上
希望ヶ峰学園へ行き、突然教室に着いたかと思えば、教室の壁が倒れ――俺様は何故か、南国の島に居た。
どう考えても可笑しいだろう。一体、如何なる魔術を用いたのだ。
同じ境遇の同級生達も困惑している。そりゃあそうだろう、こんな非現実を目の当たりにすればな。
だがしかし! 俺様は怯まない! 何故なら俺様は、制圧せし氷の覇王だからな!
教師を名乗る縫いぐるみなど、知ったことか。
希望の欠片を集めなければ帰れない? それより今は探索だ。探索は幻想世界の鉄則だぞ。
という訳で俺様は色々な場所を見て回り、空港に辿り着いた訳だが――先客が居た。
躑躅色の派手な髪色に、蛍光色の黄色いつなぎ服を身に纏った、それはそれは派手な出で立ちの男だった。
俺様の気配に気付いたのか、男が此方を振り返る。どうやらカラーコンタクトを入れているようで、瞳の色も躑躅色だった。おまけに耳に螺子のようなピアスを付けている。
それにしても――目付きは悪いし、歯もまるで肉食獣の牙だ。本当に人間なのかと疑いたくなる。
そういえば昔、こんな面の幼馴染が居たな。中学生になる頃、俺様が引っ越してしまって、それからまた引っ越しを繰り返してしまい、音信不通――俺様がうっかり彼の住所と電話番号を忘れたので――になってしまったが、彼は今も元気にしているだろうか。
彼とは幼稚園で出会い、それから引っ越すまで、ずっと仲良くしていた。幼稚園児の頃から物作りが得意で、彼はよく時計を解体してはミニカーに変形させていた。
ちょっと変わった能力の持ち主だったが、物静かで、淑やかで、穏やかで――今思えば、俺様の初恋の相手は彼だったのだろう。
綺麗な漆黒の髪に、鋭いけれど優しさに溢れた目付き。能ある鷹は爪を隠すというように、牙を見せずに微笑む上品さ。黒縁眼鏡がよく似合う、淑女のような男だったからな。
勉強熱心で頭も良く、テストはいつも百点を取っていた。切れると吃驚するくらい怖かったが、滅多に怒ることのない温和さを持っていたし。
それに比べて――目の前の男はどうだ。頭の悪そうな恰好をして、上品さの欠片もない。彼とはまるで正反対だ。彼にもう一度会えるなら、彼の爪の垢を目の前の男に飲ませてやりたい。
「何睨んでんだよ。俺に文句あんのかぁ?」
男が不愉快そうに、俺様に威嚇する。何てことだ、見た目通りの魔獣だった。
これ以上関わりたくない――が、希望の欠片がどうのと言っていたし、此奴とも仲良くせねばならんのだろう。
仕方ない、此処は我慢だ。
「――ふはっ! この俺様こそは、不滅の煉獄にして箱庭の観測者 黄昏を征きし者、田中眼蛇夢だ! 雑種よ、貴様の真名を問おう!」
どうだ、俺様の自己紹介は。雑種如きに理解出来たか知らんがな!
見下すように――というか男が俺様より小さい――男を観察していると、男は頭を捻り、ううんと唸った。矢張り理解出来なかったのか?
そう思い、もう少し判り易く説明してやろうと口を開けようとした時、男が先に口を開いた。
「俺は超高校級のメカニックとして希望ヶ峰学園に入学した――左右田、和一だ」
――そうだ、かずいち?
あれ可笑しいな。彼と同じ名前じゃないか? うん?
「き、貴様の名は、どういう漢字で書くのですか」
「上下左右の左右に、田んぼの田。平和の和に、数字の一」
あ、あれ? 同じ漢字?
あれ?
「ところで田中。お前の名前って――眼球の眼に、蛇、夢って書いて眼蛇夢か?」
「え、あ、はい」
何で判ったのだ?
