――ああ、今日もまた採集か。面倒臭いなあ。
 服を着替え終わった俺は、ううん――と大きく伸びをしつつ、心の中で愚痴を零しながらコテージを出た。
 この不可思議な修学旅行は、まだ一週間ちょっと経ったばかりなのだが――少し飽きてきた。
 毎日同じことの繰り返しで、刺激がない。
 もっとこう――面白いイベントとか起こらないかなあ――。

「――日向。おはよう」
「ああ、左右田。おはよう」

 考え事――というか妄想をしながら外へ出ると、其処には左右田が居た。
 やけににやにやしている。何か良いことでもあったのか?

「嬉しそうだな、何か良いことでもあったのか?」
「――ははっ、朝から日向に出会えたことが嬉しいんだよ! こんなに希望溢れる素晴らしい朝を迎えられるなんて――俺は最高に幸せだ!」

 ――はい?
 えっ、これ誰だ。

「えっ、ちょっ、左右田? 大丈夫か?」
「ん? ああ、ごめんな日向。俺みたいな、どうしようもない愚鈍で下劣なゴミ屑に朝っ腹から出会ってしまうなんて――日向にとっては最悪だよな」

 そう言い切った左右田は、焦点の合わない目で俺を見た。
 左右田の、いつもの綺麗なピンクの瞳は――墨汁をぶち撒けてぐちゃぐちゃに掻き混ぜたような――濁ったものになっていた。
 何だ、何が起こった。
 というか。何処かで見たことあるぞ、こんな奴を――。

「――あはっ。おはよう日向君、左右田君。朝から君達二人に会えるなんて――僕は何てついているんだろう! こんなに希望に満ちた朝が迎えられるなんて、僕は最高に幸せだよ!」

 ――ああ、此奴だわ。

「狛枝。お前、左右田に何をした?」
「左右田君に? あはっ。僕みたいな、愚かで情けない蛆虫以下の人間が、左右田君のような希望溢れる人間に何かをするなんて――烏滸がましいにも程があるよ!」

 ああもう――朝からダブルでうっざいなぁっ!

「その口上もう止めろよ! 鬱陶しい!」
「ああ、ごめんね日向君。僕みたいな、他人に不快感しか与えることの出来ない屑肉のせいで」
「いや、だから――」
「ごめんな日向。俺みたいな、あまりにも駄目過ぎて使える用途が見付からない、屑鉄以下の廃棄物のせいだよな」

 もう止めて! 俺のライフはもうゼロよ!

「――あれっ? 左右田君、君ってそんなキャラだっけ?」
「ははっ、俺みたいな屑鉄にキャラなんてねえよ。ああ、こんな俺が一般人と同じ扱いなんて――烏滸がましいにも限度があるぜ!」

 あははははは――という、狂気に満ちた左右田の笑い声が響き渡る。
 そんな左右田を見た狛枝は――錆び付いた機械みたいな動きで、俺の方へ首を動かした。

「――日向君。左右田君が、壊れた」

 んなことは解ってんだよ馬鹿枝。

「――っもう、朝から何? モブ共が五月蠅いんですけど!」

 ああ、西園寺か――って、あれ?

「罪、木?」
「はぁ? 何? 日向さんってば、私の顔も忘れたんですか? ああ――これだからモブ顔は駄目々々なんですよねぇ。記憶力も虫以下なんて、悲惨ですねぇっ」

 ――うぇい?
 誰ですか此奴は。罪木の皮を被った西園寺ですか?

「おはよう罪木。ごめんな、俺みたいな声のでかい、騒音しか撒き散らさない害悪の塊なんかが喋ったら――五月蝿くて仕方ないよな」
「本当ですよ。ちょっとその口、縫い合わせてあげましょうかぁっ?」

 おい待て罪木、その針と糸を仕舞え。

「待て、落ち着くんだ二人共」
「ははっ、日向ぁっ。俺はいつでも落ち着いてるぞ。俺は何の役にも立たない、愚劣で卑劣な人間だから、希望と才能溢れる皆の迷惑にならないよう――いつも落ち着いて行動しているぜ!」
「五月蠅いですってば! 二度と喋れないようにしますよ?」

 うわあ、混沌。

「――あ、あはっ。僕、ちょっと用事が」
「待てよ狛枝」

 俺は逃げ出そうとしやがった狛枝の肩を掴んだ。

「逃がす訳ないだろ」
「でっすよねぇっ!」

 若干キャラ崩壊を起こし掛けている狛枝を盾に、俺はこの――左右田の皮を被った狛枝と、罪木の皮を被った西園寺と対峙することにした。




――――




「――という訳なんだ」

 何とか二人を黙らせた俺と狛枝は、二人を連れてレストランに行き――既に朝食を食べ始めていた皆に、先程起こった悲惨で悲愴な出来事を全て話した。

「それは真か?」

 訝しげに尋ねてきたのは田中だった。まあ、信じられないのも仕方ないっちゃあ仕方ないよな。
 俺は左右田の口に貼り付けたガムテープを、ゆっくりと剥がしてやった。

「――っはぁっ。ははっ、日向ぁっ。いきなりガムテープを貼り付けるなんて酷いじゃねえか。まあ俺は、誰にも好かれることのない、軽薄で薄情な糞便以下の人間だから――そんなことをされても文句なんて言えないんだけどなあ! あっはははははは――」
「――あっ、はい。信じました。左右田の口を閉じて、どうぞ」

