切っ掛けは往々にして単純である

 

 石丸清多夏は努力が好きである。努力すれば必ず報われる、努力こそが美徳であると信じている。努力をする者は激励し、努力をしない者は叱咤する。そういう男なのである。
 そして何より、秩序を愛した。規律を守り、風紀を取り締まることに全力で努力した。
 そんな石丸は超高校級の風紀委員として希望ヶ峰学園へ入学し――他の超高校級達の個性的な格好と態度に驚き、そして憤慨した。風紀が乱れていると。
 しかし皆は「個性だから」と言って格好や態度を改めようとはせず、石丸の意見は右から左に流された。そして「石丸は面倒臭い奴だ」と皆に思われるようになり、何を言っても「はいはい」と聞き流されてしまうようになった。
 石丸には判らなかった。妥協というものを知らぬ石丸には、触れてはならぬ境界線が判らなかった。故に今まで友人が出来たことも無く、孤独に風紀を取り締まってきたのである。
 この学園でも僕は独りなのか――そう思い始めた石丸だったが、幸いにも超高校級の幸運として入学してきた苗木誠により多少は妥協というものを覚え、毎日のように衝突していた超高校級の暴走族、大和田紋土とも「兄弟」と言い合える程の仲になり、今まで経験したことが無い程に学級へ馴染むことが出来た。


 だが石丸は、風紀に対して妥協は覚えても、努力に関しては妥協を許さなかった。


 毎日血の滲むような努力をし、勉学に励み、皆の手本となるような学生として振る舞い続けた。テストは満点、一つのミスすら許さず、自分を律し続けた。
 努力こそ正義。努力する者は努力しない者よりも強い――そう只管に信じて突き進んで来た石丸は、ある日、頭を金鎚で殴られたかのような衝撃を受ける。
 それは学年が一つ上の先輩――超高校級のメカニック、左右田和一が原因だった。左右田は見た目が大変宜しくなく、元来の悪人面は無視しても、普段の格好や態度があまりにも酷かった。
 学園指定の制服を着ず、派手な黄色いつなぎ服を着て登校。耳には螺子のようなピアス。髪はピンクに染め、室内でもニット帽を被っている。注意してものらりくらりと躱し、不良のような格好と態度を改めない。
 石丸にとって左右田は、風紀を乱すもの以外の何者でもないのである。
 そんな左右田がテストで毎回満点を取っているということを、同級生である超高校級の野球選手、桑田怜恩から聞いてしまったのだ。桑田は左右田の派手な格好を見て同族だと思い、毎日構い続けた結果、偶然それを知ったと言う。
 しかし、偶然知ろうが何だろうが、そんなことは石丸にとって些末な情報だった。重要なことは唯一つ、左右田和一がテストで満点を取っているということである。
 石丸は思った。何故明らかに不良である彼が――努力というものを知らないであろう彼が――努力をしている僕と同じ土俵に立っているのだ!
 自分自身でも理不尽な考えだと思いつつも、石丸はそう思わずにはいられなかった。自分の努力が踏み躙られたようで、結局才能の有る人間に勝つことは出来ないのかと悔しくて、石丸は胸中で泣いた。
 そして一瞬、正義とは掛け離れた思考が頭を過った。


 ――もしかして、左右田先輩はカンニングをしているんじゃないのか?


 何て非道な憶測だ。そんなことある筈が無い。そうだろう、だって此処は希望ヶ峰学園だぞ。
 しかし石丸の思考は悪い方へ悪い方へと流されていくばかりで、その思考が正義を愛する自分の心をも蝕み、精神がどうにかなってしまいそうな程に苦しんだ。
 どうすれば良い。どうすれば良いのだ。考えに考えた末、石丸は思い付く。
 左右田和一の素行調査をしよう――と。
 学年が上ということもあり、石丸は左右田がどのような人間なのか詳しくは知らなかった。登下校時に出会うくらいで、あまり会話らしい会話をしたことも無く、殆ど名前と才能を知っているだけの他人であった。
 疑うにしても、まず相手を知らなければ。その結論に至った石丸は、有言実行と言わんばかりに、その日から左右田を尾行ることにした。
 と言っても石丸は超高校級の風紀委員。授業を抜けてまで追跡をすることはせず、授業を終えてから尾行ることにした。


 一日の授業を終えた石丸は、皆に挨拶を済ませると、すぐさま左右田を探した。探すと言っても学年が上なだけで、授業の終了時間はどの学年も同じである。
 なので左右田の学級へ行けば良いだけのことであった――のだが、石丸が左右田の学級へ辿り着いた時、左右田の姿は既に無かった。
 まさか休み? いやいや、朝に会ったではないか。いつもと同じように、あの派手な格好を改めるよう言ったではないか。ならば何処へ?
 ううんと唸りながら石丸が考えていると、彼に気付いた左右田の同級生――超高校級の王女、ソニア・ネヴァーマインドが石丸に駆け寄った。
 何か御用ですか? そう問うソニアに、石丸は正直に左右田の行方を尋ねた。別に疚しいことをしている訳でもないので、左右田の同級生に彼の行方を聞いた方が早い。そう考えたからである。
 するとソニアはにこりと微笑み、左右田さんなら図書室へ行きましたよ――と石丸に教えた。
 ――図書室?
 石丸は疑問に思った。不良である筈の左右田と図書室との組み合わせが、あまりにも違和感だったからである。
 しかしソニアが嘘を吐いている様子も無い。第一に、嘘を吐いてまで左右田を隠す必要性が見付からない。なので石丸はソニアに礼を述べ、学園内にある図書室へと向かった。
 何にせよ、左右田の素行を調査せねばならない。その思いを胸に図書室へやって来た石丸は、静かに扉を開け、中へ入った。


