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思いっ切り左右田君に付き合った結果、夕食の時間をかなり越えてしまった。レストランには日向君と花村君、そして田中君しか居ない。
恐らく、他の皆は自分のコテージに戻ったんだろう。この強制労働――げふん、学級目標は疲れるからね。多分何人かはもう寝ていると思う。特に七海さん。
「あっ、狛枝と左右田。遅かったじゃないか」
僕達に気付いた日向君が、そう言いながら此方に近付いてきた。彼の両手には、ラップに包まれた皿が二枚ある。ラップの上には箸が乗っていて、中身は――何だろう、ぐちゃぐちゃで判らないや。
「終里から飯を死守するのが大変でな。走り回った所為で混ざったけど、味は保証するから」
「んふふっ、僕の作った料理だからね! 見た目は残念になっちゃったけど、味は問題無いよ!」
「あの凄まじき闘いは、正に最終戦争そのものであった。被害がその混沌と化した供物だけで済んだのが奇跡に等しい」
終里さんから料理を守る為に逃げ回った所為で、中身がぐちゃぐちゃになったってことなのかな。どれだけ暴れたんだろう終里さん。見たかったなあ。
「ほら、早く食わないと終里が来るかも知れないぞ」
そう言って日向君は皿をテーブルに置いた。
「あ、ありがとうございます」
「良いって良いって。狛枝は兎も角、お前はちゃんと食べなきゃ駄目だからな」
左右田君の頭を撫でながら、日向君は僕の方をちらりと見る。そしてにこりと笑い、左右田に何かしてないだろうな――と、弾丸よりも強烈な言弾を撃ち込んできた。
言えない。愛撫しました――なんて言えない。日向君の笑顔が怖い。これが暗黒微笑ってやつなのかな、初めて見たよ。
日向君の笑顔にはらはらどきどきしていると、左右田君が突然声を上げた。
「狛枝さんに、こちょこちょ攻撃されました!」
そ、左右田くううううううううううううううううんっ! 何で言っちゃうのおおおおおおおおっ!
「――へえ。こちょこちょ攻撃、ね」
「はいっ」
「何処を擽られたんだ?」
「えっと、この辺りを」
そう言いながら左右田君は自分の胸や腹、脇に手を這わせた。その様子を見て、日向君は微笑んだ――顳に血管を浮かび上がらせながら。
あっ、これは僕死んだかも。
「狛枝、これから左右田に近付くの禁止な」
ふ、ふえぇぇっ。
――――
花村君の料理はぐちゃぐちゃになっても美味しくてお腹は満たされたけど、僕の心は満たされなかった。日向君に突き付けられた罰が、思いの外効いたらしい。コテージへ戻ってシャワーを浴びても、何だかすっきりしなかった。
ああ、気分が落ちるよ。落ち込むよ。これが絶望なんだね。僕の希望を取り上げるなんて、幾ら希望の象徴である超高校級の――何か判らないけど、日向君でも許さないよ。
もしこれで、日向君は何の才能も無い予備学科でした――という展開になったら、真っ先に見下して貶してしまいそうだ。
まあ、そんなことある筈が無いんだけどね。超高校級の皆と同じ修学旅行に参加しているんだから、彼も絶対何かの才能を持っている筈なんだ。今はちょっと忘れちゃっているだけで。
それにしても、自分の才能を忘れてしまうなんて――日向君って結構うっかりというか、抜けているのかな。もしかして忘れっぽさが何らかの才能に繋がって――いる訳無いか。あははっ。
ああ、それよりもう寝なきゃ。明日も早いんだ、強制労働が待っている。あっ間違えた、学級目標学級目標。つい強制労働と間違えちゃうよね、文字が似てるよね。似てる似てる。
――ああ。それよりも、明日からまた僕一人で掃除なんだね。
日向君、恨むよ本当に。ぼっちから左右田君を奪った罪は重いよ。モノモノヤシーンに幾らメダルを入れてもダブりしか出なくなる不運を日向君にかけてやる。
日向君へ呪いという名の不運電波を送りつつ、僕は電気を消してベッドへ横になった。今日は色々あって疲れたから、すぐに睡魔がやってきて瞼が閉じる――。
と思った刹那、こんこん――という音が聞こえた。閉じかけていた瞼を開き、僕はベッドから起き上がる。音の発生源は、外へ出られる唯一の扉――玄関扉からだ。
風で飛んできたものが当たっているのかと思ったけど、規則的で偶に不規則に叩かれる音は、どう考えても人為的なものであることが窺える。
こんな時間に、一体誰が?
