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 日向創は、諦めていなかった。


 一日で風邪を治し、左右田和一を我が物にするべく――とある作戦を立ててしまう程に、彼は執念深い男であったのだ。
 日向は、修学旅行での課題――物作りを行う上で必要な材料を集める為の、メンバー配置を決める担当である。彼はその権限を大いに振るい、左右田と二人きりになれるように謀ったのだ。所謂、職権乱用である。
 勿論、左右田は猛烈に反発した。しかし――悲しい哉。皆からの信頼が厚い日向の意見を、其処まで慕われていない――寧ろ虐げられ気味な左右田の意見では、どう足掻いても覆すことは出来なかったのである。


 そして――見事に日向の卑しい策略に嵌ってしまった哀れな左右田は、市場へ売られる仔羊になった心境で山道を歩いていた。その後ろを日向が歩いており、左右田が逃げないように監視している。
 針の筵――左右田はそう思った。
 油断すればまた――記憶はないが犯されてしまう。常に警戒し、採集の終了時間まで我が身を守らなければならない。うっかり休憩を取って転寝でもしようものなら、身包みを剥がされて犯されてしまうだろう。
 採集自体も体力を使う。しかも一番体力消費が激しい山であるにも拘わらず、自分の貞操を守り抜かなければならないとは――難易度が高いにも程がある。考えるだけで、左右田の頭が痛くなった。

「左右田、大丈夫か?」

 心配そうに声を掛けてくる日向であったが、疑心暗鬼に駆られている左右田にとっては、悪魔の囁きに他ならなかった。
 心配している振りをして、油断したところを押し倒す気だろう――そう思った左右田は、大丈夫だと日向を軽くあしらい、早足で山道を歩き始めた。まるで日向から逃げるように。
 それを見た日向は、少しだけ悲しそうな顔をして――すぐにいつも通りの表情に戻し、左右田の後ろを付いて行った。


 暫く無言で山道を歩いていると、漸く二人は目的の場所に辿り着いた。鉱山への入り口――坑道である。
 坑道の入り口付近には赤の花が咲き乱れており、まるで極楽への入り口のようだが――実際は採集の為に鶴嘴を振るい、岩盤を砕いていかねばならないので、地獄の入り口と云った方が正しいだろう。

「――さ、さっさと採集終わらせて帰ろうぜ」

 そう言って左右田は、日向を見ないようにしながら中へ入っていく。そんな左右田を見て、日向は――。

「――ああ、さっさと終わらせようか」

 左右田の後ろ姿を見詰めながら、小さく呟いた。




――――




 坑道の中を進んだ二人は、一番奥まで行き、ランタン型の懐中電灯を置いて――担いで来た鶴嘴を振り翳し、壁へ突き立てた。何事もない、至って普通の採集風景である。
 可笑しいと、左右田は思った。絶対何か良からぬことを企んでいる筈なのに、その素振りが全くない。黒いところが全くない、驚く程に白いのである。
 それが却って、怪しかった。
 疑心暗鬼に囚われている左右田には、日向は白過ぎて恐ろしかったのである。ふとした瞬間、凶行に及ぶのかと思うと――思わず、手に持った鶴嘴で殴ってしまいそうになるくらい、怖かったのだ。
 だから左右田は、出来るだけ日向から離れて壁を掘っていた。自身の腕と鶴嘴の長さを足した、その長さの範囲外に日向が常に居るように。
 もし範囲内に日向が入って居れば、衝動的に鶴嘴で殴ってしまうかも知れないからだ。それくらい彼は、日向に対して恐怖を抱いているのである。


 一方日向は、どうしたものかと頭を悩ませていた。
 下心はあったものの、目的は左右田との仲直り――あわよくばらぶらぶ――の為、こうして強制的に二人きりの場を作ったのだ。
 しかし左右田は、日向に対して脅え、殺気のようなものまで発している始末。このままでは、仲直りすらも叶わない。
 だから日向は悩んでいた。どうすれば、左右田の警戒を解くことが出来るのかと。
 鶴嘴を振るいながら、日向は考える。左右田に信じて貰うには、どうすれば良いのかと。


