上
僕にはね、超高校級のメカニックという肩書きを「持っていた」恋人が居るんだ。
何故過去形なのかと言うと、今は「超高校級」じゃないからだよ。彼はもう、高校生という枠に当て嵌らない年齢と技術を手に入れているからね。
ああ。「僕」と「彼」で察して貰えたかも知れないけど、僕も彼も男同士だよ。
元から同性愛に理解はあったけど、まさか自分がそうなるとは思わなかったよ。人生どうなるか判らないものだね。
でも僕は、後悔なんて一つもしていないよ。彼と大人の階段を登った時なんて、彼の反応が可愛くて可愛くて希望が満ち溢れ――おっと、暴走しちゃうところだった。ごめんごめん。
兎に角僕は、彼とそういう関係になったことを後悔していないんだ。
ただ、後悔していると言えば――あの時彼を、絶望に堕としてしまったことかな。
――――
希望ヶ峰学園で初めて出会った頃の僕と彼は、碌に会話も交わさない仲だったんだ。
僕からは声を掛けていたんだけど、彼は僕の希望に対する妄執を忌み嫌ってね。いつもいつも僕は軽くあしらわれていたんだ。絶望的だよね。
でも僕は、未来であり希望である超高校級のメカニックな彼と仲良く成りたかったから、あしらわれようが避けられようが、彼に毎日構い続けたんだ。
まあ、途中から彼の反応が面白くなってきたのもあるんだけどね。
彼ってば僕が近付くだけで嫌な顔をするし、更に近付けば涙目になって、密着すると叫んで逃げ出すんだもの。面白いよね。
でも、そうして毎日々々彼にちょっかいを出し続けていると、彼も漸く慣れたようで、僕が抱き付いたくらいじゃ動じなくなったんだよ。
どんな苦行も習慣化すれば、嫌悪すらも諦観に変わるんだね。慣れって凄く希望に満ち溢れているよ。
ああ。彼の面白い反応が見れなくなったのは残念だったけど、お蔭で得られたものもあったんだ。
それはね、ある種の信頼関係だよ。
どんなに冷たくしても、僕相手なら大丈夫。
どんな態度を取っても、僕相手なら大丈夫。
どんなことをしても、僕相手なら大丈夫。
彼は毎日僕と関わったことで、僕という人間の扱いを理解し、そして奇妙で歪な信頼を抱いてしまったんだよ。
その不安定な信頼が、友情に変わるのは案外早かったね。
何をしても「裏切らない」「見捨てない」「離れていかない」僕は、彼にとって理想の友人だったんだ。
今でも覚えているよ。いつものように彼にちょっかいを出しに行った時、彼は僕にこう言ったんだ。
――今日暇なら、放課後に何処かへ遊びに行かねえか?
ってね。
その時、僕は悟ったんだよ。彼の中の僕が「得体の知れない化け物」から「友人足りえる存在」に変わったことを。
僕は歓喜に打ち震えたよ。思わず彼を抱き締めて、涎を垂らしながら首肯するくらいに、僕の心は舞い上がったんだ。
彼は「気持ち悪い」って言っていたけど、僕を引き剥がそうとはしなかった。
今思えば、あの時からそういう気配というか、雰囲気はあったのかもね。恋愛感情というか何と言うか、そういう意識が僕と彼にね。
それから時々彼と遊ぶようになって、僕は彼の過去を少しずつ知っていったんだ。
彼は明るく振る舞って笑い話のように漏らしていたけど、僕には全く笑えなかった。
才能に愛された彼が、何の才能も無い愚かな凡人に利用され、挙句捨てられたなんて――不愉快で不愉快で仕方がなかったよ。
それに彼は、笑っていたけど泣いていたんだ。顔は笑っているのに、僕には泣いているように見えたんだよ。
だからね、僕は正直に言ったんだ。僕の想いを全て。
――君のように素晴らしい人間は、これから先、皆から必要とされ、愛されるんだ。それを疎ましく思い、妬み僻む愚かな凡人も居るだろうけど。
だけどね、君はそんな人間を相手にする必要は無いんだ。そんなゴミは、無視してしまえば良い。何なら排除しても良いんだよ。君にはその権利があるのだから。
