花見と月

 

 お花見したいなって、独り言を呟いたんだ。教室の窓から見える校庭の桜が、あまりにも綺麗だったから。
 そうしたら丁度傍に居た左右田君が、じゃあ今日一緒に花見しようぜって言ったんだよ。
 でも今日は夕方まで授業があるし、希望溢れるこの学園の授業を抜け出すなんて、そんな恐ろしくて勿体無いこと出来る訳が無いから、無理だよって僕は言ったんだ。
 けれど左右田君は、夜桜でも良いじゃねえかって反論してきたんだ。
 確かに夜桜も良いけれど、未来を担う希望の一人である左右田君を、夜遅くに外へ連れ出すなんて危なくて出来ないって、僕は烏滸がましくもそう反論したんだよ。
 そうしたら左右田君、希望ヶ峰学園の敷地内が危険って言いたいのかって言ってきてね。
 そんなこと言われたら、否定するしかないじゃない。
 危険だって肯定したら、それは僕の大好きな希望すらも否定することになっちゃうんだから。
 希望は絶対。絶対的に良いものなんだ。だから僕は頷いたんだ、夜桜見物に誘う左右田君の意思を尊重して。
 それに、ちょっと嬉しかったんだ。左右田君に誘われて。少し避けられているみたいだったし、苦手だと思われているみたいだったしね。
 僕は何の長所も魅力も無い虫螻以下の人間だから、それは仕方無いことだって諦めていたんだけど――まさかこんな幸運に見舞われるなんてね。もしかしたら明日、僕は死んでしまうかも知れない。
 でも、良いんだ。左右田君と夜桜見物が出来るなら。それが僕にとって最期のお花見になったとしても、全く悔いは遺らない。
 いや寧ろ、その輝かしくて美しい思い出と共に逝けるなら、喜んで僕はこの命を捧げるよ――。

「――おい、狛枝。お前まぁた変なこと考えてただろ」

 ごつりと頭を軽く小突かれて、僕は漸く現実に帰ってきた。
 僕を小突いた犯人は左右田君で、彼は僕を訝しげに睨んでいる。暗がりの所為かな、左右田君の顔がいつもより怖く見えるよ。

「ああ、ごめんね。ちょっと幸せ過ぎて明日死ぬんじゃないかって思って」
「んな恐ろしいこと考えてんじゃねえよ。それより桜を見ろ、桜を。丁度今日は満月だから、すっげえ綺麗だぜ」

 そう言って左右田君が指差した先を見ると、満月の光に照らされた桜の木々があって――凄く幻想的で、昼間見た時よりもずっと綺麗で、思わず溜息が漏れ出てしまった。
 昼と夜とでこんなに違うなんて思わなかった。両親が生きていた頃に一回だけ昼間にお花見したっきりだったから、夜桜がこんなに素晴らしいなんて知らなかったよ。

「綺麗、だね。僕の貧相な語彙では表現しきれないよ」
「無理に表現しなくて良いっつうの。こういうものはな、感じりゃ良いんだよ。感じりゃあ」

 それよりもっと近くに行こうぜ――そう言って左右田君が桜の下へ寄って行った。僕も近くで見たかったから、左右田君の後に続いて桜へ寄ってみる。
 近付けば近付く程に桜はその美しさと偉大さを僕に誇示し、花弁を撒き散らして空間を支配している。まるで別世界に来たみたいだ、桜の世界に――なんてね。

「やっぱり近くで見ると迫力が違うよなあ。此処の桜、そこら辺の桜より立派だし」

 桜の幹を背凭れ代わりにして地べたに座り込んだ左右田君は、天を仰いでそう呟いた。
 確かに。希望ヶ峰学園の桜はどれもこれもが、その辺にある桜よりも立派だ。大きくて逞しくて、そして――希望が満ち溢れている。
 この桜達が毎年新たな希望を迎え入れ、そして送り出しているのかと思うと、言葉では言い表せない程の感動と尊敬の意を覚えるよ。

「おい。んなとこで突っ立ってないで、こっちに来て座れよ。ほら」

 ぼうっと桜を見て惚けている僕に対し、此処に座れと言わんばかりに左右田君が地べたを叩き始めた。
 その地面の下に桜の根があるのかと思うと、少し桜が羨ましいというか――いや、何でもないよ。それより左右田君の要求に応えなきゃ。
 僕は左右田君の誘う儘に近寄り、指定された場所へ腰を下ろした。すぐ隣には左右田君が居る。こんな至近距離に左右田君が居るなんて今まで一度も無かったから、何だかとても緊張しちゃうな。
 嗚呼、不愉快な思いをさせていないかな。生ゴミにも劣る害悪の塊みたいな僕が隣に居るなんて、左右田君に失礼じゃないのかな。凄く心配だ。
 疎まれるのも嫌われるのも仕方無いことだから構わないけれど、左右田君に嫌な思いをさせるのだけは避けたい。
 やっぱり僕如きが左右田君の隣に座るなんて身の程知らずで――。