もしかして――僕を殺しに来たとか? この生温い修学旅行に嫌気が差した誰かが、僕を殺しにやって来た?
――素晴らしいよ! 漸く僕は希望の踏み台になれるんだね!
わくわくしながら僕は扉へ駆け寄り、どきどき胸を高鳴らせて取っ手を掴み、ゆっくりと扉を開け――あれ?
「こ、こんばんは」
其処に居たのは意外や意外、月明かりに照らされた左右田和一君――推定六、七歳――だった。昼間に服探しをしていた時、序に探した黄色いパジャマを着ている。
あれ? 殺人鬼的な人じゃない? 子供の左右田君が僕を殺しに来た――なんてことある訳無いし、一体何の用だろう。何か枕らしきものを抱えているけど。
「どうしたのかな、こんな夜に」
そう尋ねてみると、左右田君はぎゅっと枕らしきものを抱き締め、上目遣いで僕を見詰める。
「あのっ、独りで寝るの怖くてっ。い、一緒に寝ちゃ、駄目ですか?」
――ふぇっ?
えっ。えっ、えっ。
一緒に寝る? 左右田君と?
ちょっと待って、駄目だって。拙いよ色々と。主に僕の理性的なものが。撫で回すだけじゃ済まなくなるかも知れないよ。
「駄目、ですか?」
心の中で苦悩している真っ最中の僕に、左右田君は涙目で追撃を食らわせてくる。
こ、断れない。僕だけの力じゃ断れないよ! 仕方ない、日向君の力を借りよう。
「だ、駄目じゃないけどね。でもね、さっき日向君が僕に『左右田君に近付くの禁止』って言ったしね」
「僕から狛枝さんに近付くのは禁止されてませんよっ」
うわああああああああああああああああっ!
こんな切り返しされるなんて思わなかった! 思わなかったよ! 素直に見せ掛けて、実は悪知恵が働くタイプなの? 末恐ろしいよ!
「で、でも」
「やっぱり駄目なんですか?」
だからその上目遣いは反則だってええええええええっ!
くっ、もう知らないからね。どうなっても知らないからね! 狼の巣に身を投げる行為だってことに後で気付いても、もう遅いからね!
「駄目じゃないよ、うん。多分大丈夫」
「よ、良かったっ。えへへ」
嬉しそうに微笑む左右田君が希望に満ち溢れていて辛い。撫でたい、撫でたいっ。抱き締めて撫で回したい。
溢れ出そうになる欲望をぐっと堪え、僕は左右田君の頭を撫でるだけに留めた。頭ならセーフだよ、セーフ。ああっ、もふもふしてる。柔らかい頭髪が僕の指に絡み付いて――。
「――ふうっ。さあ、中に入って」
「今何で一息吐いたんですか?」
「ああ、うん。まあ、気にしないで」
一種の賢者モードというやつだよ――なんて言える訳もないので適当に唸って誤魔化し、左右田君をコテージの中へ招き入れた。
扨、中に入れてしまった訳だけど――どうしよう。本当に一緒に寝るの? やばいよ?
ああそうだ、僕が床に寝れば良いんだ。そうすれば何も問題は無いよ。
「じゃあ僕は床に寝るから、左右田君はベッドで――」
「一緒に寝てくれるんじゃないんですか?」
左右田君は僕の手をぎゅっと握り、目に涙を溜め、縋るように此方を見詰めてきた。
あっ、やっぱりベッドで一緒に寝るってことだよね。駄目だったね、うん。
「い、一緒に寝るよ。じゃ、じゃあ、ベッドで、一緒に寝ようっ」
「狛枝さん、汗だくですけど大丈夫ですか?」
君の所為だよ! 明らかに君の所為だよ!
でもそんなこと言えないから、大丈夫だよ――と言いながら、僕は震える身体に鞭を打ってベッドへ横になった。そして左右田君は僕のすぐ隣に転がり込み、持ってきた枕を頭に敷いて――僕の腕に抱き付いてきた。
ちょっと。
「そ、そそそ左右田君?」
「狛枝さんの腕、僕より大きいですねっ」
成長した君の腕の方がもっと大きいよ。すっごく逞しい腕だよ、うん。でもそんなこと言えない、言えないよ!
