賽の河原

 
「何、やってんだよ」

 ジャバウォック島の山にある河原で、地べたに座り込んだ狛枝凪斗が、こつりこつりと小さな音を立てながら、黙々と石を積み上げていたのだ。
 その現場に偶然出会してしまった左右田和一は、その異様な光景に対して困惑し、思わず話し掛けてしまったのである。
 しまった――と左右田が思った時は既に遅く、狛枝は左右田の存在に気付き、やあ左右田君――とにこやかに話し掛けてきた。
 話し掛けてしまった手前、無視をして逃げる訳にもいくまい――と、お人好しな性分を抱えてしまっている左右田は、嫌々ながらも狛枝の傍へ歩み寄り、積み上げられた石を一瞥して狛枝を見据える。

「なあ、何やってんだよ」

 とりあえず左右田は、再び同じ質問を投げ掛けることにした。何の意図があってそのようなことをしているのか、純粋に気になったからである。
 すると狛枝は愉快そうに笑い、石を拾いながら左右田にこう言った。

「石を積んでいるんだよ」

 それは判ってんだよ――と怒鳴りそうになるも、左右田はぐっと堪える。
 怒鳴ろうが貶そうが狛枝が動揺しないことは目に見えており、そうすることで体力を削られるのは此方だと、既に左右田は学習しているからだ。

「――何で、石を積んでるんだよ」

 質問の内容を変え、再び左右田が狛枝に尋ねる。
 此処で逃げれば負けたような気分になるからという、陳腐で矮小な誇りの為に、左右田はこの場に留まることを選択したのだ。

「何で、か。左右田君は『賽の河原』って知ってる?」

 左右田の問いに対して狛枝は、石を積みながら左右田に聞き返した。
 質問に答えろよと思いながらも、狛枝にそんなことを言っても意味が無いと悟り、左右田は小さな溜息を吐く。

「ああ、知ってるぜ。確か、死んだ子供が逝くところだろ。石を積んで――」

 其処で左右田は、狛枝の行っていることが何なのかに気付いた。
 賽の河原で石を積む子供のように、この河原で石を積んでいたことに。

「――悪趣味過ぎるだろ、お前」

 嫌悪感を隠すこと無く左右田がそう吐き捨てると、狛枝は莞爾として再び石を拾い、石塔と化しつつある山の上に乗せた。

「悪趣味? そうかな。とても希望溢れる行為だと思うけど」
「何処がだよ」

 反射的に左右田が突っ込むと、狛枝は不思議そうに首を傾げ、また石を拾い上げる。

「賽の河原には鬼が居るじゃない、一生懸命積んだ石塔を壊す鬼が。何回も何回も、積んでは壊され積んでは壊されの繰り返し。でも最後には、地蔵菩薩が救ってくれるんだよ。繰り返される絶望によって、大いなる希望を引き寄せることが出来るんだ。素晴らしい行為じゃない」

 うっとりとした様子で語る狛枝は、本気でそう思っていることが明らかで――左右田は言いようの無い気持ち悪さを覚え、全身に悪寒が疾った。

「――何が素晴らしい行為だよ。虐めじゃねえか」

 なけなしの虚勢を張りながら左右田が反論すると、狛枝は首を横に振って気味の悪い笑みを浮かべた。

「虐め? それは違うよ。あれは希望をより大きなものにする為の試練なんだ。積み重ねた絶望の末に、希望が満ち溢れるんだよ」

 そう言って狛枝は、石塔の上にまた石を積んだ。

「一つ積んでは父の為」

 狛枝が石を拾い、石塔に積む。泣いているような笑っているような声で、そう口遊みながら。
 ぞくりと、左右田は恐怖を覚えた。

「二つ積んでは母の――」
「――止めろよ」

 殆ど発作的なものであった。
 左右田は片足を曲げ、狛枝の積み上げていた石塔に思い切り蹴りを入れていたのだ。
 その一撃により石塔は無惨に壊され、石が辺りに飛び散る。どれが先程まで石塔を構成していた石なのか、もう誰にも判らない。
 ごろごろと転がっていく石の群れを見遣り――左右田は漸く、自分の行動がどれほど残酷なものかを自覚した。
 壊すのは虐めだと反論していた自分が、その虐めを狛枝へ行ってしまったことに。

「あ、ああ――ごめ、ごめん狛枝。ごめん、ごめんっ」

 虐めてしまった。
 傷付けてしまった。
 嫌われて――しまった?
 負の感情と最悪の展開が脳裏を駆け巡った左右田は地べたに跪き、顔面蒼白になって狛枝に謝罪を繰り返した。
 喩え狛枝であろうとも、嫌われて見捨てられることが恐ろしい。何て自分は情けないのだろう――そう思う左右田だったが、それでも許しを乞うことは止められなかった。

