色
「左右田君の髪色ってさ、生まれ付きなの?」
自室で解体作業真っ只中な俺の隣へ勝手に陣取り、そして勝手に俺の髪を触っていた狛枝が、突然そんなことを宣いやがった。
何を言っているんだ此奴は。一体何処の世界に、地毛が桃色の人間が居るというのだ。
俺は狛枝の手を振り払い、軽く舌打ちをしてから目を細め、歯を剥き出しにして狛枝を睨み付けてやった。
「んな訳ねえだろ、馬鹿か。これは染めてんだよ――見ろ、頭皮に近いところはちょっと黒いだろ」
そう言いながら手袋を外し、髪を掻き上げて見せてやれば狛枝は、左右田君の地毛は黒なんだね――と呟いて莞爾とした。
ねっとりとへばり付くような、狛枝の視線が気持ち悪い。
絡み付いてくる視線を掻き消すように髪を指で梳かした俺は、狛枝から目を背けて作業台に向き直り、手袋を付けて解体作業を再開した。
すると狛枝は愉快そうに小さく笑い、俺の髪にまた触れてきた。撫でるように、梳くように。慈しむように。
嗚呼、気持ち悪い。
「――左右田君、実は僕も生まれ付きじゃないんだ」
そろそろ追い出してやろうかと思っていた矢先、突然狛枝がそう言った。
何がだよ――と反射的に言ってしまいそうになるも、話の流れからして髪色に関することだろう。
嫌々ながらも狛枝を横目で見る。真っ白な、蒲公英の綿毛みたいな髪だ。普通この歳で白髪になるなんて、染める以外に方法など無い。
実は八十歳です――なんてことも無いだろうし、見た感じ肌は白いが、アルビノという訳でも無いだろう。
「へえ、何で染めたんだ?」
話題を振ってきたからには、何かしらの反応が欲しいのだろう。だから俺は特に何も考えず、当たり障りの無い質問を投げ掛けたのだ。
そう、当たり障りの無い質問のつもりだったのだ。
「両親が死んでから暫くしたら、こんな髪色になっちゃってたんだよ」
世間話でもするように、笑い話でもするように、息を吐くように――負の感情が込められていない、それが普通であると言わんばかりの回答が、狛枝の口から這い摺り出てきた。
失敗した。聞かなければ良かった。
此奴自身が何を思い、何を狙って言ったのかは知らないが、その答えを引き摺り出してしまったのは間違い無く俺で――嗚呼、これだから此奴と会話したくないのだ。背負わなくても良い罪悪感と、不用意な自身に嫌悪感を抱いてしまう。
だから此奴は、嫌なんだ。
「――そう、か」
謝りはしない。
謝ればきっと此奴は、自虐と言う名の加虐的発言で、俺を苛むに違いないから。
「うん、そうなんだ。左右田君みたいに染めた訳じゃないんだ。変だよね、この歳で白髪なんて」
謝らなくても自虐はするのか。頭が少し痛くなってきた。
俺は大袈裟に溜め息を吐いてみせ、解体を再び止めて狛枝に向き直った。
むかつくくらい、楽しそうに笑っていやがる。こっちはお前の所為で気分が落ちたというのに。態とか、態となのか。
「別に変じゃねえだろ。綺麗だと思うぜ、その髪。蒲公英の綿毛みたいで」
敢えて褒めているのか貶しているのか判らない言葉を投げてみる。
どうせ此奴は何を言ったって悪い方にしか考えないのだ。それなら嫌味の一つでも吐いて、俺の気分を少しでも軽くする方が余程有意義だろう。
此奴の生い立ちには同情するが、だからと言って此奴の言動を全て受容出来る程、俺は優しくも無いし大人でも無い。
第一に、此奴は本当に頭が可笑しい。受け入れるなんて到底無理だ。不可能だ。此奴を理解するということは、狂人の仲間入りすることと同意義だ。
そんなことは、御免被る。
「綺麗? 綿毛? あははっ、そんなこと言われたのは初めてだよ。嬉しいなあ、左右田君にそう思って貰えているなんて。取るに足らない僕如きに、そういった印象を抱いて貰っているなんて――感動的だよ」
「そりゃあ良かったな」
相手にするのが面倒になってきた。早く作業に戻って解体したいというのに。こんな奴を相手にしている時間なんて、俺には無いのだ。
「左右田君」
狛枝が、俺の名前を呼んだ。
狛枝が首を少し曲げると、白髪が炎のように揺れ動く。根元から真っ白な髪が、ゆらゆらと。
「左右田君。僕はね、元々黒髪だったんだ」
どうでも良い。
お前の髪が何色だったかなんて、どうでも良い。
「左右田君と、お揃いだったんだよ」
どうでも、良い。
「左右田君が何で髪を染めたのか知らないし、きっと君は僕なんかに教えてくれないだろうね。でも、僕達は同じ黒髪だったんだ。その事実だけは変わらない」
妙に熱っぽい狛枝の吐息が、俺の頬をぬるりと舐める。
気持ち悪い、気持ち悪い。いつの間に俺は、此奴に抱き締められていたのだろう。
嗚呼、不愉快だ。
「離せよ」
「僕なんかと同じだなんて不愉快かも知れないけど、僕は凄く嬉しいんだ」
「離せって」
「左右田君が僕と同じ髪色だったなんて、幸運じゃないか」
