名状し難い不幸な終焉
田中眼蛇夢は、完全に精神が崩壊してしまった。
俺という存在を受け入れ続けた結果、田中の精神は完膚無きまでに擦り切れてしまったのである。
非常に、残念だと思っている。
田中ならば、俺をもっともっと愉しませてくれる――そう思っていたのに。非常に残念だ。
所詮は田中も、人の子だったということなのだろう。
「――そ、左右田。あ、あぁぁっ――そ、左右田ぁっ」
気味が悪い程に真っ白な部屋の中、田中は寝台に横たわり、譫言のように俺の名を呼んでいる。
天井に張り付いた、俺を見詰めながら。
――可哀想に、まだ左右田君のことを。
――彼はもう、死んでしまったのに。
――こんなことになる程、ショックだったのか。
田中が精神病院に連れて行かれた時、同級生達はそう言って田中に憐憫の眼差しを向けていた。
そう、俺は死んだことになっている。
それも田中を庇い、トラックに轢かれて死んだことにな。
田中の精神が崩壊してしまった本当の理由――神話的真実を隠す為、そういうことにしたのである。
自分の所為で左右田が死に、その罪悪感によって田中は狂った――そういうことにしたのだ。
「そ、左右田――左右田、此方へ、此方へ来い」
抱っこをせがむ赤子のように手を伸ばし、田中は泣きながら俺を呼んでいる。俺は天井から剥がれ落ち、田中の上にべとりと広がった。
田中は俺が来てくれたことが嬉しいのか、玩具を手に入れた子供みたいにはしゃぎ、俺の無形の身体を撫で回す。
「左右田、あ、あぁ――あい、愛してる。愛している」
そう囁いた田中は、俺の腕だった腹に噛み付いた。愛撫するように優しく、舌で擽りながら俺の肉を噛み千切る。
「そ、左右田、愛してる――俺の、俺だけの――ああぁぁっ」
俺の肉を咀嚼して飲み込み、田中は再び喰らい付いた。骨を砕き、肉を裂き、貪欲な餓鬼のように俺を食べている。
そっと、俺は田中の頭を撫でた。最初で最期の、慈しみを込めて。
「――ばいばい、田中眼蛇夢」
田中とした最期の接吻は、今まで飲んだ葡萄酒よりも甘美で芳醇だった。
――――
田中眼蛇夢は自らの身体を噛み千切り、骨や肉を食らって死んでいた。
死因は出血による出血性ショック死。狂った末の、狂気に満ちた自殺であった。
しかし――第一発見である精神病院の看護師は、こう証言している。
――彼は、とても幸せそうな顔で死んでいました。
血塗れのベッドの上で、彼は天井に向かって手を伸ばしたまま、幸せそうに死んでいたんです。
その看護師は、素晴らしい絵画を見たかのように陶然しながら、そう証言した。
田中眼蛇夢が何を想い、何を求めて死んだのか――それはもう、誰にも判らない。
知っているのは闇の中。
今もまた、次の玩具を探し回り、闇の中を這い摺っている――無貌の神だけである。
「――ああ、次はお前で遊ぼうか」
ずるりと、何かが這い寄る音がした。
[ 176/256 ][*戻る] [進む#]
[目次]
[栞を挟む]
戻る