初対面の人間は必ず、俺様の名前に使われている漢字が判らないというのに。
――ま、さ、か。
「そ、左右田よ。貴様、白きラインを紡ぎし車輪の悪魔を改造し、自立走行可能にしたことは?」
「ある」
「じゃ、じゃあ――学び舎に配置された時を刻みし円盤を、全て大空へ舞い上がらせたことは?」
「ある」
「な、ならば――上級生の悪鬼三人を、拳と脚とスパナで病院送りにしたことは?」
「あ、ある」
まさか。まさか此奴は――。
「――か、かずいっちゃん?」
「――やっぱり、眼ちゃん?」
「うわああああああああかずいっちゃんだああああああああ!」
俺様は歓喜の余り、キャラ崩壊も構わずに叫び、和一を抱き締めた。和一も俺様を抱き締め返し、熱い抱擁を交わし合う。
「お、おおおおっ! 昔っから機械弄り得意だなあって思ってたけど、まさか希望ヶ峰に入学してるだなんて!」
「僕も眼ちゃんが希望ヶ峰に入学しているなんて、思いもしなかったよ。もしかして、ブリーダーとして入学したの?」
「俺? いや、肩書きは飼育委員だよ。将来的にはブリーダーになるかも知れないけどね」
俺様は和一に擦り寄り、息を吸う。ああ、懐かしい。見た目はかなり変わってしまったけど、機械油と鉄と、和一の匂いだ。懐かしいなあ、まるであの頃に戻った気分だ。
そうして俺様が懐古していると、和一がやんわりと俺様を引き剥がした。
うん? 何だ?
「かずいっちゃん?」
「眼ちゃん。僕、貴方に会ったらしたかったことがあったんだ」
し、したかったこと?
まさかの展開に、何故か俺様の心臓が高鳴る。
ちょっと待て、確かに初恋の相手だけど、俺様も和一も男な訳で――いやしかし、この際性別なんてどうでも良いような――とりあえず落ち着け俺様!
内心狼狽しまくりな俺様に、和一は昔と同じ歯を見せない微笑みを見せ――腰を落として、身体を捩って拳を突き出し、俺様の鳩尾に強烈な一撃を食らわせた。
あまりの衝撃と痛みに声も出ず、俺様は数メートル吹っ飛ばされ、床に転がった。
何で俺様、殴られたの?
「――眼ちゃん。何で僕に手紙くれなかったの?」
あっ。
「僕、何通も何十通も何百通も送ったよ? なのに全部、宛先間違いで返ってきたんだよ? どういうことなのか、なあ?」
穏やかな口調で言う和一の顔は、絶対零度の冷たさを孕んだ無表情だった。
あわわわわ切れてるううううっ!
「あの、それはですね、その」
「まさか、僕の家の住所が判らなかったとか言わないよね?」
あわわわわ。
「あの、はい、申し訳ございません」
「じゃあ何で電話もしてくれなかったの? 僕、何回も何十回も何百回も電話したのに『お掛けになった電話番号は現在使われておりません』って言われたんだよ?」
「あの、それは、また引っ越ししまして」
「へえ、だから手紙も届かなかったんだ。へえ」
道端に落ちている犬の糞でも見るような目で、和一は俺様のことを見ている。
拙い、スパナで殴り殺される。
「す、すみません。本当ごめんなさい、心の底から反省していますので、どうかお許しを」
プライドとかキャラ設定とか、そんなものは投げ捨てて、俺様は床に這い蹲って土下座した。
和一は滅多に切れないが、いざ切れると何をしでかすか判らないのだ。
それこそスパナで、人を病院送りにするくらいに。
「――本当に反省してる?」
幾分か怒りが治まった様子で、和一が首を傾げて尋ねる。俺様は首が引き千切れる勢いで、何度も何度も縦に振った。すると和一は跪き、俺様の目線に合わせて――にこりと微笑んだ。
「なら、許してあげる」
そう言って俺様の頭を撫でる和一は、あの頃と変わりない優しさに満ち溢れていて――ああっ、女神様!
