黒狐は覇王様の傍がお好き

 如何なる刃も弾丸も通さぬであろう皮膚と、絹すら勝てぬ程に滑らかな漆黒の体毛。
 動く度に躍動する強靱な筋肉に、頑丈で折れることのないであろう骨格。
 唇から見え隠れする鋭利な牙は、いとも容易く皮や肉を裂き、長く畝る肉厚の紅き舌は、血の一滴も残さずに嘗め取る。
 相手に畏怖の念を抱かせる鋭き双眸には、見る者を引き摺り込まんとする闇の如く黒き虹彩と、縦に細まる肉食獣そのものの瞳孔が備えられている。
 立ち上がれば俺様の身の丈を遥かに越え、覆い被さられれば、その巨大な体躯と豊かな体毛に埋もれ、俺様の姿は忽ち見えなくなってしまう。
 それらを持ち合わせる、恐ろしくも美しい強大な黒狐には――太く立派な尻尾が四本生えていた。


 厨二病を拗らせた訳でもなければ、幻覚でも妄想でもない。俺様は今もこうして、身体を丸めた黒狐に包まれ、その優しい温もりに身を委ねているのだから。
 ふわりと、太くて柔らかい尻尾が俺様の頬を擽る。黒狐は目を細め、牙を見せ付けるように口角を吊り上げた。
 黒狐は――彼は、俺様を取って喰おうとしている訳ではない。俺様を脅えさせ、揶揄っている訳でもない。
 彼は笑っているのだ。嘲りなどではない、嬉しくて笑っているのである。
 俺様とこうして、共に在ることが。




――――




 遡ること十数年。
 俺様が自分というものを自覚し、思考するようになった幼稚園児の頃、俺様は近所の公園で黒狐と出会った。
 この時の黒狐の身体は小さく、そして――尻尾が九つに裂けていた。細く畝る九つの尻尾を見た俺様は、無知故の勘違いをしてしまった。


 この子、尻尾を怪我してる――と。


 よく見れば血など出ていないし、傷らしきものもない健康体だったのだが、幼くも正義感なるものを持っていた俺様は、その黒狐を抱えて家に連れて帰ったのである。
 連れて帰ってから怪我をしていないことに気付いたのだが、両親が丁度犬か猫を飼おうかと考えていた最中だったので、その流れで黒狐を飼うことになったのだ。
 飼うと決まった時、俺様は黒狐に名前を付けてやった。尻尾の数が多いから、カズという名前を付けたのだ。


 カズを飼い始めてから、俺様の家で不思議なことが起こり出した。
 まず、壊れかけだった筈の洗濯機が、新品以上の高性能洗濯機になっていた。両親が働きに出て、俺様が幼稚園に行っている間にである。
 見た目はぼろいままだったのだが、音も静かで汚れもよく落とすようになり、途中で止まったりすることがなくなったのだ。
 母は「まあ、機械って勝手に直ったりするのねえ」などと言っていたが、そんなことがある筈ない。しかし父も「よく判らんが、良くなって良かったな」なんてことを言う始末。
 今だから判るが、俺様の両親はどうやら「天然」の部類に入る人間のようである。
 カズの尻尾についても「わあ、沢山もじゃもじゃしてる」という感想しか漏らさなかったし。
 その所為で俺様は、カズの異常性に全く気付くことが出来なかったのだ。
 人の言葉を完全に理解しているような振る舞いも、何もかも知っているかのような振る舞いにも。


 家の中の機械が壊れなくなり、寧ろ高性能になっていく日常が過ぎていき、俺様が厨二病を患い始めて高校生になろうとしていた時――カズは居なくなった。
 家の中に居た筈なのに、鍵を閉めていた筈なのにだ。
 俺様は泣いた。幼稚園の頃からの付き合いで、種族を越えた友愛を抱いていたカズが、突然俺様の下から居なくなったことが悲しくて――三日くらい泣いた。
 何故居なくなった?
 俺様が嫌いになったのか?
 他の動物に構い過ぎたから?
 疑問がどんどん湧くばかりで、答えなど見付かる訳もなく――俺様は何とか立ち直り、高校に入学した。
 それから一年間、普通の厨二病な高校生として飼育委員をやっていたのだが、絶滅危惧種の繁殖に成功したのが認められたのか、希望ヶ峰学園から「超高校級の飼育委員」として入学しないかと誘われることとなった。
 勿論それを断る理由がある筈もなく、俺様は希望ヶ峰学園への入学を決意したのである。


