絶望的悪食強要

 絶望が蔓延している。
 世界中に、絶望的に絶望的な絶望が蔓延している。
 希望を愛する僕にとって、それはとてもとても辛いことだけれども、この絶望が巨大で絶対的な希望を生み出す踏み台になるから――僕は頑張って、絶望的に絶望的な絶望を振り撒いているんだ。
 彼の為にも。
 彼女は大嫌いだけど、彼は違う。彼はとっても可愛くて、手先が器用で、機械なら何でも弄れるし、何でも造れるんだ。
 彼の手に掛かれば、希望も絶望も思いの儘。今は希望の為に絶望を生み出しているけれど、いつか巨大で絶対的な希望を生み出してくれる。僕はそう信じているんだ。
 だって彼は、僕の希望だもの。
 絶望的に絶望的な絶望ばかりの世界で、唯一輝いている僕の希望。それが彼なんだから。
 だから彼をもっともっと輝かせる為にも、もっともっと絶望を撒き散らさなきゃならないんだ。
 大変なんかじゃないよ。僕は彼が大好きだから――愛しているから、こんなの苦にならない。
 寧ろ嬉しいし楽しいよ。こんな僕なんかでも、彼の為になることが出来るんだから!


 だけど――悲しいことに、これは僕の片想いなんだよね。
 彼は僕を見ていない。彼女のことも見ていない。好きだった王女様のことすらも、見ていない。
 彼は何も見ていないんだ、何も。
 自分自身すらも。
 只管に機械を生み出して、只管に絶望を生み出しているんだ。それは良いことなんだけれど、我が身を一切気に掛けない行動は戴けない。
 食事も取らずに機械を弄ったり。
 未来機関の連中を相手に、拳銃一丁だけで挑んだり。
 今にも爆発しそうな機械に平気で近付いたり。
 まるで死にたがっているような、そんな行動ばかりするんだよ。
 駄目だよね、本当。彼は僕の希望なんだから、ずっとずっと生きていてくれなきゃ困るよ。
 だから本人にも言ったんだよ、ずっと生きていてくれって。そうしたらね、彼は「判った」って言ってくれたんだよ。
 やっぱり彼は僕の希望だよ。こんなゴミ屑の願いを聞いてくれるなんて――彼は希望だ。僕だけじゃない、皆の希望だよ。未来は彼の手によって、希望に満ち溢れるんだ!
 嗚呼、何て素晴らしいんだろう。その希望に満ち溢れた世界を僕も見たいけど、見れるのかな。僕みたいな愚劣で下等な人間が、彼の未来を見ることなんて、出来るのかな? 見てみたいけど、きっと無理なんだろうな。


 だって僕は、彼のような希望になれないから。


 きっと僕は、このまま絶望として希望の踏み台になるんだ。それが僕の役割だから。それくらいしか、出来ないから。
 嗚呼、何て絶望的なんだろう! 僕は本当に最低で、愚かで、どうしようもないくらいの不要品だ!
 彼の傍には、もっと彼に相応しい人が居るんだ。僕なんかじゃ到底勝てっこないような、そんな素晴らしい人間が!
 僕なんて、彼の近くに寄ることさえも烏滸がましい、この世の中で一番の害虫だから!
 だけどね、そんな害虫にも彼は慈悲を掛けてくれるんだ。ずっと傍に居ても良いって。ずっと傍に居てくれって。
 彼は本当に、慈悲深い。
 彼こそが僕の、希望の光だ。
 彼が居れば、希望は輝く。
 彼なら僕に、希望を見せてくれるんだ――。


 だから、きっとこれは夢なんだ。
 彼の希望に満ち溢れた両腕が。
 彼の希望に満ち溢れた両脚が。
 彼の希望に満ち溢れた胴体が。
 彼の希望に満ち溢れた頭部が。
 こんなにも絶望的にばらばらになって、絶望的に焼かれて、絶望的に皿へ乗せられている筈がないんだ。


 僕が逃げようとすると、彼の姿をした機械が僕の腕を掴んだ。彼が造ったんだ。だって彼は、彼は、彼は機械なら何でも造れるんだから。
 だから自分そっくりな機械を、機械を造って、彼はどうして、こんな物を――。

「――狛枝」

 機械が僕の名前を呼ぶ。彼と同じ声で。僕の大好きな彼と同じ声で。
 止めろ。機械如きが彼の声で僕の名前を呼ぶな。呼ぶな。その声で呼んで良いのは、彼だけなんだ。呼ぶな、呼ぶな、機械如きが!

