駅からの道を辿り、すっかり見慣れたスタジアムの正面入口に立つと、碧海ミカゲは深く息を吸い込んだ。早朝の爽やかな空気が肺を満たして、ミカゲは満足そうに目を細める。
ヴァンガードチャンピオンシップ全国大会・決勝トーナメント当日の朝は、清々しいほどに晴れ渡っていた。
開会式までにはまだ時間があるが、会場の中は運営スタッフや出場者で既に賑わっているようだ。テレビ局のクルーたちも何度か見かけている。チームメイトに会場に着いたことを連絡すると、ミカゲは携帯電話をポケットへしまい、再び会場のスタジアムを見上げた。
ミカゲがこの場に選手としてやってくるのも、これで三度目だ。初めての大会では優勝。その次の大会では準優勝。今大会で再びカードファイターとして頂点に立つべく、ミカゲの気合いは充分だった。高鳴る心音は程よい緊張感として、ミカゲの背筋を引き締める。
「あれ、ミカゲさんじゃないか」
そんなミカゲの背中に、声がひとつ降りかかる。声の主を察したミカゲは、少し緊張した面持ちで振り返った。
「光定さん。おはよう」
「おはよう、ミカゲさん。早いね、気合いは充分かな」
「もちろんよ。今回は絶対、チームカエサルに勝つんだから」
ミカゲに声をかけた男――光定ケンジは、ミカゲの宣言を聞くと「僕たちも負けないよ」と笑んだ。彼の屈託のない笑顔に、ミカゲは思わず言葉を詰まらせる。にわかに朱が差した頬を隠したくて、ミカゲは視線を彷徨わせた。
今、ミカゲと和やかに談笑しているこの光定ケンジこそ、前回大会の優勝チームであるチームカエサルのリーダーだ。決勝戦でミカゲを下した相手だが、前回大会以降、ミカゲは光定との個人的な交流を続けている。それほどに、ミカゲにとって、光定とのファイトには得るものがあったということだ。――ミカゲから光定に淡い好意があるのも、一因と言えなくもない。
「この大会のために猛特訓してきたんだから。どこで当たるか分からないけれど、私たちとやる前に負けたりしないでよ?」
「もちろん。一回戦か二回戦か、準決勝か……前回みたいに決勝かもしれないね。お互いに善戦しよう」
「ええ」
まだ決勝トーナメントは始まってもいないのに、二人は早々に握手を交わす。光定の手はやはり男と言うべきか、骨張っていて大きくて、ミカゲは思わずそれにどきりとした。
中学三年生のミカゲからすると、高校一年生の光定は随分大人に見える。あと一年すれば今の光定と同じ年齢にはなるが、光定のような落ち着いた雰囲気は持てない気がしているミカゲだった。
そうだ、と突然声を上げた光定が鞄を探り始めたので、手を放されたミカゲは心臓を落ち着けることに専念する。そんなミカゲの様子はお構いなしに、光定は鞄から雑誌を取り出し、ある見開きのページをミカゲに見せた。
それはミカゲにとっても記憶に新しい。ミカゲも毎月購読している、ヴァンガード専門誌の最新号だ。元々その雑誌で連載を持っていたミカゲは、全国大会本戦直前号と称した誌上で、大会への意気込みを答えている。
「ミカゲさんのインタビューが気になってね、早速買わせてもらったよ」
「そんな、別に大したことは」
「僕たちのこと、随分褒めてくれていたから恐縮したよ。ありがとう、ミカゲさん」
「い、いえ……こちらこそ……」
ミカゲは目線を合わせていられなくなり、明後日の方向へ目を逸らす。思い返せば、宿命のライバル・チームカエサルについて問われ、メンバーひとりひとりの戦術について優れた点を挙げ、特に光定については自分の語彙を限界まで絞り出して語った。このページ数に記事を纏めたライターの仕事ぶりに、ミカゲは内心で謝辞を述べる。
ちょうどその時、光定を呼ぶ女性の声が聞こえてきた。彼を『コウテイ』と呼ぶのは、彼のチームメイトたちである。声の方を、光定とミカゲは二人して見遣る。臼井ユリと、その後ろをついてくる臼井ガイの姿が見えた。
「コウテイ、今日の受付を済ませてきたわよ。って、ミカゲちゃんじゃない」
「おはようございます」
ミカゲは軽く会釈する。ガイはそれに倣うように頭を軽く下げ、ユリは右手を上げて笑んだ。
チームメイトが揃っているのだ、カエサルにも最後の準備があるだろう。ミカゲは話を切り上げて、その場を離れることにした。携帯で時間を確認すると、ミカゲのチームメイトたちもそろそろ会場に着く頃だ。
「それじゃあ、私はそろそろ失礼するわ。チームカエサル、次はバトルフィールドで会いましょう」
「うん。ミカゲさん、お互いに頑張ろう」
開会式まであと一時間――カエサルと戦えるその時に心を踊らせ、ミカゲは彼らに背を向けて歩き出した。
まさか、カエサルと当たる前に自身のチームが敗退するなど、ミカゲは夢にも思っていなかった。
*
チームメイトと合流し、参加受付を済ませたミカゲは、開会式のためスタジアムのバトルフィールドに立っていた。
大会運営が選出した出場者が行う選手宣誓や、大会ルールの再確認など、三度目ともなるとさすがに慣れるものである。決勝トーナメントの表が前面のスクリーンに大きく映し出されると、ミカゲは表情を引き締めて自分のチーム名を探す。
