俺が俺であることを俺は判らない

 現実世界に戻って来た時、俺は自分の犯した罪よりも――自分の身体に絶望した。
 俺の身体は、人間のそれじゃなくなっていたから。
 頭の先から足の先まで機械化していて、俺は「人間」の枠を超えた「何か」に成り果てていたから。
 辛うじて頭部は人の時と同じ形をしてはいたが、他の部位は完全に「機械」の形をしていて、人間だった「左右田和一」の面影など、微塵も残っていなかったから――俺は絶望した。
 絶望していた頃の自分が絶望したいが為にしたことが、希望に向かって進むと決めた筈の俺を――絶望へと叩き落としたのだ。
 皆が怖い。現実世界に戻って来た時、皆俺を化け物でも見るかのような目で見ていたから。
 あのソニアさんも、俺の大事なソウルフレンド――日向までも、俺を見ていた。
 見ていた。恐ろしい物を見るような目で。すぐにいつもと同じ――プログラム内と同じように笑い掛けてくれたが、俺を見ていたのだ。異常な物を見るような目で。
 見ていたのだ。
 俺は俺なのに、俺は左右田和一なのに、絶望していた頃の俺とは違う筈なのに、絶望の俺が俺を侵食してくる。
 皆が俺に対してだけ距離を置いている。俺は変わらないのに、プログラム内の時と何も変わらないのに、俺は左右田和一なのに、皆が違うと否定してくる。
 俺は人間なのに、人間だった筈なのに。皆が怖い。皆の一挙一動が怖い。俺に対して冷たい気がする。怖い。
 段々と絶望が、泣きたくなるくらい温かくて、笑いたくなるくらい冷たい絶望が、俺を俺と認識している俺を沈めてくる。絶望の底に。
 怖い。怖い。何もかもが怖い。自分が怖い。皆が怖い。恐ろしい。
 また俺を、置いて行くのか?

「――左右田」

 日向が俺を呼んだ。いや、本当に俺を呼んだのか?
 もしかしたら俺じゃない俺を呼んでいたのであって、俺を呼んでいる訳じゃないのかも知れない。
 日向が呼んだ俺じゃない俺は俺であって俺じゃないから、俺は返事をするべきなのか判らない。
 判らない。判らない。怖い。

「左右田。そんなところ引き隠ってないで、出て来いよ」

 どんどんと、日向が扉を叩いている。いや、もしかしたら蹴っているのかも知れない。
 日向の呼んでいる俺は俺じゃないから、俺なんかに対して手で扉を叩くなんてことはしないかも知れない。蹴っている。扉を、蹴っている。

「おい、聞こえてるのか? 機械弄りも良いけどさ、偶には部屋から出ろよ。飯要らないかも知れないけど、顔くらい見せろよ」

 呼んでいる。俺じゃない俺を、日向が呼んでいる。
 だけど俺は俺じゃないから、日向の呼び掛けに応えられない。俺は俺じゃない俺だから、日向の呼び掛けに応える権利はないのだ。
 がちがちと音を立てながら機械を弄る。
 今の俺にはこれしかないから。もう誰も俺を求めてはくれないから、俺に残されたメカニックの才能を振るうことしか出来ないから、俺は此処に居るしかないのだ。
 此処に一人で、隠っていることしか――。

「――左右田!」

 扉が開いた。
 開いた? 鍵を閉めていた筈なのに。
 ああ、そうか。日向は何でも出来る人間だった。才能を植え付けられた、完璧な「人間」なのだ。俺と違う、人間なのだ。
 俺は俺であって俺じゃない俺だから、俺という存在は人間であって人間じゃない機械だから、俺が俺を人間と認識している俺は機械であり、人間の俺は俺じゃない俺で――。
 ――あれ? 俺は、誰なのだろう。

「左右田ぁっ、起きてるなら返事くらいしろよ。心配するだろ」

 がしがしと、日向が俺の髪を撫でてくる。造り物の髪が乱れて、髪型が変化する。鶏冠の形がぐしゃりと潰れ、目の前に鶏冠だった毛が垂れた。
 髪の隙間から、日向の姿が見える。日向も俺を見ている。じっと、見ている。

「大丈夫か? 幾ら疲れないからって、没頭し過ぎるのは良くないぞ」

 日向が話し掛けている。俺じゃない俺に向かって、話し掛けている。
 視界が、頭が揺れている? 日向に頭を撫でられているようだ。感触が判らない。機械には、判らない。温もりも判らない。

「左右田、聞いてるのか?」

 聞いている。聞いているけど、俺は俺ではないから返事が出来ない。返事が出来ないから、見詰め返すことしか出来ない。
 じっと見据えた視線の先で、日向が悲しそうに唇を噛み締めている。
 何故だろう。やはり俺が俺じゃなくなってしまったからだろうか。俺がプログラム内と違う左右田和一に成り果ててしまったから、悲しいのだろうか。
 ――判らない。

「――左右田」

 身体が軋む。日向が俺の身体を、抱き締めている。
 柔らかくもない硬い鉄なのに、日向は俺を抱き締めている。温かくもない、冷たい機械なのに。判らない。何がしたいのか、判らない。
 日向は俺に、何を求めているのだろうか。
 俺じゃない俺は、もう此処には居ないのに。

「俺はお前を、見捨てたりしないからな」

 日向の声が聞こえた。
 俺に向かって言ったのか判らない。判らない。
 日向は何がしたいのだ。俺はもう俺じゃなくなってしまったのに、俺は俺じゃない俺なのに。
 俺は、俺は――。

