独居

 
「俺今、一人で暮らしてんだ」

 昔からの友人である左右田和一と偶然街中で再会した俺は、お互い今日が休日だったこともあり、久し振りに色々と話をした。
 今何をしているのかとか、誰と誰が付き合っているのかとか、話題が尽きることは無かった。
 だけど何時間も立ち話は辛いということになり、現在俺は左右田に連れられ、左右田が今住んでいるというマンションへ向かっているところだ。
 喫茶店で良いと言ったのだが、左右田の手持ちが無かったことと、左右田の家が近かったこともあり、家でのんびり話をしようということになったのである。

「マンションで一人暮らしか、良いなあ。俺なんか会社の寮だぞ」
「良くねえよ、一人って寂しいし。隣が何をしている奴かも判んねえし、怖いぜ」
「ははは。まあ、今時はそんなものだろうな」

 たわいない話をしながら歩いていると、左右田が住んでいるマンションとやらに辿り着いた。おんぼろかと思いきや、かなり立派な今時のマンションである。

「凄いな、家賃幾らだよ」
「会社が持ってくれてるから判んねえ」

 そう言って左右田はマンションの玄関部分に入って行く。
 今時のマンションらしく暗証番号で中に入るようで、左右田は慣れた手付きで数字を打ち込み、強固な扉を開けて中へ入った。俺もその後に続き、中へ入る。
 俺の寮とは大違いで、床も壁も白くて綺麗なものだ。

「綺麗だな、新築ってやつか」
「ああ、建って三年らしいわ」

 どうでも良いと言いたげな左右田は、歩きながらエレベーターを指差す。

「俺の家、六階だから」

 そう言って左右田がエレベーターに乗り込んだので、俺も一緒に乗り込んだ。
 そして六階に着いた俺は、左右田と共にエレベーターを降りる。綺麗ではあるものの、人が住んでいるのか判らないくらい静かで、少し寂しいところだなと思った。

「きょろきょろしたって何もねえよ。ほら、こっち。此処が俺の部屋」

 左右田が手招きをして俺を呼んだので、小走りで左右田の下へ行った。
 左右田が部屋の扉を開ける。玄関は意外にも綺麗なもので、靴がきちんと並べられている。
 一足だけ左右田好みとは思えない、薄茶色の地味な靴が置いてあった。多分間違って買ったか、公的な場所へ行く時用なのだろう。
 しかし、左右田のものにしては少し大きいような――いや、気の所為かな。

「へえ、ちゃんと片付けてあるんだな」
「玄関だけな」

 靴を脱いで玄関を上がり、中へ入ると――ああ、うん。本当に玄関だけだった。
 相変わらず雑というか、居間は機械の部品やら工具やらが大量に置かれ、足の踏み場が殆ど無い。おまけにテーブルや椅子の上にまで、機械の部品が積まれている。
 此奴はいつも、何処で食事をしているのだろうか。まさか床で食っているのか? 駄目人間過ぎるぞ。

「片付けろよ」
「これで良いんだよ、要るものが其処に在るんだから」
「いやでも、生活が出来ないだろう」
「大丈夫大丈夫、寝室は綺麗だから」

 ひょいと跳ねるように物を避けて移動する左右田に倣い、俺も真似をして後を追う。
 途中で転けそうになったが何とか堪え、無傷で寝室とやらに辿り着くことが出来た。
 帰りのことは考えたくない。今度こそ転けてしまいそうだしな。

「ああ、本当に寝室は綺麗なんだな」

 一人で寝るにしては大きめの寝台が据えられた部屋は、居間と比べて綺麗なものだった。
 いや、寧ろ殺風景かも知れない。寝台を除くと、箪笥と本棚、あと机と椅子くらいしかない。

「まあ、床なり椅子なり寝台になり座って待ってろよ。ちょっと冷蔵庫漁ってくるから」

 そう言うや否や、左右田は俺を置き去りにして寝室を出て行った。
 何処にでも座って待っていろということだが――とりあえず本棚でも漁るか。どうせ機械関係の参考書ばかりだろうが、もしかしたら助平な本があるかも知れないしな。
 そう思って本棚に近寄り、一冊々々確認する。案の定というか、矢張り機械関係の本ばかりだった。全く、本当に彼奴は機械馬鹿で――あれ?
 何冊か、機械関係とは思えない本があった。一冊だけ取り出し、表紙を見る。題名は「希望と絶望」というもので、何だかおどろおどろしい雰囲気の表紙だ。
 他の本も取り出し、表紙を見てみる。どれもこれも不気味で、中身を見なくても判るくらいの狂気に満ちていた。
 怖がりの彼奴が読むとは到底思えないのだが、俺の知らない間に、そういうものに対する耐性が出来たのかも知れないな。
 良いことだ。彼奴はすぐにびびる、どうしようもない臆病者だったからな。取り出した本を元の場所に戻しながら、俺は左右田の成長を嬉しく感じていた。
 扨、次は寝台の下を漁ってやるか。彼奴のことだ、きっと此処に厭らしい本や道具を隠しているに違いない。本棚に無いなら、絶対に此処だ。
 俺は期待に胸を膨らませながら床へ這い蹲り、寝台の下を覗き込んで――。


 ――目が、合った。
 二つの目が、俺のことを見詰めている。
 それは俺を見ながら、にこりと微笑んで――いらっしゃい――と囁いた。


 俺はすぐさま立ち上がり、逃げるようにして左右田のところへ駆けた。途中で色々踏んだり蹴り飛ばしてしまい、足が痛い。
 でも、そんなことはどうでも良い。早く、早く左右田に伝えなければ――。

