孤独な男は這い寄る混沌の中で嘲笑う

 希望ヶ峰に入学してから、俺様はとある同級生に奇妙な違和感を覚えている。
 その者の名は左右田和一。超高校級のメカニックとして入学した、機械弄りの得意な男だ。


 凶悪な相貌だが喜怒哀楽が激しく表情豊かで、人相の悪さもまた愛嬌あるものに見えてくる。
 機械関係以外の知識も豊富で、同級生や下級生、更には上級生や教師とも専門的な会話を交わし、皆と深い絆を築き上げている。
 派手な出で立ちの割には教養もあり、公の場では粛々と振る舞い、目上の人間に対して尊崇する。
 そんな何処へ行っても恥など掻かぬ、よく出来た――出来過ぎた男に、俺様は奇妙な違和感を覚えているのである。
 嫉妬や羨望などではない。左右田は何かが可笑しいのである。


 最初の違和感は、俺様の飼っている破壊神暗黒四天王――という名のハムスター達が、左右田に対して狂ったように脅えたことだった。
 人慣れしている筈の彼等が、左右田に対してだけ恐怖するのである。


 次の違和感は、左右田の寮部屋で会話を嗜んでいる時のことだった。
 一瞬――ほんの一瞬だけ見えている世界が変化し、目の前に居た左右田が、名状し難い冒涜的な化け物に見えたのである。
 あの時は恐ろしさのあまりに取り乱し、子供のように泣きじゃくりながら地べたに蹲ってしまった。
 がたがたと震えて泣き喚く俺様に「大丈夫、怖くない怖くない」と言って、左右田が俺様の頭を優しく撫でたのが印象に残っている。
 何の脈絡もなく泣き出した俺様を疑問に思わず、まるで「怖いものを見たから泣いた」と知っているかのような振る舞いだったからだ。


 そして最後の違和感は――左右田に対する皆の評価である。
 どれだけ皆から好かれている人間であろうとも、誰か一人くらいは「嫌い」という人間が居る筈なのだ。
 だが、それが左右田にはなかった。
 誰に聞いても、聞き耳を立てても、動物を駆使して盗み聞きをしても――誰一人として、左右田を嫌っている人間は居なかったのである。
 薄気味悪い程に、皆が口を揃えて言うのだ。左右田は良い奴だと。
 勿論、俺様も左右田が好きだ。良い奴だと思っている。
 いや、思わされているのだ。
 嫌おうとしても、妬もうとしても、恨もうとしても――負の感情だけが、左右田に対してだけ全く湧き上がってこないのである。
 可笑しいだろう。多少なりとも人間には、嫉妬心というものがあるのだから。
 現に俺様は友人の少ない、孤独と動物が友達な寂しい男である。
 皆から人気のある人間が羨ましいと思うこともあるし、恥ずかしながら妬ましいと思うこともある。
 なのに、左右田に対してだけ何も抱けないのだ。嫉妬も、羨望も、嫌悪さえも!
 そんなことが、果して有り得るのだろうか。好きになることしか出来ないなんて、本当に有り得ることなのだろうか。


 いや、そんなこと――有り得る筈がない!
 矢張り可笑しい。左右田は可笑しいのだ。
 皆が俺様を「可笑しい」と言ってくるが、俺様が可笑しいのではない。皆が可笑しいのだ。
 俺様は可笑しくない。可笑しくない。左右田が可笑しいのだ。この世界が可笑しいのだ。何もかもが狂っている。
 俺様は狂ってなどいない。俺様以外の者が狂っているのだ。左右田の所為で、何もかもが可笑しくなっている。
 ああ、でも――憎めない、嫌えない! 恐ろしくなる程に愛おしいのだ!
 矢張り可笑しい、可笑しいのだ。左右田の所為で俺様が、俺様の周りが、俺様が、俺様の全てが狂わされ、壊されて、俺様自身が何処かへ行ってしまいそうになる。
 このままでは俺様は、本当に狂ってしまう。狂って、皆が狂っているのに、俺様が狂って、皆のような気違いに、俺様は狂ってなどいないのに!
 狂ってしまう前に、狂ってしまう前に左右田の正体を暴くのだ。身体を引き裂いて、中身を引き摺り出してやる。
 きっと中には化け物が、あの時に見た化け物が巣くっているのだ。早く取り除かなければ、俺様は可笑しくなってしまう。早く、早く、早く左右田の腹を切り裂いて――。

