機械製作を行える専用の部屋と材料を用意してくれていたので、造るのは容易かった。彼女に痛い思いをさせては可哀想なので、切れ味も殺傷能力も上げられるだけ上げた。
一瞬で終われば、痛くないだろうと。
しかし俺は、本気で彼女を解体するつもりなどなかった。そんなこと、許される筈がないと理解していたから。あくまで気晴らし、そう自分に言い聞かせて造っていたのだ。
彼女を想いながらチェーンソーを弄る日々を過ごしていると、それに比例して同級生の様子が可笑しくなってきた。表面上は今まで通りなのに、何かが可笑しくなっていたのだ。
まるで彼女のように、中に何を孕んでいるかのようで――俺は皆を羨み、妬んだ。何故俺だけが彼女と違うのだと。
どうすれば彼女と同じ中身になれるのだろう。そう考えて俺は一つの答えに辿り着いた。
彼女を解体してしまえば良いと。
そうすれば中身が判る。中身が判れば、どうすればそう成れるか判る筈だ。そう判断した俺は専用の部屋に籠もり、チェーンソーの整備に勤しんだ。これなら出来る。彼女を解体出来る。そう思いながらチェーンソーを弄っていると――背後から声がした。
彼女の声が。
――私のこと、解体したいの? 良いよ、しても。
誰にも何も言っていないのに、彼女はそう言った。振り返ると、矢張り其処には彼女が居る。夢でも幻覚でもなく、本物の彼女が存在感を顕にし、腕を組みながら立っている。
いつ入って来たのか判らない、鍵の掛かったこの部屋にどうやって入って来たのか判らない、何故俺の考えがばれたのか判らない。何も判らないが目の前に彼女が居るので、彼女が良いと言うので、俺はチェーンソーのエンジンを掛けた。
部屋中に響き渡る豪快なエンジン音が心地良い。そんな中、彼女は眉も動かさず俺を見詰めている。その目に怯えは感じられない。いや寧ろ――何かを期待しているように思える。そんな目をしていた。
本当に良いのか? 解体してしまっても許されるのか?
ごくりと生唾を飲み込み、興奮と歓喜で震える身体に鞭を打った俺は、チェーンソーを振り上げて――。
「――待って」
彼女が放った制止の言葉で、俺の動きは止められた。
何故止めるのだろう。解体しても良いのではないのか? そう思いながら彼女を見詰めていると、彼女は人を魅了する笑みを浮かべてこう言った。
「私のお願いを聞いてくれたら、最後にやらせてあげる」
本当に? 俺がそう聞き返すと、彼女はこくりと頷いた。
嘘かも知れない。大体、自分を解体させてあげるだなんて言う人間が居る筈ない。しかし嘘を吐いているようには見えない。
本気なのだ。本気で彼女は言っている。本気でその崇高な肉体を俺に呉れると言っているのだ。
彼女を見る。彼女は真っ直ぐ此方を――俺の目を射抜くように見詰め、微笑んでいる。悪魔のような天使のような顔で、俺の返事を待っているのだ。
何と恐ろしく、何と光栄な立場に居るのだろう。まるで神を前にした信者のような気分だ。そんな相手に拒否を示せる程、俺は強くなどない。
「本当に、良いのか?」
最後の悪足掻きとも言える問い掛けを再びしてみたが、彼女はまた頷くだけだった。
ああ、本当に良いのか。それなら仕方ない、許されるのだから。許されているのに我慢するなんて、あまりにも馬鹿馬鹿し過ぎるではないか。
「――判った」
何かが吹っ切れて晴れ晴れとした気分になった俺は、彼女のお願いを聞くことにした。
彼女は邪悪で無邪気な笑みを浮かべていたが、そんな彼女も愛おしくて、早く中身が見たくて堪らなかった。
――――
それから俺は彼女の「お願い」を聞き続けた。
白と黒の熊型ロボットの製作、お仕置き道具という名の殺人機械、彼女の仲間への武器提供――仲間の中に同級生も居たが、俺にとってそれはどうでも良いことだった。
俺は彼女が用意してくれた工場にずっと籠もり、機械を造り続けていたのでどうでも良いのだ。彼女以外の存在、彼女以外が齎す具象になど興味が湧かない。そんなことをしている暇があるなら、俺は機械を造って彼女がやって来るのを待っていたい。
彼女こそが俺の全てで、目標で神なのだ。皆から慕われ愛され崇められている彼女。彼女の中身を見られるのは俺だけなのだ。