「――左右田っ、左右田ぁっ!」
「あ? 何だよ、そんなに慌てて。ちゃんと菓子と飲み物くらいはあるっつうの、心配すんな」

 そう言って暢気に冷蔵庫からコーラを取り出している左右田に、俺は食って掛かった。

「そ、そんなことで来たんじゃない! あ、あの部屋にっ、あの寝台の下に!」
「寝台の下ぁっ? あっ、お前、勝手に漁りやがったのか!」

 しまった、ばれた――いや、それよりもだ。

「し、寝台の下に誰か居るんだよ!」
「は? 何言ってんだ?」

 可哀想なものを見るような目で、左右田が俺を見詰めている。
 俺は込み上げてくる怒りをぐっと抑え、左右田の手を掴んだ。そして無理矢理引っ張り、左右田を寝室へ連れて行く。

「ちょっ、痛いって! 何処へ連れて行く気だよ!」
「寝室に決まってるだろ!」
「は? つうか、コーラと菓子が」
「そんなものはどうでも良いから、早く来い!」

 俺は床に散乱した工具を足で蹴散らしながら、ぎゃんぎゃん喚く左右田を連れて寝室へ戻った。そして寝台を指差し、左右田を見遣る。

「あ、あの下だ。あの下に――ひ、人が居たんだ!」

 恐怖やら緊張で混乱している所為か、上手く喋ることが出来ない。そんな俺を見て、左右田は苦笑しながら首を竦めてみせた。

「おいおい、まさか寝台の下に泥棒が居るってえのか? このマンション、防犯設備完璧なんだぜ。おまけに俺特製の防犯機器も設置してあるし、泥棒なんかが入って来れる訳ねえだろ」
「そ、それでも居るもんは居るんだから仕方無いだろ! 本当に居るんだよ、其処に、其処に――そ、そうだ。警察、警察を呼ぼう」

 漸く俺は、まともな解決策を思い付いた。
 そうだよ、最初から警察に連絡すれば良かったのだ。左右田を此処に連れて来る必要なんて――。

「――お、おい! 何してんだよ!」

 俺が懐から携帯を取り出そうとした瞬間、左右田は床に這い蹲り、寝台の下へ頭を突っ込んだのだ。

「あ、危ないだろ! 何してんだよ!」
「――いや、何にも居ないぜ?」

 そう言って左右田はすっと立ち上がり、俺の方を見遣る。歯を剥き出しにしながら、にっこりと笑って。

「え、えっ? いや、でも」
「何にも、居ないぜ?」
「でも、其処に、確かに――」

 居たんだよ――そう続けようとした瞬間、寝台の下から手が這い出てきた。
 不気味な程に白い、病的な肌の手が。

「あ、ああっ――あ、あ、そ、左右田――手、手が、手――」

 震える手で寝台の下を指差して訴えるも、左右田は一向に寝台の方を見ない。俺を凝視し、にこにこと笑っているだけだ。
 ずるりと、もう一本手が生える。
 俺は口を開閉することしか出来なくなり、声が出なくなった。そんな俺を見て、それでも左右田は笑っている。
 今度は頭が出てきた。真っ白な、病人のように真っ白な髪を生やした頭が。
 それがずるずると衣擦れの音を立てながら、ゆっくりと寝台から這い出て――幽鬼のように立ち上がる。
 それは、作り物のように綺麗な顔立ちの男だった。
 白髪で、灰色の瞳をした、白い肌の、人形のような男だった。生気が感じられない、まるで――そう、死人。死人だ。
 その死人はふらふらと、覚束無い足取りで左右田の背後へ歩み寄り、そして――左右田を包み込むように、ぎゅっと抱き締めた。
 それを見た俺が喉から絞り出すような悲鳴を上げても、それでも左右田は笑顔のまま、俺を見詰めて口を開く。

「――ほら。俺今、一人で暮らしてんだから、誰も居ないだろう?」

 機械のように感情の込もっていない声音で、左右田は笑ってそう言った。
 そして死人が、左右田の身体を慈しむように撫で回し、うっとりとした様子で、愛を囁くように「おかえり、左右田君」と言っ、て――あ、あああ、ああああああ――。

「――う、うわ、うわああああああああああっ!」

 俺は逃げた。工具を踏み付け、機械に足を打ち、転びそうになりながらも、俺は全力で逃げた。
 気付いたら俺は、マンションの外に居た。靴を履き忘れていたが、あの家に戻るのは絶対に嫌だったので、俺は靴下のまま寮へ帰ることにした。
 追い掛けて来ないか不安で、何回も何回も後ろを振り返って見たが、結局左右田も死人も、俺を追って来ることはなかった。
 そして俺は無事に寮へ辿り着いた。寮の奴等から「靴はどうしたんだよ」と聞かれるも、どう説明すれば良いのか判らず、俺は話を逸らすことしか出来なかった。




――――




 あれから数日、俺は左右田に電話をしたりメールを送っているが、未だに返事は来ない。
 結局あの死人は生きた人間だったのか、本当に死んだ人間だったのか、左右田とどういう関係なのか、何故あんなところに潜んでいたのか、俺には何も判らない。


 ただ一つ判ることは、左右田はもう――俺の知っていた、あの頃の「左右田和一」ではないということだけだ。


 携帯を弄り、電話帳を開く。そして俺は――左右田和一に関するデータを削除した。
 恐らくもう、彼奴と会えることは無いだろうから。

[ 216/256 ]

[*戻る] [進む#]
[目次]
[栞を挟む]


戻る


「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -