がぶりと、狛枝の左前腕に噛み付いた。
 俺の鋭利な歯が狛枝の皮膚に突き刺さり、其処からじわりと血が滲む。真っ赤なその血を見る度に、狛枝も血の通った人間なのだと再認識し、胸が締め付けられるような感覚に襲われた。
 溢れ出た血が、重力に従って下に垂れる。それを俺は自分の長い舌で舐め取り、味を堪能する為に口内で舌を転がせた。
 機械のように鉄臭く、塩気を帯びた腥い味だ。美味くもなければ不味くもないのに、何故か癖になる。
 自分でも異常だとは思っているが、どうしても血を飲むという行為を、今の今まで止めることが出来なかった。
 恐らく、これから先も止めることは出来ないだろうが。

「美味しいかい?」

 自分の血を飲まれているというのに、狛枝は嬉しそうにそう尋ねる。俺は「別に」と答えるのが申し訳無くて、いつものように無言で頷くことしか出来なかった。

「そう、良かった。下劣で下等な僕の血だから、味に自信が持てないんだよね。毎日食事に気を遣っているし、適度な運動も欠かしていないんだけど」

 そう言って狛枝は恥ずかしそうに笑い、あと増血剤も飲んでいるよ――と付け足して、また笑った。

「其処までしてんのかよ」

 俺は思わず、突っ込みを入れてしまった。
 今まで飲んできた血の中で一番増しな味だと思っていたら、まさかそのような努力と気遣いによって作り出された血液だったなんて――夢にも思っていなかった。
 妙なところを気にする奴だとは思っていたが、俺の為だけに其処までするとは。

「当然だよ、左右田君の飲む血だもの。そこら辺の蚊が吸うような、どろどろで脂っこくてヘモグロビンの少ない、不健康で劣悪な血を左右田君に飲ませる訳にはいかないよ」

 狛枝は至極真剣な表情でそう言い、そして爽やかな笑みを湛えて俺を見た。

「それにね、僕は感謝しているんだよ。勿論、左右田君にね。僕の身体なんてどうなっても良い、皆の希望が輝くなら、この身を捧げて踏み台になる――そう思っていた僕の血を、左右田君が必要としてくれたから――」

 言葉を溜め、狛枝が再び口を開く。

「――だから僕は、今までの退廃的な生活を見直したんだ。野菜を沢山食べるようにしたし、睡眠もしっかり取るようにして、運動もちゃんとするようにしたんだよ。お蔭で僕は健康になったんだ、有り難う左右田君」

 俺に礼を述べると、狛枝は血を舐め取っている俺の頭を撫で、有り難う左右田君――とまた言って莞爾とした。何故かちくりと、胸が痛くなる。

「そんなこと俺は頼んでねえし、お前が勝手にしたことだろ」

 狛枝の主張を否定してやれば、あくまで笑顔を絶やさず、狛枝が口を開く。

「そうかも知れない。そうかも知れないけど、左右田君が切っ掛けとなって今があるんだから、やっぱり左右田君のお蔭だと思うよ。有り難う」

 心底嬉しそうに礼を言う狛枝に、俺は申し訳無さと罪悪感を覚えた。
 感謝されることなど、俺はしていない。俺が一週間に一、二回噛む所為で、狛枝の腕は傷だらけになっている。
 瘡蓋が至るところにあり、痕が残っているものもあった。白くて綺麗だった狛枝の腕は、俺の所為でぼろぼろになっている。
 恨まれることはあっても、感謝されるなんて――可笑しいじゃないか。

「礼なんて、言うなよ。こっちが言うべきことだろ、それは」

 自分でも情け無いと思う程に、俺の声は震えていた。

「――有り難うな」

 狛枝の痛々しい腕を見詰め、先程付けてしまった傷口を舌で舐める。傷を癒すように、懺悔するように。
 狛枝はそんな俺を見ながら微笑を湛え、愛おしむように腕の古傷を指で撫でた。

「良いんだよ、左右田君は感謝しなくても。感謝するのは僕の方だから。左右田君に付けて貰ったこの痕は、僕にとって素晴らしいものなんだよ。希望の担い手である左右田君に付けられた傷痕――その事実が、僕に悦びと希望を与えてくれるんだ」

 囁くようにそう言い、狛枝は俺が新しく付けた傷口を撫でる。

「有り難う左右田君。この腕は一生、大事に大事にするよ」

 にこりと笑った狛枝の顔は、宝物を手に入れた子供のように無邪気なものだった。




――――




 昔のことを、思い出してしまった。
 吸血症などという異常な性癖に悩まされていた、あの頃の自分と――それに付き合わせていた、狛枝のことを。
 狛枝を見遣る。未だにプログラムから目覚めない此奴は、機械の寝台に横たわった儘、身動き一つしない。まるで棺桶に寝かされた死体のようだなと、思わず笑ってしまいそうになる。
 でも、此奴はまだ生きているのだ。死体などではないのだ。
 狛枝が入っている機械の、透明な強化硝子の蓋をそっと撫でる。
 蓋を開けることは許されないから、狛枝を撫でたという気分を味わうだけだ。酷く虚しい、惨めな行為と知りながら。
 狛枝が其処に居るのに、直接触れることが出来ない。何て絶望的なのだろう。触れたいのに、またあの頃のように――いや、もう無理か。
 だって狛枝は宝物を捨てて、絶望を拾ってしまったのだから。
 もうあの頃みたいに、俺達は触れ合えない。此奴が起きて、俺にそれを望んだとしても、何もかもが手遅れなのだ。
 死んだように眠っている狛枝を見る。狛枝の左前腕は、傷一つ無く綺麗で――俺が絶望的に大嫌いな、あの女の腕だった。

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