 滑稽なまでの片言になった田中を一瞥し、俺は言われた通り――狂ったように笑い続ける左右田の口に、再びガムテープを貼り付けた。
 そして――不気味なくらいレストランは静かになった。ああ、居た堪れない。

「――とにかく、ウサミを呼ぼう。奴なら何かを知っているかも知れん」

 静寂を破るように提案したのは、我等がリーダー十神だった。流石十神、尤もな意見だ。

「それに賛成だ!」
「よし、なら呼ぼう」

 ウサミ――と皆で呼べば、何処からともなく兎型の縫いぐるみが現れた。

「はぁい、どうちまちたか? 皆であちしのことを呼ぶなんて」
「あれ」

 そう言って俺は、左右田と罪木を指差す。ウサミは小首を傾げながら俺の指の先――二人を見た瞬間、ほええっ――と叫んだ。

「なっ、何で二人共、身体にガムテープをぐるぐる巻かれているんでちゅか! 駄目でちゅよ! 皆仲良くちないと!」

 慌てふためくウサミを見ながら俺は、無表情で二人――左右田と罪木――の口に貼り付けたガムテープを剥がした。

「――っ、あははははっ! 何回も貼ったり剥がされたりしたら痛えよ日向ぁっ! ああでも、俺みたいな喧しいだけの無価値無意味な糞尿製造機なんかにこうして構ってくれているだけでも――有り難いと思わなきゃあ駄目だよな!」
「――っもおおおっ! 何で私を縛るんですかぁっ! 絶対許しませぇんっ! 得体の知れない液体を入れた、ぶっとい注射を打ち込んでやりますからねぇっ!」
「うわぁ」

 思わず漏れ出たのであろうウサミの低い声を、俺達は一生忘れないだろう。

「――えっ、と。二人共、大丈夫でちゅか? 頭とか、頭とか、あと頭とか」
「あはははっ、ウサミぃっ。俺はいつも通りだぞ? いつも通り、どうしようもない間抜けで愚かで小心者な生物の最低辺――左右田和一だぜ?」
「はぁ? 何で貴女なんかに頭の心配されなきゃならないんですかぁ? 中綿引き抜いて石ころ入れますよ?」
「うわぁ」

 ウサミよ、仮にも其奴等はお前の生徒だろう。そう何回も引いてやるな。

「で、ウサミ。何でこうなったのか、原因とか判らないのか?」

 ウサミの低い声を聞き飽きた俺は、原因について尋ねてみた。するとウサミは、何かを閃いたかのように手と手をぽんと合わせ、高らかに宣った。

「これは絶望病でちゅ!」

 おい。思い付きじゃないのかそれ。そんな病気聞いたことないぞ。

「ぜつぼうびょう? 何だそりゃ、食えんのか?」
「食べられまちぇん。食べたら駄目でちゅ!」

 終里を窘めたウサミは、あのでちゅねえ――と続けた。

「絶望病というのは、その名の通り絶望的な病でちて――死んだりはちないのでちゅが、このように性格が豹変ちてちまう、それはそれは恐ろちい病なんでちゅ――多分」

 おい、今小さい声で多分って言わなかったか。おい。

「――はぁ? そんな病気、私知りませんけどぉ? 保健委員だからって馬鹿にしているなら、メスでゆっくりじっくり解剖して差し上げますよぉ?」
「ひ、ひぃぃっ! 罪木さん、解剖反対でちゅ! あとこの病は風土病で、一般的には知られていない未知の病なんでちゅ! 知らなくても仕方ないことなんでちゅ!」

 見ていて面白いくらいに必死で説得を試みるウサミと、苛立った様子でウサミを睨み付けている罪木。ううん、何だろうこの未知なる空間は。
 というか、さっきから左右田が静かだな。ガムテープは剥がしてあるから喋れる筈なんだけど――って、居ない!
 左右田が居た筈の場所には誰も居らず、左右田が居なかった筈の――朝食が並べられたテーブル席に、左右田が座っていた。
 そして、何食わぬ顔――いや、素知らぬ顔で飯を食べていた。

「い、いつの間にっ! というか、身体に巻いたガムテープはどうした!」
「ああ、あれか。あれなら折り畳みナイフで切っちまった。ごめんな日向、こんなゴミ屑の俺でも腹は減るからさあ、つい。俺なんかのために態々巻いてくれたのに、ガムテープ以下の価値しかない俺がガムテープを切ったりなんかして、ごめんな」

 そう言い終わった左右田は、にっこり笑ってトーストを齧った。
 口上長えよ。というか悪いと思ってないだろその顔。まさに狛枝だ。紛う片無き狛枝だ。あれは左右田じゃない、狛枝だ!

「――ウサミ! 何とかして治してくれ! あんなの左右田じゃない、狛枝だ! 狛枝病だ!」
「ちょっ、酷いよ日向君! まるで僕の性格が病気並みに最悪ってことみたいじゃないか!」
「実際そうだろ!」
「ちょっと待ってよ! じゃあ私の性格も病気並みに最悪ってこと? 酷いよ日向おにぃっ!」
「さ、西園寺は別だ! 狛枝が病気なんだ!」
「ひ、酷いよ日向君っ!」

 西園寺と狛枝を巻き込み、ぎゃあぎゃあと騒ぐ俺達を尻目に――左右田はトーストを齧り、暢気に珈琲を啜っていた。

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