黒髪なんて、ありふれた髪色じゃないか。何が幸運だ。そうやってすぐ此奴は運に結び付けたがる。
気持ち悪い。不愉快だ。運なんて関係無いだろう。箱の中に猫の死体を入れたら、箱の中身は猫の死体だ。猫は生き返らない、揺るがない結果だ。中身は変わらないのだ。
既に決定されていた事実を提示されて、運だの何だのとほざくな。
「運なんて関係無えだろ」
「関係有るよ。こうして君と同じ人種に生まれてきたこと自体が運だし、同じ黒髪だったことも運じゃないか」
ああ言えばこう言う。本当に、本当に鬱陶しい。どうすれば此奴を黙らせられるのか――。
「――左右田君」
狛枝が俺の髪を一束掴み、それに口付けをした。思わず顔が引き攣る。不愉快過ぎて、罵声も浴びせられない。
「左右田君。もし君が黒髪に戻す日が来るなら、僕もこの髪を黒に染めて良いかな」
にっこりと、清々しさすら覚える爽やかな笑みを浮かべ、狛枝がそんなことを宣った。
嗚呼、やっぱり此奴は――。
「――気持ち悪い」
「あはっ、左右田君に罵って貰えるなんて幸運だなあ」
「だから運じゃ」
「だって左右田君って、罵るより罵られる方が多いじゃない。貴重だよ、嬉しいなあ」
罵られて喜ぶなんて、被虐嗜好か此奴は。人のことは言えないが。
大体、何故俺に許しを乞う必要があるのだ。狛枝が髪を黒に染めようが黄色に染めようが、そんなこと俺の知ったことではない。勝手にすれば良いだろう。
俺とお揃いが良いからとでも言いたいのか、拒絶されるのを承知で。
ああもう、気持ち悪い。理解出来ない。理解したくもないが、もやもやする。
「お前、本当に気持ち悪いな」
「また罵って貰えたね。嬉しいよ」
「変態かよ」
「そうかもね」
暖簾に腕押しとは正にこのことだな。
疲れた、精神的に。解体作業する気すらも失せてしまった、畜生。俺は両手の手袋を外し、床へ放り捨てた。
「あれ? 作業は終わり?」
自分の所為だと自覚が無いのか、将又自覚していながらも態と惚けているのか。どちらかは判らないが、狛枝は飄々たる態度でそうほざき、俺の顔を見詰めて微笑んでいる。
もう少し俺の気力が残っていれば、一発くらい殴ってやれたのだろうが――残念なことに、それだけの気力が無い。
「どっかの誰かさんの所為で、遣る気が失せたんだよ」
「そっか、それなら仕方無いよね」
そう言うや否や、狛枝は俺の身体に凭れ掛かった。そしてまた勝手に俺の髪を弄り始めやがった。止めろ。
「僕ね、左右田君のこの髪色も好きだよ」
「あっそう」
擽ったいし、此奴に弄られているという事実が嫌だ。嗚呼、段々苛立たしくなってきた。矢張り一発くらい殴って――。
「左右田君の髪なら何色でも好きなんだけどね」
「――あ、あっ、そう」
「今、動揺した?」
面白いものを見付けたと言うような、そのにやけた顔がとても腹立たしい。
「動揺してない」
「したよね」
「してねえ」
「大好きだよ」
「だ、黙れよ馬鹿」
「ほら、動揺した。可愛いなあ左右田君は。僕なんかにそんなことを言われるのは不快だろうけど、やっぱり可愛――痛っ」
あまりにも五月蠅いので、綿毛頭を平手で叩いてやった。拳骨じゃないだけ有り難いと思え。
「痛いよ左右田君」
「うっせえ馬鹿」
「――ところで左右田君、さっきの質問なんだけど」
痛いと呻きながらもにこにこ笑っていられる此奴は、俺より重症な被虐嗜好者かも知れない。
「何の質問だよ」
「ほら。君が黒髪に戻した時に、僕の髪を黒にして良いかって話だよ」
此奴――まだそんな気持ち悪いことを。
「本気だったのかよ」
「僕はいつだって本気だよ」
そう言って微笑む狛枝の眼は、どう見ても冗談のそれじゃなくて――そうだったな、此奴はそういう奴だったな。
「好きにすれば良いだろ」
「へえ、許してくれるんだ」
「ぎりぎり許容範囲なんだよ」
「受容はしてくれないのかな?」
「絶対に無理だ」
残念だなあ――そう言っている狛枝の顔は、全く残念そうでは無かった。
にやけやがって、本当にむかつく。嗚呼、此奴もいつか――。
「――ねえ、左右田君」
嬉しいのか馬鹿にしているのか判らない笑顔を貼り付けた狛枝が、作業台を一瞥してから俺をじっと見詰めた。
正と負の感情を綯い交ぜにした、正常で異常な眼光で。
「これは、どんな色だったのかな?」
そう言って狛枝は、作業台を指差した。
そんなこと、聞かなくても判っている癖に。本当に此奴は、気持ち悪くて不愉快で――ばらしたい程、愛おしい。
「それは、俺達とお揃いだったぜ」
腹の底から込み上げてくる、表現し難い感情を抑えながら教えてやると、こんなゴミ屑とお揃いだなんて絶望的だね――と言って狛枝は嗤い、俺も釣られてからからと嗤った。
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