君には輝かしい未来と希望があるんだ。何の価値も才能も無い虫螻なんて、踏み台にしてしまえば良い。彼等はそのくらいの役割しか果たせない、哀れで情けない存在なのだから。
それでも不安だと、淋しいと、悲しいと思うのなら――僕がずっと傍に居るよ。絶対に裏切らないし、見捨てないし、離れない。君の傍に、ずっと居る。
だからね、もう泣かないで欲しいな。君が泣いていると、僕も泣きたくなってくるから。
彼は「泣いてねえよ」って言っていたけど、やっぱり泣いていた。でも、さっきと違って嬉しそうに泣いていたから、僕も嬉しくて泣きそうになったよ。
そうしたら彼が、僕の手を握って「ありがとうな」って言いながら笑ってくれたんだ。初めて見たよ、彼の心からの笑顔。凄く、凄く綺麗だった。
その笑顔が僕にだけ向けられているという、夢のような現実が目の前に在って――僕は嘗て無い程の希望に満たされたよ。
でも僕は同時に、抱いてはいけない感情に囚われてしまったんだ。
彼を僕だけのものにしたい――と。
そんなこと許される筈が無いのに、烏滸がましくも僕は彼が欲しくなったんだ。彼の全てが。
僕なら彼を傷付けない。彼に何をされても平気だ。彼になら、殺されたって構わない。
だって僕は、踏み台になることしか出来ない凡人だから。
そんなどうしようもない凡人が、彼を欲してしまったんだ。罪深いにも程があるよね。
でも僕は、自分を抑えることが出来なかったんだ。
衝動的に僕は彼を抱き締め、彼の唇に自分の唇を重ねていた。彼は目を見開いて、僕のことを「何で?」と言いたげに凝視していたよ。
しまった、嫌われた――と思って、一発か二発殴られる覚悟で目を瞑ったんだけどね。一向に彼は身動ぎもしないんだよ。息もしてないし。
可笑しいなあと思って目を開けて見ると、彼は顔を真っ赤にして目を瞑っていた。僕なんて突き飛ばしてしまえば良いのに、彼は僕のキスに対して無抵抗の儘じっとしていたんだ。
僕は察したよ。彼は僕のことを、受け入れてくれるつもりなんだって。
だから僕は彼の耳元で「息はしても良いんだよ」と囁いてから、再び彼の唇に自分の唇を重ね、貪るようなキスを楽しんだよ。
拙く呼吸をし始めた彼も、舌を動かして僕の口内を蹂躙して――思考も理性も何もかも、どろどろに溶け切ってしまうくらいにキスをした。
ああ。言っておくけど、この時はまだキスしかしてないからね。いきなりそんな――そんな、厭らしいことはしないよ。
でも、結構早く大人の階段は登っちゃったね。
そういう関係になってから、毎日のように彼の寮部屋へ遊びに行くようになって――確か、一ヶ月くらい経ってからだったかな。次の日が休みって日に、僕と彼は身体を重ねた気がする。記憶が少し曖昧だけど、そういうことをしたのは確かだよ。
幸せだったよ、あの頃は。皆には内緒な関係だったけど、それでも僕は幸せだった。大好きな希望である彼と、深い仲になれたんだから。
彼も幸せだったんだ、信頼出来る人間が出来たから。絶対に裏切らない、僕という存在が出来たから。彼は幸せだったんだ。
でも、そんな幸福は数年で終わったよ。あの忌々しい絶望女の所為でね。
僕と彼が三年生になった頃、あの女がとんでもないことをしてくれやがったんだ。
人類史上最大最悪の絶望的事件。
あの女はじわじわと、僕と彼を取り巻く全てを絶望の闇に沈めていった。
いや、あの女が希望ヶ峰学園に入学して来た時から、既に絶望が広がっていたんだろう。僕も彼も、それに気付かなかっただけなんだ。
だから、気付いた時には遅かったんだ。何もかもが手遅れで――逃げ場なんて、なかったんだ。
彼が大好きだった憧れの王女も。
難解な言葉で煙に巻く心優しい飼育委員も。
良き保護者であり友人だった極道も。
その極道の相方だった剣道家も。
口は悪くても何だかんだで優しいところがあった日本舞踊家も。