「あ、あの、左右田君」
「何ですか?」
左右田君は返事をしながら僕の身体に片足を乗せ、ずいと自身の身体を此方に寄せてきた。左右田君の足が僕に乗っている。
左右田君の、小さくて細くて軽い足が、幼子の御御足が!
あと、態となのか態とじゃないのか判らないけど、僕の股間に爪先がちょっと当たっているんだけど。
拙いよ、拙いよ。色々と危うい位置だよ。何とか注意しないと。
「そ、左右田君、あの――」
「何だかこうしてみると、兄弟が出来たみたいで嬉しいですっ」
ああ、うん。注意出来そうにないや。退いて欲しいなんて言えないよ、こんなに嬉しそうに笑っているんだもの。言えるとしたらその人は、鬼畜か空気読めない人だよ。
とりあえず煩悩を鎮める為にも、気を紛らわせるような話をしよう。そうすれば落ち着く筈。
「左右田君って、一人っ子なの?」
「はいっ。本当は兄が欲しかったんですけど、両親が『兄は無理だ』って言って。でも『弟ならいつか出来るかも』って言ってました」
小さな我が子相手に下ネタぶち込んでくるなんて凄い両親だね!
「そ、そうなんだ。あっ、実は僕も一人っ子でね」
「狛枝さんもですか」
「うん。僕は兄よりも、弟が欲しかったなあ」
「――弟、ですか」
そう反復した左右田君は僕の顔をじっと見詰め、もじもじと身体を捩らせながら口を開いた。
「――ぼ、僕みたいな弟は、どうですか?」
――ふぇっ?
「狛枝さんって、何だか不思議な感じですけど、悪い人じゃないというか。優しいし、格好良いし。僕、狛枝さんみたいな兄が欲しいなって」
お、おおぉっ?
「だから、その――い、今だけでも良いので、僕の兄になってくれませんか?」
うわああああああああああああああああっ!
えっ、何この展開。ちょっと、まさか義兄弟プレイに片足突っ込む感じのアレなの?
違うよねごめん、何か一瞬暴走しかけたよ。危ない危ない。
「べ、別に構わないよ」
「ほ、本当ですか?」
「うん」
冷静に振る舞って返事をすると、左右田君ははにかみながら笑い、お兄ちゃん――と僕に向かってか細い声で言った。
お兄ちゃん。僕に、お兄ちゃんって。僕に、僕に、僕に! まさかのお兄ちゃん呼び! 何これ夢かな、幸運の絶頂過ぎて死にそうだよ!
「お、おお、お兄、ちゃん?」
「あっ、凪にぃの方が良いですか?」
其処じゃないよ! 其処じゃないけど有り難う御座います!
「よ、呼び方は任せるよ」
「じゃあ、やっぱりお兄ちゃんで」
えへへ――と天使のように微笑む左右田君は、小悪魔のような危なさを孕んでいる気がする。つい手が出そうだよ、出したら人生終わるけど。天使のような小悪魔だよ、うん。
これが生殺しってやつなのかな。左右田君と最高の状況にまで発展した幸運と、手を出せば死ぬという生殺しの不運で釣り合っている感じかな。
うん、釣り合っているね。絶望的なまでに。凄く辛い。
「お兄ちゃん、大丈夫ですか?」
そう言って左右田君は小首を傾げ、僕の顔を覗き込んできた。窓から差し込む月光の所為か、何だかとても扇情的に見える。
まるで僕を誘惑しているようで、ようで――。
「――ふぇっ?」
僕は思わず、左右田君にキスをしてしまった。
柔らかい。左右田君の唇、男の子なのに凄く柔らかい。子供だからかな。でも、高校生な左右田君の唇も柔らかいかも知れない。
食むように左右田君の唇を自分の唇で愛撫すると、彼は身を震わせて口をぎゅっと固く閉じ、僕の服を握った。
ああ、何て可愛い反応なんだろう。このまま食べてしまいたいよ。ごくりと生唾を飲んだ僕は、左右田君の唇に舌を這わせ――。
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