 一度失った信用は、取り戻すことが出来ない。
 それくらい裏切りという行為は、相手に大きな失望を与えてしまう。故に人は、信用を回復させることを諦め、穴埋め代わりに他からの信用を得ようとするのだ。
 しかし、日向は違った。
 一度失おうとも、諦めることを良しとしなかったのである。その点については、彼は立派な男であると言えよう。
 やらかしたことは屑の極みだが――。


 扨、そんなこんなで日向は考えた。とりあえず、左右田を抱き締めようと。
 何を考えているんだ此奴は――と思う方も居るだろう。しかし彼は真剣である。真剣に考えて出した答えなのだ。
 彼の考えでは――疑心を取り除くには愛、つまり温もりが必要だ。だから抱き締めてやろう、そうすればきっと心を開いてくれる――という流れらしい。とんでもない理論である。
 そもそも、元凶である日向が抱き締めたところで、逆効果しか齎さないというのに――彼はそれに気付かない。
 気付かない故に、彼は踏み込んでしまった。
 緊張の糸が張り詰めに張り詰めた、加減の判らぬ脅えた獣の領域内に。


 ひゅん、と。日向の鼻先を何かが掠める。
 日向には一瞬、何が掠めたのか、何が起こったのか判らなかった。しかし、電灯の幽かな光で理解した。
 左右田の振るった鶴嘴が、自分の鼻先を掠めたのだと。
 理解して――日向は顔面蒼白になった。

「――そ、左右田?」

 恐る恐る、日向は左右田を見る。左右田は鶴嘴を構え、日向を見据えていた。

「ち、近付くなよ。近付いたら――殴るからなっ」

 左右田は酷く脅えた様子で、鶴嘴を握り締めながら日向を睨む。先程の勢いで殴れば、確実に即死なのだが――恐怖に震える臆病な獣は、それに全く気付かない。
 喧嘩慣れしていない者は、いざ喧嘩をすると遣り過ぎて相手を死に至らしめる――正にその良い例である。

「ちょっ、ちょっと落ち着けよ。先ずその鶴嘴を捨てよう、なっ?」
「う、五月蠅えっ! そうやってまた、俺のこと襲うんだろ!」

 左右田は鶴嘴の先を日向に向け、いつでも振り下ろせるように身構える。日向は、自身に向けられている明確な殺意に混乱し――踏み込んではいけない領域内へ、再び足を入れてしまった。
 その瞬間、左右田の疑心は最大にまで膨れ上がった。

「――ぎっ、ぎにゃああああああああっ! 来るなああああああああっ!」

 半狂乱となった左右田は、日向に向かって鶴嘴を振り下ろした。持ち前の運動神経でぎりぎりそれを避けた日向は、混乱した頭で考えに考え――とりあえず左右田を押し倒してしまおう、という答えを弾き出した。
 無力化しようという考えは良い。しかしそれは、押さえ込める相手ならの話である。
 左右田を押し倒すべく、日向は飛び掛かった――のだが。

「ふっ――巫山戯んなっ、この変態野郎がぁっ!」

 持ち前の筋力に、火事場の馬鹿力が合わさった左右田に勝てる筈もなく、日向は逆に押し倒されてしまった。
 坑道特有のごつごつとした石が背中に当たり、日向は痛みに呻く。頭を打たなかっただけ儲けものだが。
 左右田は日向の腹に跨がり、両手で鶴嘴を短めに持った。そして鶴嘴をゆっくりと振り翳し――其処で日向は、自分が本気で殺されそうになっていることに気付く。