「――田中?」

 左右田が現れた。図書室から出て来たのだ。これは運命か。運命なのか! 運命だ!
 俺様は左右田の手を掴み、ぐいと引っ張った。

「な、何すんだよ」

 非難するように、左右田が俺様を睨んでいる。睨んでいる。俺様を睨んでいる。
 俺様は左右田を引き摺り、歩いた。左右田が何かを言っているが、判らない。それより早く、左右田を切り裂いてやらねば。
 俺様は自分の寮部屋に辿り着いた。隣には左右田が、早く中身を出さなければ。俺様は扉を開け、左右田を連れて中に入った。
 破壊神暗黒四天王達がぢぢぢと鳴いて暴れている。大丈夫だ、もうすぐ終わるから。左右田の正体を掻き出せば、俺様は安心して生きていけるのだ。掻き出して、中身を、ずるりと出して。出して。

「左右田、左右田よ。中身を、中身」

 ほら、早く中身を、正体を見せろ。その蛍光色の黄色いつなぎ服を脱ぎ捨て、躑躅色の髪と瞳を剥ぎ、獣のような牙を引き抜いて、端正な肉体に切れ目を入れて、左右に引っ張って中身を出そう。
 真っ赤な何かと白い何かが、ずるずる床に溢れていく、そうしたら正体が判るのだ。判るのだ。
 左右田の肩に手を掛けて、寝台へ押し倒した。嗚呼、何て愛おしい。中身を出してやらねば、皆は左右田の所為で可笑しくなっているのだから、早く原因を除去せねば、除去、早く、早く――。

「――ああ、やっぱりお前は気付いたんだな」

 左右田の頭が、真っ二つに裂けた。
 俺様はまだ何もしていない。していない。して、いない。ああ、何で、何で左右田が、中身がないじゃないか。中身が真っ黒で――あ?
 あった。

「――田中ぁっ、お前はなかなか見込みのある人間だな。気に入ったぜ」

 左右田だった者が、細長いものを蠢かせて、黒い影がずるりと俺様に這い寄ってくる。ああ、何だ、これは俺様の――あ? え、俺様は――左右田? 左右田は何処だ?
 柔らかくて気持ち悪い何かが、波を打って身体を撫で回してくる。滑った液体が、俺様の口に、目に、ああっ――助けてくれ! 俺様は俺様に、狂わされていく!
 極彩色な左右田の中身が、どろどろと床に撒き散らされて、床も俺様も全てが真っ黒だ!

「あ、ひ、ひぃっ――ああ、うあぁっ」
「あれ、壊れた? 大丈夫か? おい」

 中身が俺様を飲み込み、左右田が目の前に現れた。ああ、何てことだ、中にも左右田が居るではないか。

「そ――左右田? 左右田か?」
「おお、左右田だよ左右田。左右田和一だ。大丈夫かよ、精神崩壊寸前じゃねえか」
「精神、崩壊? ああ、お前まで俺様のことを気違い扱いするのか。俺様は狂ってなどいないのに、狂っているのは皆なのに。左右田が可笑しいから、皆可笑しくなっているだけなのに。俺様は可笑しくなどないのに」

 ちかちかと光る四角い水滴が、床から雨のように降り注ぐ。天井がからからに乾いて、皮が剥げては元に戻った。
 左右田の身体は真っ暗で、手を伸ばしても何も無い。顔だけが浮いていて、中身が蛇のように畝って俺様を縛り付ける。

「ああ、そうだな。田中は可笑しくない、狂ってないぜ」
「そうだろう、俺様は可笑しくない。狂ってなど、いないのだ」

 ほら、左右田が言っているではないか。矢張り間違っていたのは皆だったのだ。俺様は可笑しくも、狂ってもいなかったのだ!
 ぬるりと、手が俺様の腹から生えた。この傷と形は――左右田のか? 左右田の手が生えている。真っ黒に染まった手が、何本も何本も何本も何本も何本も――。

「あ、あぁぁああっ、あ、あぁぁ」
「田中、俺の中身が見たいんだろ?」

 あ、ああ――中身、左右田の中身が、粘着質な音を立てながら、痩せぎすな犬の頭を吹き出している。壁だったものがべりべりと溶けていき、真っ暗闇の中から星が――ああっ! 俺様は今、何処に居るのだ? 此処は何処だ!