 希望ヶ峰学園への入学式を終え、さあ同級生達と交流していきましょうか――という矢先、とある男が俺様にいきなりこんなことを言ってきたのだ。

「よう、久し振り」

 その男は派手な桃色の髪と瞳をしており、獣の如き鋭い目付きと牙をしていて、これまた派手な蛍光色の黄色いつなぎ服を身に纏っていた。
 久し振りと言われたものの、全く見覚えがなかった俺様は――。

「誰だ貴様は」

 ――厨二病全開の冷たい対応をしてしまったのである。
 それがいけなかった。男は鋭い目を更に鋭くさせ、殺気のようなものを漂わせながら俺様へ訴えた。

「あんだけ俺の全身という全身を撫で回した癖に」
「言うのも憚られる行いもしたってえのに、しらばっくれるとは良い根性してんな」
「俺の純情が穢された、この下衆野郎」
「『てんこ』になったから迎えに来たのに、最悪だ」

 因みに場所は教室で、同級生が全員居た。つまり全員に丸聞こえな訳で――俺様は皆から凄い目で見られた。あの時のことは今でもトラウマである。


 扨。皆からの視線という名の槍で刺されまくっている中、俺様はふととあることを思い出した。
 そう、それはカズのことである。
 そして男が言った「てんこ」という言葉の意味を、何故か俺は理解することが出来た。
 恐らく、厨二病的な勘と知識のお蔭だと思われる。
 カズは九尾の狐だった。尾が九つに裂けている狐だった。
 狐は長い年月を掛けて妖力を増やし、それによって尾が裂けて尻尾が増えていき、最終的には九尾となる。そしてその九尾が千歳を越えると、強力な神通力と全知の力を持つ、神格化した四尾の狐――天狐になると云われている。
 勘と知識を信じるなら、この男は――。

「か、カズか?」

 そう言うと男は嬉しそうに笑い、俺様に抱き付いて――急激に質量と体積を増した。
 先程まで俺様より小さかった筈なのに、同級生の弐大猫丸よりも巨大な、四尾の黒狐に変化したのである。
 これには俺様も――傍に居た同級生達も吃驚し、教師が来るまでずっと恐慌状態であった。


 それから騒ぎを聞き付けた教師がやって来て、カズの正体――左右田和一の正体が妖狐であることが、学園に露呈したのだが。

「超高校級のメカニックとしての才能はあるので、このまま学園に居なさい」

 という結果になった。
 流石、才能ある者なら犯罪者だろうが何だろうが引き抜くことに定評のある希望ヶ峰学園だ、生徒が化け狐でも何ともないぜ。
 だがしかし、学園は良くても生徒――特に同級生達は納得しないだろう。
 そう思っていたのだが――。

「んふふ、まさか狐っ子だったなんてね。新しい扉が拓けそうだよ!」
「ふんっ、かなり上等な毛並みだな。剥製には丁度良いかも知れん」
「剥製にしちゃ駄目っすよ! クラスメートっすよぉっ!」
「何だ? 此奴、食えんのか?」
「がはは! 弩偉い奴が同級生になったもんじゃわい!」
「も、もふもふ。もふもふもふもふもふもふもふもふ」
「おいペコ、落ち着け」
「わあい、黒い狐さんだ! ほら、そこの苛められっ子臭漂うゲロブタ。ちょっと噛まれてきなさいよ」
「ふ、ふぇえっ! そ、そんな、死んじゃいますよぉっ!」
「うわあ、凄い! ちょっと写真撮っても良い? 良いよね?」
「わあお! これがジャパニーズアヤカシクリーチャーというやつですね! 生で見れるなんてマンモス嬉ぴーです!」
「あはっ、まさか希望ヶ峰に妖怪が入学するなんて――素晴らしいよ! 君には一体、どんな希望が詰まっているのかな!」

 ――十人十色な反応だったが、左右田は皆に受け入れられた。一人くらいは拒絶しても可笑しくないだろうに、全員が全員、好意的に受け入れたのである。
 流石、超高校級の人間。一般的反応とずれてやがるぜ。
 斯く言う俺様も、好意的に受け入れた人間の一人な訳で――。