「ごめっ、ごめん――」
「――気にしなくて良いよ」

 狛枝はそう言って半泣きになっていた左右田の頭を撫で、穏やか笑みを湛えながら左右田の顔を見詰める。

「言ったじゃない、壊されることで希望が引き寄せられるって。今の絶望によって、希望がまた近付いてきたんだよ。素晴らしいことじゃないか」

 嬉しいと言わんばかりの声色に、左右田は得体の知れぬ恐怖を覚えると共に――少しだけ安心した。
 狛枝が怒っていないことに。
 自分を嫌っていないことに。
 左右田が安堵の表情を浮かべ、小さく息を漏らす。良かった、見捨てられなかったと。
 そんな左右田を愛おしそうに見詰めながら、狛枝がゆっくりと手を伸ばす。伸ばした先には左右田の頬があり、狛枝は慈しむように左右田の頬を指先で撫でた。

「左右田君」

 狛枝が左右田の名を呼ぶ。隠し切れていない、狂気を孕ませた声で。

「良ければまた、壊してくれないかい?」

 左右田の頬を撫でていた狛枝の手が離れ、緩慢な動きで河原の石を拾う。
 そしてその石を、大きめの石の上に乗せた。

「僕が積んだ希望を、左右田君が壊すんだ。そうすることで希望は更に輝き、僕は絶対的な希望を引き寄せられる」

 こつりこつりと、狛枝が石を積む。

「一つ積んでは希望の為」

 再び狛枝が口遊ぶ。

「二つ積んでは希望の為」

 こつりと、石がまた積まれる。
 左右田はそれをただ黙って見ていることしか出来ず、狛枝が石塔を築き上げるまで動くことすら叶わなかった。

「――左右田君」

 結構な高さになった石塔に石を乗せた狛枝が、不意に左右田へ声を掛けた。その呼び掛けで左右田は我に返り、狛枝の積み上げた石塔を見る。
 どれだけ積めば完成なのか判らない左右田だったが、これ以上積めそうにないことだけは察することが出来た。

「完成、したのか」

 左右田がそう問うと、狛枝は不満そうに眉を顰める。

「まあね。でも左右田君、途中で壊してくれるんじゃなかったの? いつ壊すのかなって、わくわくどきどきしていたのにさ」

 そう言って石塔を見詰める狛枝に、左右田は反射的に謝りそうになるも、思い留まって反論した。

「いや、俺そんな約束してねえし。頷いてもいねえよ」

 左右田の言葉を受けた狛枝が、あっ――と小さく声を上げ、申し訳無さそうに微笑む。

「ああ、そういえばそうだったよね。ごめんね。また壊してくれるって、勝手に思い込んじゃっていたよ」

 恥ずかしそうに笑う狛枝を一瞥し、左右田は完成した石塔を見遣る。それに気付いた狛枝が、嬉しそうに左右田へ声を掛けた。

「もしかして、今から壊してくれるのかな?」

 玩具を買って貰える子供のように燥ぐ狛枝に対し、左右田は力無く首を横に振る。

「壊さねえよ。完成したんだろ、もう良いじゃねえか」
「でも――」

 それじゃあ希望が引き寄せられないよ――そう言おうとした狛枝の目の前に左右田の握り拳が突き出され、狛枝はその手を不思議そうに見詰めて口を閉じた。

「こんなことしたって、希望が引き寄せられる訳ねえだろ。気持ち悪いことしてる暇があるなら、ちょっと俺に付き合えよ。丁度俺、暇だから」

 そう言って左右田が握り締めた指を開くと、掌からぐしゃぐしゃになって紙が現れた。

「――お出掛けチケット?」
「そうだよ。言っとくけど、拒否権なんてねえからな」

 狛枝にチケットを押し付けると、左右田はすっと立ち上がり、狛枝を見下ろして怖ず怖ずと手を伸ばす。

「ほ、本当はお前みたいな意味判んねえ奴となんざ、真っ平御免なんだけどよ」
「真っ平御免なら、放って置けば良いのに」
「放っておいたら、またその悪趣味な遊びをするんだろ。何か嫌だ、想像するだけで気持ち悪いし。それならお前を連れ回して、こんなことする時間を取り上げてやった方が気分良いぜ」

 そう言い切った左右田は、早く掴めと言わんばかりに手を振る。
 差し伸べられた手と左右田の顔を交互に見た狛枝は、満面の笑みを浮かべながら恭しくその手を握り、ゆっくりと立ち上がった。
 そして愛おしむように左右田の手を撫で、自分の口元へ引き寄せたかと思うと――手の甲に、触れるだけの口付けを落とした。
 あまりのことに左右田は絶句し、硬直する。

「――左右田君は鬼であり、地蔵菩薩だったんだね」

 狛枝は呆然と立ち尽くす左右田に構うことなく、その手を握り締めて歩き出した。手を握られている左右田も、必然的に狛枝の後を付いて行く形となる。

「あの絶望だけで、こんなに素晴らしい希望を掴み取ることが出来るなんて――ああっ、素晴らしいよ。ねえ、左右田君」

 そう言って狛枝は、未だに思考が停止している左右田に向き直り、人好きのする爽やかな笑みを湛える。
 その呼び掛けによって左右田は正気を取り戻したが、それと同時に自分の下した選択が間違っていたことを思い知り――狛枝に口付けされた挙句、逃がすまいと握り締められている自分の手を見遣って、鬼でも地蔵菩薩でも良いから俺を助けてくれ――と胸中で泣いた。

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