母親のような温かさを持っていた写真家も。
変態だけど母親想いだった料理人も。
胃腸は弱くても勇ましく情に厚かったマネージャーも。
弱さを見せずに強さを追い求めていた体操部も。
歌は怖いけど明るくて元気だった軽音楽部も。
自分という存在を見付けようと頑張っていた詐欺師も。
皆から好かれるように必死だった保健委員も。
皆、絶望に絶望して、絶望的な絶望に堕ちていたんだから。
――あら、お二人はまだ絶望していらっしゃらないのですね。絶望は素晴らしいものですのに。
絶望こそが、迷える人々を救う鍵になるのですよ。さあ、共に参りましょう。
――貴様等も混沌たる絶望に身を委ね、真の強者となれば良い。それが因果律の定めだ。
絶望こそ、俺様が求めていた究極の力であり支配力だ。早く堕ちて来い。
――手前等、まだ絶望してねえのかよ。勿体無えなあ、お前達なら立派に絶望出来るぜ。
絶望こそ、天下を取る術だ。俺はもう、一人でも殺れるんだ。手前等も早く、自分の足で立ちやがれ。
――お前達は絶望していないのか。絶望的だな。
絶望こそ坊ちゃんが望んでいた力。私はもう不要品だ、何て絶望的なのだろうな。お前達も何れ判る、この甘美な感覚を。
――おにぃ達ってば、まだ絶望に染まってないの? 本当に遅れてるよね。
絶望こそが誰にも負けない、舐められない強さなんだよ? そんなことも判らないのかなぁ? 早く絶望しちゃいなよ。
――あんた達、まだそんな馬鹿面してる訳? 絶望的に頼りないわ。これだから男は。
絶望こそ、最高のシャッターチャンスを齎してくれるんだよ。だからさ、あんた達も早く絶望してよ。写真撮りたいから。
――おや? もしかして君達って、そういうご関係? 隠さなくも判るよ、僕は絶望的にカリスマなシェフだからね。
絶望したらもっと幸せになれるよ。別れる時すらも、幸福に満たされるからね。
――無っ! お前さん等、まだそんなところで立ち止まっておるんか。男なら踏み出さんかい!
絶望こそ儂が理想としていたトレーニングじゃ、お前さん等も鍛えてやるぞ!
――何だよ、お前等まだそんな弱っちいまんまかよ。詰まんねえな。
絶望するとな、強くなれるんだ。誰にも負けない、負けられない、負けちゃいけない。すっげえ楽しいぜ。お前等も早く来いよ!
――おんやぁ? まだ絶望してなかったんすか! むっきゃああああっ! 流行に遅れ過ぎっすよ!
絶望は凄いっすよ、こんなにも楽しく歌えるの久しぶりっす! 二人も早くこっちに来て一緒に歌うっすよ!
――ああ、君達はまだ絶望してないんだね。可哀相に。何も悩まなくて済むのに。
絶望は素晴らしいよ。僕に存在意義をくれたんだ。絶望を振り撒く、絶望という存在意義をね。君達もおいでよ。
――えへ、えへへっ。お二人共、まだ絶望してないんですかぁ? 勿体無いですぅ、こんなに晴れやかな気分になれるのに。
絶望は私を許してくれた。あの方は神です、愛おしくて堪りません。お二人も、こっちに来て一緒に絶望しましょうよぉ。
逃げられなかった。逃げられなかったんだ。
影のように付き纏ってくる絶望という闇から、逃げられなかったんだ。逃げられないから――僕は立ち向かったんだ。
立ち向かって、しまったんだ。
不運の後には、必ず幸運がやってくる。それが僕の才能――超高校級の幸運という、ゴミみたいな才能だったから。
だから僕は、信じたんだ。信じてしまったんだ。この絶望という名の不運の先には、必ず希望という名の幸運が訪れる筈だと。
それが絶望的に絶望的な絶望へと続く、底無し沼だとも気付かずに――あっさりと僕は、絶望に転がってしまったんだ。
そう。僕は彼を「裏切って」「見捨てて」「離れて」しまったんだよ。最低だよね。最低だよ。
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