――――




「左右田、擽ったいぞ」

 懐古することを止めて現実に戻ってきた俺様は、未だに頬を擽り続ける尻尾を掴んだ。すると黒狐――左右田は真っ赤な舌を口から出して、けけけと不気味に笑う。

「良いじゃあねえか覇王様。俺の戯れに付き合ってやっても」
「ほざけ、それより腕を退かんか。そろそろ身支度をせねば、授業に遅れてしまうではないか」
「寮から教室なんて、走って五分じゃねえか。まだあと十分は寛いで居られる」
「それは貴様だけだろう! 変化すれば良いだけの貴様と、着替えなどをしなければならない俺様とでは、掛かる時間が違うのだ!」
「仕方ねえなあ、もう」

 そう言って渋々腕を退けた左右田から抜け出し、俺様は慌てて着替えをし始めた。
 左右田は暢気にKサイズの寝台に丸まり、食み出まくった身体を必死に寝台の上に乗せようとしている。その度に寝台がぎしぎしと軋み、いつ壊れるか判ったものじゃない不安感に襲われる。

「おい、寝台の上で暴れるな。特注とはいえ、貴様の巨体を完全に支えられる訳ではないのだぞ!」
「はいはい、それより早く着替えろよ」

 俺様を軽くあしらい、左右田はゆっくりと起き上がった。天井に頭を打つくらいに身を伸ばし、四本の脚で寝台から降り立つ。
 床がぎしりと悲鳴を上げて、穴が空いたらどうしようという恐怖に駆られた。

「人に変化してから動け馬鹿! 俺様の部屋が壊れるわ!」
「部屋に居る時くらい、力を使わずのんびりしたいぜ」
「何がのんびりだ、昔のように子狐に化ければ良かろう! 何故その巨体を晒すのだ!」
「こっちの方が楽なんだよ」
「俺様が楽じゃないわ! 俺様の使い魔というのなら、主人の言うことを聞け!」

 怒りを込めて怒鳴ってやると、左右田は苦笑しながら、はいはい覇王様――と言って人の姿へ化けた。床が圧倒的重量から解放され、きしりと安堵の音を立てる。
 今でも不思議に思うが、何故変化すると重量まで変わるのだろうか。謎である。

「ほら、俺はもう教室に行けるぜ。早くしろよ覇王様」

 そう言って左右田は寝台に腰掛け、腕を組みながら時計を睨んでいる。相変わらずの派手な出で立ちではあるが、これは俺様の好みに合わせた結果――らしい。
 昔、カズを含めた家族全員で花見に行った時「桜の色って綺麗だから好き」と俺様が呟いたのを聞いていたらしく、その結果があの髪と瞳の色らしい。蛍光色の黄色いつなぎ服は、俺様が「向日葵が好き」というのを知り、実行した結果だとか。
 正確に言うなら「俺様の飼っているハムスターは向日葵の種が好き」なのだが――未だに突っ込めずにいる。
 俺様は派手な人間が好きじゃないのだが、自分の為にと見た目を作ってくれているので、どうにも邪険に扱えない。
 それに自らを「覇王の使い魔」などと名乗り、俺様の傍に居たがるものだから――言うことはあまり聞いてくれないが、結構可愛いと思っている。
 小さい頃からの付き合いというのもあるが、偶に見せる千歳越えとは思えぬ幼さが堪らないというか――いや、今のは無し。

「覇王様、まぁだぁっ?」

 左右田は鼻に掛かったような、吐息混じりの声で俺様を催促し、寝台に寝転がって身動いだ。
 まるでこれから契りを交わすかのような振る舞いに――俺様は頭を抱えた。顔が熱い。
 女狐とはよく言ったものだ。
 左右田は女ではないが――性別は無いらしいが――狐というものは、こうも妖艶で淫靡なものなのか。恐ろしい。身に纏う雰囲気が恐ろしい。
 しかも本人――本狐? は無自覚なのだから尚恐ろしい。
 今まで何人何十人何百人もの人間を誑かしてきたのかと思うと、その一人に入ってしまいそうな俺様は――頭を抱えて耐え忍ぶしかない。

「ね、寝るな! 早く行くぞ!」
「はいはい覇王様」

 全く我儘な稚児だぜ――とぼやく左右田に対して俺様は、貴様のような老齢狐と比べるな――と心の中で反論するしか出来なかった。

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