俺様は感激のあまり和一に抱き付き、押し倒してしまった。だけど和一は怒らず、苦笑いを浮かべて俺様の背中を擦ってくれた。矢張り和一は優しいままだ。
「かずいっちゃん、かずいっちゃんっ!」
「はいはい、眼ちゃんは昔っから甘えん坊だなあ」
和一限定だがな!
「ところで眼ちゃん、ちょっと聞きたいことがあるんだけど」
「ん? 何?」
「眼ちゃん、もしかして――宗教とかに入っちゃったの?」
はい?
まさかの質問に驚き、和一から飛び退いた。和一は心配そうな目で俺様を見詰め、床に正座した。釣られて俺様も正座する。
「あの、宗教って?」
「ほら、何だかよく判らないイヤリングとか付けてるし、暑いのに真っ黒な服のままだし。学ランも変な改造が施されているし、顔に落書きしてあるし――それにさっきの自己紹介、普通じゃなかったよ。怪しいよ」
そんなに淡々と指摘されると、恥ずかしくなってくるじゃないですか、やだぁっ。
「えっと、これはだな、所謂キャラ作りというか――厨二病ファッションというやつで」
「ちゅうにびょう? 何それ、新しい新興宗教?」
違います。
「そうではなくてだな、何というか――ほら、ゲームとか漫画の、ミステリアスな恰好良いキャラクター! あんな感じのキャラ作りをだね」
「――僕、昔の眼ちゃんの方が良かったな」
えっ?
「え、えっ?」
「昔の眼ちゃんは、もっと明るい服を着ていたし」
「あれは母さんの趣味で」
「昔の眼ちゃんは、あんな変てこな喋り方じゃなくて、普通の口調だったし」
「へ、変てこ?」
「昔の眼ちゃんは、今よりもっとまともだったよ」
衝撃的だった。
今まで築き上げてきた、自分にとって恰好良いキャラクターが、完膚無きまでにぶち壊された気分だった。
ぶち壊された俺様は、悲しみと怒りを抱き、和一に食って掛かった。
「そ――それを言うなら、かずいっちゃんだって、まともじゃないじゃん! 何だよその髪と目! それにそのつなぎ服! 派手過ぎだよ! おまけにピアスまで付けちゃってさあ!」
「うっ」
「昔はもっと温和しい服装だったじゃん! 髪だって綺麗な黒だったのに、こんなにぎしぎしの傷みまくりなピンク髪! 目の中に物を入れるなんて怖いって言ってたのにコンタクト! しかも口調も軽くなってるし! どうしてこうなった!」
「そ、それは、色々遭って」
「何が遭ったっていうんだよ!」
噛み付く勢いで迫れば、和一は何かを堪えるように固く目を閉じ、悲鳴のような声を張り上げた。
「中学で出来た友達に裏切られて、自棄になってやっちゃったんだよぉっ!」
――おうふっ。
流石、切れたら何をしでかすか判らない男。本当に何をしでかすか判らないな。
「そ、そっか」
「そうだよ! 大体、眼ちゃんがちゃんと手紙を呉れていれば、僕だってもう少し冷静になれてたよ! 僕、眼ちゃんしか信じられる人居ないんだよ? なのに、なのにぃっ」
気丈な癖に泣き虫なところは、変わっていないのだな。
俺様は泣きじゃくる和一を抱き締め、宥めるように背中を優しく叩いてやった。
「よぉしよし」
「が、眼ちゃんっ」
ぐすんと鼻を啜り、和一は俺様の胸に擦り寄った。
「昔は、僕の方が大きかったのにね」
「でかい俺は嫌か?」
「ううん、好き」
好き――衝撃的だった。
先程とは違う意味で衝撃的だった。
見た目は変われど、中身は昔の和一のままで――沸々と、あの頃抱いた恋情が込み上げてくる。俺様は生唾を飲み、和一の身体をそっと撫で回し――。
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