彼女は俺に約束したのだから。最後に解体させてくれると。この俺に解体させてくれると。その為だけに俺はここまでやったのだ、尽くしてきたのだ。彼女の中身を見る為だけに。一心不乱に彼女のお願いを叶えてきたのだ。
彼女の中身は嘸素晴らしいものだろう。彼女の中身を知れば、俺も彼女のように成れるかも知れない。そう信じてきたのに――。
彼女はぐちゃりと、無惨に潰れて死んでしまった。
画面の中の彼女は、死ぬまでずっと笑顔だった。死ぬことに絶望に、喜びを感じていたのだ。彼女は絶望的に絶望を欲する絶望フェチだったから。
だがそんなことはどうでも良い。俺にとって大事なことは、約束を破られたということだ。
解体させてくれると言っていたのに。俺の手で彼女の中身を暴きたかったのに。あんな潰され方をされたら、何もかもがぐちゃぐちゃではないか。
俺は泣いた。一日中泣いた。悲哀と憤怒と悔恨を綯い交ぜにした感情の波に飲まれながら泣き続けた。
だが二日目になって少し冷静さを取り戻した俺は、彼女が潰されたあの場所へ行ってみることにした。もしかしたら中身だけでも見られるんじゃないかという、希望的観測だった。
彼女はまだ其処に居た。いや、彼女だったものはまだ其処に在った。
砕けて皮膚から飛び出た骨、本来曲がらない方向に曲がった手足。赤黒い血液と桜色の肉片で出来た絨毯の上に、彼女だったものは平たくなって落ちていた。頭も完全に潰れていて、あの美しい美貌の片鱗すら残っていない。
ただの死体だった。胸部らしき部位を切り開いてみたが、有るのは潰れた骨と臓器だけだった。頭、腹、両手両足、全身を切り開いてみたが、肉と骨と臓器しかない。
――中身は?
俺の求めていた中身は?
中身は?
彼女の中身は?
彼女は、彼女は――。
ただの、死体だった。
俺の求めていた、追い掛け恋い焦がれていた存在は、ただの幻想で幻覚で妄想だったのだ。
中身など無かった。俺の欲しかった、見たかった中身など、彼女の中には存在しなかったのだ。
無駄だった。彼女に尽くしてきたこの数ヶ月、その全てが無駄だった。殺人機械を造り、間接的に人を殺めてきた日々は無駄だったのだ。
手に入れたのは殺人機械を造る技術と、間接的に血で汚れてしまった手と――。
「――ああ、そうか」
俺は思わず独り言を呟いてしまった。
自分の胸に手を当ててみる。温かいようで冷たい、死にたくなるようなこの苦しみと快感。そうだ、きっとこれは彼女が死ぬまで――死んでも愛し続けた――。
「――これが、絶望か」
漸く俺は、彼女の中身を手に入れることが出来た。
きっと彼女は、俺に絶望を教える為に潰れて死んだのだ。だから解体させてくれるという約束をし、俺に手を汚させ続け、約束を破って死んだのだ。ただの人間であることを見せ付け、俺を絶望させる為に。
そう理解した俺は、彼女の下から去った。もう彼女に用は無いからだ。土に埋めてやる気も無い。きっと彼女はそれを望んでいない。惨めに汚らしくゴミのように扱われる方が絶望的だろうから。
それに俺が何かをするまでもなく、彼女を愛していた人間達が彼女の死体を処理してくれるだろう。其奴等が彼女を埋めるなり食べるなり、彼女の身体の一部を自分に移植するなり、好きにすれば良い。
俺は遣らねばならないことが出来たから、それを遣らなければならない。彼女が俺に呉れた絶望を、意志を、世界中に刻み付けなければならないのだ。
彼女は言っていた。皆にも死の絶望を味わって欲しかったと。そんな彼女の想いを叶えてやるのが、彼女から絶望を貰った俺の使命であり運命なのではないか。
いや、それこそが俺の生まれてきた意味なのだ。
材料なら腐る程有る。手早く大量に殺すなら、マシンガンでも造って撃ち殺そうか。一人でも多く死の絶望を与え、一人でも多く彼女の下へ送ってやろう。
「待っててくれよな、今すぐそっちに沢山人間送ってやるから」
きっと彼女は喜ぶだろう。彼女は独りが嫌いだから。彼女が寂しくならないよう、あの世へ皆送ってやろう。そして最後に、俺も彼女の下へ――。
「――ああ、最っ高に絶望的だなあっ!」
俺は溢れ出てくる歓喜を表現するように絶叫し、げらげらと嗤いながら愛すべき我が工場へ帰った。
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