「狛枝」
「っ――五月蠅い、五月蠅い五月蠅い五月蠅いっ! その声で僕を呼ぶな! 機械の癖に、僕の大好きな大好きな大好きな彼を、よくも――よくも殺したな!」

 何度も何度も機械に蹴りを入れた。此方の脚が折れそうになるくらい堅かったけど、そんなことはどうでも良い。此奴は彼の仇なんだ。壊せるなら、脚の一本や二本なんて惜しくない。
 壊れろ。壊れろ。壊れてしまえ! 僕の大好きな彼を殺した機械なんて、壊れてしまえば良いんだ!
 脚の感覚が麻痺するくらい蹴った頃、忌々しい機械が彼と同じ顔で嬉しそうに笑った。彼と同じ鋭利な歯を剥き出しにして、彼と同じ笑い方で。

「狛枝。俺のこと、そんなに好きなんだな」

 違う。違う。違う!
 お前じゃない、お前は機械じゃないか。彼は希望なんだ、希望だったんだ。僕にとっての、唯一の希望だったんだ。それをお前が、お前が、お前が!

「だ――黙れっ! 機械如きが彼を騙るな! 彼は僕の希望だったんだ。絶望的に絶望的な世界で、唯一輝いていた僕の希望だったんだ! お前じゃない、お前なんかじゃない!」

 涙が止まらない。こんなに悔しくて、悲しい目に遭ったのは生まれて初めてだ。両親が死んだ時でさえも、こんなに苦しくはなかった!
 嗚呼、何て、何て――何て、絶望的なんだ。

「――狛枝、絶望した?」

 彼の姿をした機械が、彼と同じ声で、彼と同じ身体で、彼と同じ笑い方で、彼と同じ動きで、僕の身体を抱き締めた。
 彼と同じ、温もりがする。

「なあ、狛枝。お前俺に『ずっと生きていてくれ』って言ったよな?」

 機械が、僕の背中を撫でた。

「俺な、考えて考えて考えたんだ。どうすればずっと生きられて、ずっとお前の傍に居られるかを」

 機械が僕の顔を覗き込み、彼と同じ顔で陶酔したような表情を浮かべる。

「そして俺は閃いたんだ、お前に俺を食べて貰おうって。でもそれじゃあ俺が死んじまうから、人格をデータ化して機械に入れたんだ」

 機械が――いや、彼が僕から離れ、焼かれた彼の腕が乗った皿を持って、僕の下に戻ってきた。
 にこにこと、楽しそうに微笑みながら。

「なあ、俺をお前の血肉にしてくれよ。そうすりゃあ、俺はずっとお前の傍に居られる。そして俺は機械になったから、絶対に死なない。ずっと生きられるんだ」

 凄いアイデアだろ――そう言って嗤う彼は絶望的に可愛くて、絶望的に僕の大好きな彼だった。
 嗚呼、何て素晴らしく絶望的な贈り物なんだろう。彼が僕のことを、こんなにも想っていてくれたなんて!
 僕は彼が持って来てくれた腕を取り、愛撫するように齧り付いた。焼かれた皮膚はぱりぱりで、歯を突き立てると、小気味の良い音を立てて皹割れる。
 皹割れから肉汁が溢れて、零さないよう舌で舐め啜ると、彼の味が口一杯に広がった。
 美味しい。今まで食べてきた中で、一番の食材だよ。
 肉を噛んで引き千切り、じっくりと味わうように咀嚼して、躊躇いながら嚥下する。胃が彼を消化して、腸が彼を吸収し、彼の肉が僕の肉になるんだ。
 何て――何て素晴らしい、絶望的な希望なんだろう。大好きな彼を喰らう絶望が、大好きな彼と一緒になれる希望に繋がるなんて!
 やっぱり僕は、間違ってなんかいなかったんだ。絶望はより巨大な希望の踏み台となり、大きく大きく輝くんだよ。
 だってほら、僕はこんなにも希望で満たされている――。

「狛枝、泣く程に美味いか? 俺の肉」

 くすくすと、彼らしくない笑い方をする彼が、僕の涙を指で拭う。

「まだまだ沢山あるから、一つ残らず喰ってくれよ。じゃないと俺は、お前の傍に居られねえからさ」

 彼の優しくて残酷で絶望的な言葉に――僕の身体がぶるりと震え、凄まじい嘔気に見舞われる。だけど僕は、食べなくてはならない。喰らわなければならない。
 だってそれが、希望に繋がる絶望的に絶望的な絶望で――絶対的な希望を引き寄せる、足掛かりになるから。なる筈、だから。なるんだ、ならなきゃいけない。なるべきなんだ。ならなければならないんだ。


 じゃないと僕は、僕は――僕は、何の為に今まで、絶望的に絶望的な絶望を振り撒いてきたのか、判らなくなるじゃないか――。


 一心不乱に肉を齧り、ぐちゃぐちゃと咀嚼して、腹へ詰め込むように彼の腕を平らげる。すると彼はもう一本の腕を持ってきて、絶望的に絶望的な笑みを浮かべながら、僕に向かって腕を差し出した。

「ほら、まだ食べるものはあるんだぜ?」

 愉快そうに歪な笑みを浮かべる彼に、僕は引き攣る頬を無理矢理上げて笑い返し、差し出された腕を掴み取る。
 歪んでぼやける視界の中、僕は戦慄く身体を必死に押さえながら、大好きな彼の腕に歯を突き立てた。

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