ミカゲのチームであるチームアクシスは、一番初めに試合を行う運びのようだ。対戦相手はチームフー・ファイター・アペックスリミテッドフォー――今大会が初出場でありながら、無敗で決勝トーナメントに進出した、期待の新星と呼ばれているチームである。
初出場であっても、相手はここまで勝ち上がってきた実力者だ。公式戦の記録がないということは、使用するデッキや戦術の情報がないことを意味する。
警戒はしつつも、ミカゲはもちろん勝つつもりだ。対戦表を見る限り、チームカエサルとは決勝戦まで当たらない。前回の雪辱を、前回と同じ舞台で。
逸る気持ちを抑えるように、ポシェットの上からデッキを撫でる。今なら、きっと最高のファイトができる――ミカゲの気持ちに応えるようにして、初戦チームに控え室へ移動するようアナウンスが入った。
*
先鋒戦。対戦相手は鳴海アサカ。恭しくフィールド上で礼をしてみせ、不敵に笑っている女。しかしファイトの内容は、リアガードもろくにコールせず、ガードもしないというふざけたものだった。
チームアクシス側がほぼストレートに六点のダメージを入れ、あっさりと勝利。こんなファイトが全国大会で行われてしまって良いのか、控え室から観戦していたミカゲも内心で呆れるほど、酷いファイトだった。解説も言葉を詰まらせていたのが印象的である。
かと思えば中堅戦、新城テツのファイトは圧巻の一言であった。序盤からカード効果を活かしてのソウルチャージの連続、まだこちら側の戦力が充分に展開されていない段階からメガブラストの準備を整え、容易く勝利してみせた。恐らく、このチーム本来の実力はこのファイトを基準に考えるべきだろう。鳴海アサカは、確実に手を抜いていた。
一勝ずつとなったチームアクシス対FFAL4戦は、大将戦まで縺れ込むこととなった。ミカゲはデッキを手にして、スタンバイに入る。
ストレート勝ちではないが、このファイトに勝てばいいだけのこと。堅い表情でフィールドに立ったミカゲを、対戦相手である雀ヶ森レンは静かに見つめている。
「……何よ」
「僕は“何よ”さんではありません」
「……は?」
デッキをシャッフルしてセットする。上から五枚引き――ミカゲは引き直しを宣言した。
「雀ヶ森レンです。君は碧海ミカゲさん」
「そうよ。私は決勝に行く……悪いけど、ここは勝たせてもらうわ」
「さあ、そう上手くいくでしょうか」
「………」
レンもデッキをシャッフルし、五枚をドローする。彼は引き直しの必要はないようだ。
にやりと笑って、レンはミカゲをじっとりと見る。その視線に、背筋に嫌なものが伝うような気がした。
「宣言しましょう。ここが君の最後の戦いの舞台になるってね」
「……は、最後の戦いの舞台、ですって?」
「そうですよ。その相手が僕だなんて、光栄なことですね」
ミカゲは思い切りレンを睨みつける。ジャッジがファイトのスタートを宣言した。
「スタンドアップ・ヴァンガード!」
「スタンドアップ・ザ・ヴァンガード」
――暴力的、その一言に尽きる、ファイトだった。
順当なライド、堅実な盤面展開、プレイングミスと言えるものは、ミカゲは一切していない。レン側も順当にライドし、リアガードを展開し、スキルを最大限に活かしてヴァンガードのパワーとクリティカルを増して攻撃宣言に入る。
ダメージを二点に抑えていたミカゲは、ノーガード宣言をした。手札には充分な戦力が整っている。ここで五点までダメージを受け、次ターンで一気に攻めて片をつけるつもりだった。ダブルクリティカルを警戒するのは、手札の消耗が激しすぎてナンセンスだ。相当な運がない限り、二枚のクリティカルを同時に引くなど起こらない。
レンは瞳を妖しく揺らめかせ、ドライブチェックに入る。
「一枚目。ゲット、クリティカルトリガー」
「……っ」
「二枚目。ゲット、クリティカルトリガー・ダブル」
うそ、とミカゲの口から声が漏れる。受けるダメージは四。一枚のヒールトリガーさえ引ければ、首一枚繋がる。ミカゲは震える手と声で、ダメージチェックを宣言した。
「無駄ですよ。君は僕には勝てない」
「……まだ、やってみなきゃ分からないじゃない」
「負けず嫌いなんですね、意外と」
一枚目。トリガーはなし。二枚目、三枚目、そして――四枚目。祈る気持ちで捲ったカードの右上に、トリガーアイコンはなかった。
「はい、トリガーなし。お疲れ様でした」
「……、負けたわ」
会場が沸き立つ。優勝経験があり、今回も優勝候補と言われていたチームを、無名のチームがあっさりと倒したのだ。割れるような拍手は、しかしミカゲに向けられたものではない。
レンはさっさとデッキをまとめ、フィールドを後にする。立ち尽くすミカゲの方へ振り返ると、一言、「楽しかったよ」とだけ言い残し、今度こそフィールドから去っていく。
久しぶりに負けた。前回大会の決勝以来の負けだった。悔しさに唇を噛みながら、ミカゲは光定が彼を破ってくれることを願った。