「わっ、わあああっ! 待ってくれ左右田、頼む! それは本当、洒落にならない! 確実に死ぬから、死ぬから!」
「ち、ちょっと気絶させるだけだっつうの!」

 そう言って左右田は、勢い良く鶴嘴を振るった。
 やばい――そう思った日向は、咄嗟に首を捻ってその一撃を避ける。刹那、耳元で凄まじい衝撃音が鳴り響いた。
 ゆっくりと、錆びた金属の玩具のような動きで、日向は首を動かす。
 先程まで自分の額があったであろう位置に、鶴嘴が生えていた。地面には罅が入っており、鶴嘴の先端が完全に埋まっている。避けていなければ、完全に死んでいただろう。
 日向は、失禁しそうな勢いで恐怖した。

「そ――左右田ぁっ! 死んじゃうっ、その一撃は死んじゃうっ! 最期の一撃で切なくなっちゃうっ!」
「うっ、五月蠅えっ! この強姦魔め、絶対許さなえっ!」
「愛さえあれば許される――そう思っていた時代が俺にもありましたぁっ!」
「その概念を打ち壊す!」
「やめてっ、乱暴しないで! グロ同人誌みたいにっ、グロ同人誌みたいに!」
「エロ同人誌じゃないのかよっ!」

 お互い半狂乱に陥り、訳の判らない日本語の応酬が始まった。
 ああ言えばこう言う、こう言えばああ言う、会話になっているのかも判らない会話が何分か続いた最中――日向は何とか正気に戻った。
 正気に戻ったと言うべきなのか判らないが――とりあえず彼は、半狂乱状態よりはまともになったのである。
 正気に戻った日向は、未だ狂気と恐怖に囚われている左右田に掴み掛かり――自身の身体を起き上がらせて、左右田を押し倒した。急に押し倒された左右田は吃驚し、鶴嘴を手放してしまう。
 それを見逃す程、日向は馬鹿ではないので――鶴嘴を掴み、左右田の手が届かないところへ放り投げた。
 不利な態勢にされ、武器を失った左右田は恐怖し、身体を震わせて日向を見詰める。

「ひっ、日向ぁっ。やだ、絶対やだぁっ。俺はそんな――そんな趣味、ねえんだってばぁぁっ」

 左右田はぼろぼろと涙を零しながら、震える手で自身が着ているつなぎ服のファスナーを押さえた。脱がされないようにしているらしい。
 そんな左右田を見て日向は――加虐心と呼ばれる、火気厳禁の危険物に火が付いてしまった。

「――そんな趣味はない? あんなに悦んでたじゃないか、嘘を吐くなよ」

 そっと、日向は左右田の頬を撫でる。いきなり撫でられた左右田は、ひっ――と小さな悲鳴を上げ、ぎゅっと目を瞑った。瞑ったことで涙が目から追い出され、目尻を伝って耳に流れ落ちる。
 ちょっと撫でただけでこの脅え様――と、日向は胸中で悦びに震えた。
 何て愛らしい、あの時――酔っ払いの時とはまるで違う、臆病な小動物の如き反応。
 日向は思った。この小動物を食べてしまいたいと。
 その衝動に呼応して、日向の息子が段々と勃ち上がってくる。左右田もそれに気付いたのか、情けない悲鳴を上げて逃げようとするが――日向は左右田に覆い被さり、その肩をがしりと掴んだ。

「ひっ、ひな、た――」
「左右田、逃げるな」

 眼前に迫る日向の真剣な顔を見て、左右田は静かに涙を流して口を噤み――日向から目を逸らした。
 初々しい――と、日向は思った。あの時の記憶がないお陰かも知れないが、非処女とは思えない初な反応である。試しに胸を撫で回してみると、ふっ――と掠れた吐息を漏らして身体を震わせた。
 電灯の幽かな光が、左右田の赤くなった顔を照らしている。仄暗い坑道の中、非現実的で倒錯的で背徳的な状況に陥っている自分達を自覚し――日向の心臓が、どくんと高鳴った。
 何て扇情的なのだろうか。寝台の上に押し倒した時よりも、背徳的で興奮する――と、日向は厭らしく笑み、左右田の顔に自身のそれを寄せる。

「――思い出させてやるよ。あの時の快感」

 日向はそう言って、左右田の唇に口付けを落とした。

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