 左右田を見付けることは容易かった。何しろあの派手なつなぎ服と髪だ、遠くに居てもすぐに判る。彼は椅子に座り、机に本を何冊か山積みにし、何かの本を読みながらノートらしきものに何かを書いていた。
 何をしているのだ? そう思いながら石丸は左右田に近付く。左右田は作業に夢中で石丸に気付かず、黙々と鉛筆を動かしている。
 本の表紙が目視出来る程に接近した時、石丸は驚愕した。左右田が今読んでいる本が、数学の参考書であったからだけではない。山積みにされた本の全てが参考書であり、その参考書の教科も様々で、希望ヶ峰学園で学ぶ基本的教科を網羅していたことに驚いたのである。
 左右田は超高校級のメカニックなので、それ関係の本を読んでいるのだろう。そう思っていた石丸にとって、それは凄まじい衝撃であった。思わず、勉強している――と呟いてしまう程に。
 静かな図書室では石丸の呟きも大きく聞こえるもので、左右田は漸く自分のすぐ隣に石丸が立ち尽くして居ることに気が付いた。
 石丸を認めた瞬間、左右田の顔が引き攣る。そして小声で、また文句を言いに来たのかと石丸に尋ねた。
 石丸はその言葉で我に返り、今回は偶々図書室へ来ただけで、格好を改めるように言いに来た訳では無いと伝えた。嘘を吐いたことで石丸の良心がちくりと痛んだものの、その嘘によって左右田はすんなりと石丸の嘘を信じ、そうか――とだけ言い、また作業へ戻った。
 左右田が作業に戻ってしまったので、石丸はどうすれば良いのか判らなくなったが、本来の目的である左右田の素行調査を思い出し、彼の行っている作業を観察することにした。
 左右田はかりかりと鉛筆を鳴らしながら、外見にそぐわぬ綺麗で小さい字をノートに書き連ねている。その内容は今読んでいる数学のもので、解き方を判り易く丁寧にノートへ書いていた。
 勉強しているのですか――見れば判るようなことを、石丸は思わず聞いてしまった。すると左右田は作業を止め、はにかみながら歯を剥き出しにして笑った。


 ――授業受けてるだけじゃあ覚えられねえからな。それに友達にちょっと残念な奴が居るから、其奴にも教えてやんねえといけねえし。だからこうして教えられるように纏めたり、勉強してんだよ。


 そう言ってにっこりと笑う左右田に、石丸は反射的に勢い良く土下座をぶちかました。
 ごつんと図書室の床に頭突きを食らわせ、石丸は泣きながら謝罪をした。その所為で他の利用者達が、何だ何だと左右田達の方を見遣る。
 左右田自身何が何だか判らず、石丸に頭を上げるように促すも、石丸は頭を上げようとはしなかった。そして石丸は床に頭を打ち付けながら、今までのことを洗い浚い左右田に打ち明けた。
 左右田をただの不良だと思っていたこと、努力などしない人間だと思っていたこと、テストでカンニングをしたんじゃないかと疑っていたこと、そして素行調査をする為に近付いたこと――何もかも包み隠さず、泣きながら呻くように話し、疑ったことを謝った。
 突然の告白に面食らう左右田だったが、何とか落ち着きを取り戻し、石丸を必死に宥めて頭を上げさせ、石丸にこう言った。


 ――気にすんなって。怒ってねえし、吃驚はしたけど。だからその、これからは仲良くしてくれよ。なっ。


 そう言って左右田は石丸に手を差し出し、人好きのする笑顔を浮かべた。
 その瞬間、得も言われぬ衝撃が石丸の身体と心を貫いた。春風に包まれたかのような心地良さと、凩に身を晒すかのような切なさが石丸に襲い掛かり、胸が異常に高鳴る。
 普段よりも早く脈を打つ自身の心臓に疑問と恐怖を覚えながらも、石丸は差し出された左右田の手をしっかりと握った。温かく、そして力強い左右田の手の感触に、石丸は頭から熱湯を被せられたような熱さを覚える。
 何だ、何なのだこの感覚は。自分の身体に起こっている不調に胸中で恐慌に陥っていると――突然左右田が石丸の額に自身の額を押し当て、こう言った。


 ――何かお前、顔真っ赤だし熱いぞ。風邪でも引いたのか?


 己の眼前、目の鼻の先。少しでも動けば唇と唇が触れてしまいそうな程の距離に左右田が居ることを認識してしまった石丸は、内から溢れ出る名前も知らない感情の波に飲まれ――白目を剥いて床に倒れ伏した。
 いきなり倒れた石丸に慌て、石丸石丸と呼び掛ける。そんな左右田の声を聞きながら、石丸は何故か奇妙な清々しさを覚え、これからもっと僕の名前を呼んで欲しいなと思いながら意識を手放した。

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