「へえ、まだ狂わないか。お前は良い魔術師になれそうだな」
「ま、魔術師?」
「そう。あ、言っとくけど厨二病的なものじゃあなく――本物のな」

 地球を生かすも殺すも、お前次第になるんだぜ――そう言って左右田の顔をした何かが、からからと艶やかな女の声で哄笑している。
 漆黒の闇の中、とろとろに煮え立った緑色の汁が落ちてきて、氷塊となって弾け飛んだ。
 闇の中で肉片が煌々と光り、耳障りな羽音を立てる蟲が纏わり付いて、砂のように崩れていく。
 宙に漂う時計の針は、左回りにぐるぐると回って炎を上げた。
 絢爛豪華な玉座に腰を下ろした左右田が、蒼白い酒をワイングラスに注ぎ、それをごくりと飲み干す。

「――さあ、田中眼蛇夢よ。決断の時だ。俺と一緒に来るか、このまま狂人として生きるか――どちらかを選べ」

 嗄れた老人の声と、爽やかな女の声と、左右田の声が入り交じり、俺様に究極の選択を迫り――いつの間にか俺様は、俺様の部屋に戻ってきていた。
 目の前には左右田和一が居る。さっきのは、さっきまで見ていたのは――。

「田中ぁっ、どっちが良い?」

 いつもと同じ左右田が――蛍光色の黄色いつなぎ服を着た、躑躅色の髪と瞳をした、獣のような牙を生やした、端正な肉体の左右田が、俺様に擦り寄って囁いてくる。
 どうしたら良いのか判らずにいると、左右田はくすくすと笑い出し、俺様を見上げてにこりと微笑んだ。

「早く決めないと――また、食っちまうぞ?」

 ぴしりと、左右田の額に罅が入る。身体の真ん中を真っ二つに裂くように、亀裂が疾り――あ、ああ、ああぁあぁ、中身が、左右田の中身が、真っ暗に輝く混沌の闇が、俺様の脳髄にべっとりとへばり付いて――。

「――そ、左右田、あ、う、あぁぁ――左右田、左右田ぁっ」

 がくがくと震える腕を伸ばし、左右田の身体を抱き竦めた。割れないように、裂けないように、中身が零れないように、しっかりと抱き締めた。
 頽れそうになる身体を奮い立たせ、左右田を強く抱き締めていると、左右田が俺様の胸に顔を埋め、ぐりぐりと額を押し付けてきた。

「――なあ。これって、契約成立ってことだよな?」

 左右田は俺様を上目遣いで見詰め、嬉しそうに目を細めながら言った。
 契約、成立?
 俺様は、おれさま、は――あ? あ、ああっ――俺様は、左右田を、左右田を!

「ひ、ぃいぁっ――あ、ああっ」
「そんなに恐がんなよ、傷付くだろ」

 逃げようと藻掻く俺様に、湿った柔らかい何かが絡み付く。ずるずると身体を這い回る、軟体動物のような足が、手が、左右田の手足が、足元から生えてきて、ずるずると身体を、俺様の身体を這い回って、逃げられない。逃げられない。逃げられない。逃げられ――。

「――逃がさねえよ?」

 真っ暗な瞳をした左右田が、俺様を飲み込んだ。




――――




 俺様は今、左右田と一緒に居る。地球の中で、日本の中で、学園の中で、左右田の中で、一緒に居る。
 今までと変わらない日常を送りながら、俺様は左右田と共に在るのだ。
 俺様は知った。知ってはいけない、知らなければ良かったことを、知ってしまった。表現し難い冒涜的な事実を、知ってしまったのである。
 だからもう、左右田から離れられない。離れたくない。離れたくないのだ。

「――田中ぁっ」

 左右田が嬉々として俺様の名を呼び、此方へ駆け寄ってくる。ぎゅっと腕にしがみ付き、俺様の目を見てにこりと微笑んだ。

「今日の夜、お前の部屋に行くからな」

 いつもと変わらない左右田の姿が、一瞬だけ名状し難い冒涜的な化け物に見えた。だけどもう俺様は、その化け物を知っているから、知ってしまったから――。

「――左右田」

 そっと、左右田の頭を撫でる。罅が入らないことに安堵しながら、また見ることになるであろう狂気的な悪夢に恐怖し、胸を躍らせた。
 今まで隠されていた神話的真実を重ね、少しずつ崩壊していく偽りの世界を嘲笑いながら、俺様は左右田が――這い寄る混沌が俺様という人間に飽きるまで、ずっとずっと傍に在り続けるのである。

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