「――日向、離してくれよ。機械造らなきゃ、いけないから」

 俺は、機械を造る機械なのだから。俺はもうそれしか価値がない、廃棄寸前のスクラップなのだ。
 これすらも出来なくなったら、俺は存在価値がなくなってしまう。
 だから早く、早く、造らなければならない。もっと沢山、頼まれた物を、沢山、完璧に、造らなければならない。
 じゃないと俺は、俺ですらもなくなってしまう。

「左右田。もう、良いから。ちょっと休憩しろよ、金属だって疲労するんだから」

 日向が寂しそうに俺を見ている。俺が俺じゃないから、日向に寂しい想いをさせてしまっているのか?
 あの頃みたいなソウルフレンドじゃないから、日向は、日向は――俺は、俺はどうしたら良いのだろう。判らない。何も判らない。思考回路が止まって動かない。

「――なあ、左右田。お前は俺を信じてくれるんじゃなかったのか?」

 信じる?
 俺は、日向を、信じている?
 信じているのか?
 判らない。怖い。判らない。
 日向が怖い。自分が怖い。何もかもが判らなくて、怖い。何も考えず、機械だけを弄っていたい。
 俺にはもう、それしかないから。

「日向、離して」
「離さない。質問に答えるまで、俺は離れない」

 何で――何でそんなに、俺を苛むのだ。俺はもう、日向の知っている俺じゃないのに。
 俺は俺ではない俺に成り果ててしまったから、質問に答える権利も資格もないというのに。
 何故、日向は俺を苛めるの?

「何で、何で――放って置いてくれよ。俺はもう、お前の知ってる左右田和一じゃあ――」
「――それは違うぞ!」

 日向が吼えた。プログラム内で行った学級裁判の時のように、俺に向かって吼えた。

「左右田、確かにお前は変わった。変わってしまった。けどさ、中身はお前のままなんだろ?」

 中身? 俺の、中身?
 俺の中は動力源のエンジンと、配線が張り巡らされた――機械だぞ?
 人間じゃない。俺は、俺のままじゃない。

「違う、日向、違うんだ。俺は、俺はもう」
「もう、何だよ」
「人間じゃ、ない」

 泣きたい。言いたくなかったのに。改めて思い知らされるから、言いたくなかったのに。
 けれど俺にはもう涙腺がないから、泣きたくても泣けやしない。何で俺は機械なのに、こんなにも苦しい思いをしなければならないのだろう。
 俺は俺じゃなくなったのに、何でこんな――。

「――左右田」

 がしりと頭を掴まれて、顔を無理矢理、日向の顔と向かい合わせにさせられた。日向は真剣で、辛そうな表情をしている。

「左右田。お前を苦しめているのは、お前自身じゃないのか?」

 ――は?
 俺が俺を、苦しめている?
 何故。何故。何故俺が、そんなことをしなければならないのだ。
 俺はそんなことしていない。寧ろ、寧ろ日向が俺を苦しめているのではないか。
 離して欲しいのに、放って置いて欲しいのに、こうして俺じゃない俺に構ってくるなんて――そんなに俺を苛んで、何がしたいのだ!

「う――五月蠅えよ! 俺が俺を苦しめている? 巫山戯るなよ、苦しめているのはお前じゃねえか! 放って置いてくれよ!」
「放って置ける訳ないだろ!」

 怒鳴られた。怒りが込められた日向の声が、俺に向かって突き刺さった。
 痛い。痛みなんて感じない筈なのに、胸が痛い。もう止めてくれ。俺をこれ以上、苦しめないでくれよ。

「ひ、日向。ごめん、俺が悪かった。だから、もう許してくれよ、頼むから」
「違う、違うんだよ左右田。お前を許していないのはお前なんだよ」

 意味が、判らない。

「意味、判んねえ。日向、意味が判んねえよ」
「判らない振りをするな」

 何を、言っているのだ。

「判んねえよ、判んねえよ日向。俺にはもう、判んねえよ」
「判るだろ、判っているんだろ。もう許してやれよ、自分を。受け入れてやれよ、在るが儘を」

 受け入れる? こんな自分を?

「――こんなの、こんなの俺じゃない。皆だって、俺のことを気味悪がってる」
「違う、左右田、違うんだ。それはお前の思い込みなんだよ、誰もお前を気味悪がってない。それはお前の作り出した――妄想なんだよ」

 妄、想?
 有り得ない。だって、あんな目で俺を見たじゃないか。あんな、あんな目で――あんな目?
 皆は俺を、どんな目で見ていたっけ?
 あれ?

「左右田、目を覚ませ。このままじゃあ、また絶望に戻っちまうぞ」

 俺は起きている。起きている?
 俺はいつ、絶望から目を覚ましたのだろう。

「なあ、お前だけじゃないんだよ。皆、自分を許せなくて辛いんだ。でも皆、自分と向き合って、必死に変わろうとしてんだよ」

 そっと、日向が俺の頬を撫でる。感触なんて判らない筈なのに、何故かとても心地良かった。

「左右田。俺達、ソウルフレンドだろ? 一緒に頑張ろうぜ」

 日向が笑っている。プログラム内で、ソウルフレンドとして日々を過ごしてきた時と同じ笑顔だ。
 笑っている。俺に笑い掛けてくれている。俺は俺じゃない筈なのに、俺に笑い掛けている?
 俺は、俺は――俺なのか?
 俺は――左右田和一、なのか。

「――俺は、左右田和一だったのか」
「何今更なことを言ってんだよ、馬鹿っ」

 ごつりと日向に頭を殴られたが、殴った本人が手を痛そうに押さえていて――何だか面白くて笑ってしまった。

「何だ、ちゃんと笑えるじゃないか」

 嬉しそうにしながら手を押さえている日向に、俺は軽くデコピンを食らわせて、当たり前だろ馬鹿――と言って満面の笑みを浮かべてやった。

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