「おい、何離れていこうとしてんだよ。そんなに俺の傍が嫌なのか、泣くぞ」

 どうやら離れる方が駄目だったらしい。左右田君は目に涙を溜めて、僕のことを睨み付けている。
 もう泣いてるじゃない――なんて突っ込みを、僕なんかが入れられる訳が無い。僕が原因でそうなってしまった訳だし、僕如きが左右田君にそんなことを指摘するのは失礼にも程がある。

「ごめんね。僕なんかが隣に居たら、不愉快かなって思って」
「不愉快だったら隣に座れなんて促さねえし、第一に花見しようなんて誘ってねえよ」

 そう、か。確かにそうだよね。僕のことが嫌なら、花見に付き合ってくれている筈が無い。
 左右田君は優しい人だけど、態々嫌いな人間を花見に誘うなんて意味の判らないことはしないだろうし。じゃあ僕は――。

「――僕は、左右田君に好かれてるのかな?」

 ぽつりと思ったことを口から漏らしてしまい、すぐにしまったと後悔した。
 何て身の程知らずなことを言ってしまったんだろう。左右田君が僕みたいなゴミ屑を好きな訳無いじゃないか。失礼過ぎるよ。
 不愉快じゃないだけで好きだなんて、僕の頭の中は花畑なんじゃないの。幸せな思考過ぎて反吐が出そうだよ。

「ごめんね左右田君、そんなことある筈――」
「――月、綺麗だな」

 慌てて訂正しようとした時、僕の言葉を遮るようにして左右田君が呟いた。左右田君は桜の枝の隙間から覗く月を見詰め、穏やかな表情を浮かべている。
 左右田君って、こんな顔も出来たんだ。
 いつも笑顔か泣き顔しか見たことが無かったから、とても新鮮で――少しだけ、どきりとした。

「――うん、綺麗だね」
「何で俺の方を見て言うんだよ、月を見ろって。ほら、桜の花と月の組み合わせ。まじでやばいぜ」

 そう促してくる左右田君に従い、僕も空を見上げてみる。
 凄く綺麗だ。花より団子なんて言う人も居るけれど、その人達はきっと、この美しさを知らないからそんなことが言えるんだ。
 物悲しくて壮大なこの光景を目の当たりにすれば、食べることを忘れて見惚れてしまうに違いない。
 ぼうっと空を見詰めていると、突然肩に重みを感じた。何事かと思って見てみると、左右田君が僕の肩に頭を乗せている。

「――どうしたの?」

 内心かなり動揺したけど、それを押し殺して尋ねてみる。すると左右田君は僕の肩に頭を乗せながら顔を此方へ向け、上目遣いで僕を見詰めながら微笑んだ。
 いつもの左右田君じゃないみたいで、何だか落ち着かない。静まって欲しいのに、心臓がどくどくと五月蠅い。熱い。

「狛枝ってさ、意外に体温高いんだな」

 左右田君が不意に僕の手を握り、愉快そうにそう言った。体温が高いのは君の所為だよ――なんてことを言える筈が無いので黙っておく。
 左右田君の手は、少しだけ冷たかった。

「左右田君は、体温が低いんだね」
「ちょっとだけな。ああ、寒い寒い」

 体温を取り込もうとするように、左右田君が僕の身体に擦り寄ってくる。その大胆な行動の所為で、僕の心臓が更に速く鼓動を刻み始めた。
 熱い。顔と身体が熱い。

「――寒いなら、もう寮部屋に戻る?」

 このままだと僕が色々と危ないので戻ることを提案したんだけれど、左右田君は首を横に振ってそれを拒否した。
 どうしたら良いのかな。このままだと僕、心臓が爆発して死んでしまうかも知れないよ。
 左右田君を見てみる。何を考えているのか判らないけど、嬉しそうに桜を眺めている。
 何だか邪魔するのが申し訳無いな。それに僕も、もう少しこうしていたい。
 心臓は潰れちゃいそうだけど、その犠牲によってこの幸運を享受出来るなら――うん、悪くない。
 抱き締める勇気は無いから、左右田君の手を握り返してみる。冷たいけど、今の僕にとっては心地良い体温だ。
 静かに舞い散る桜の花弁を見ながら、僕は少しだけ左右田君に寄り掛かり、彼の冷たくて優しい体温と夜桜を楽しむことにした。

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