テラとシエロの二体のロボットドールが“役目”を果たすその日、時計塔の内部で、オーガスとナマエは静かにその時を待っていた。
 アコルダトゥーラ計画が始動して、それからの長い時間のほとんどを時計塔で過ごしてきたオーガスは、やはり最後の瞬間を迎えるのも時計塔なのだなと感慨深いものを感じる。時計塔の管理ロボットなのだから当然といえば当然なのだが、最後の役目を果たそうとしている今、長い年月を振り返って、どうしてもそう思わずにはいられない。
 オーガスの隣で肩を抱かれているナマエも、何かを考え込んでいるような、しかし穏やかな表情で眼前の大掛かりなオルゴールを見つめている。
 オーガスが優しくナマエの髪を梳くと、ナマエは気持ちよさそうに目を細めて、その視線をオーガスへと向けた。

「どうしたんですか?」
「今まで過ごしてきた時計塔が、こんな風に音楽を奏でるなんて、と思ったんだ」
「そうですね。私たち、ずっとここで暮らしていたのに、全然知らなかったですもんね」
「……いや、そんなことはただの口実だな。君とこうしていられるのもあと僅かだと思うと、もう少し触れていたくなった」
「……ふふ。オーガスさんったら」

 ナマエが笑う。その表情に幸福感が滲んでいるような気がして、オーガスもつられて微笑んだ。永遠に続いていくかと錯覚するくらいに、落ち着いた時間の流れ。その背後で、優しいオルゴールの音色が響いている。
 これから最後の時を迎えるにしては、彼らはあまりにも穏やかだった。
 やがてテラとシエロの歌声が響き始めると、二体はその旋律に耳を傾ける。オーガスの肩に、ナマエの身体がそっと預けられた。
 最後の瞬間を見届ける役目を持ったオーガスとは違って、ナマエはオーガスが役目を果たす日までの側仕えとして目覚めたロボットドールだ。ナマエが聞いた音色は、そのままの鮮度で以て、彼女を深い眠りへと誘う。

「……ナマエ」

 オーガスが彼女の名を呼ぶ。肩を抱いていない方の手でそっとナマエの手を握ると、少し遅れてやんわりと握り返された。力の抜けた声で、「はい」とナマエが答える。

「君には、申し訳ないことをした」
「……申し訳ない、こと?」
「君の持った役割の為に、君にもここで過ごすことを強いてしまった。俺は君の時間を奪ってしまった。その上、最後の日までこうして……」

 「オーガスさん」。オーガスの言葉は、ナマエの声に遮られる。

「そんなこと、言わないでください」
「君が幸せだったかと考えると、どうしても、そんな気持ちになるんだ」
「確かに、私はオーガスさんの側にいるのが役割でしたけど……」
「………」
「けど、私がオーガスさんの側にいたのは、私の意思です。今、この瞬間も」

 そうか、と呟いたオーガスの声はか細い。自らの片手を握るオーガスの左手を、ナマエはそっともう片方の手で包み込んだ。まるで幼子を安心させるように、恋人を諭すように、優しい手つきだった。

「私、オーガスさんの側にいられて幸せでしたよ」
「……俺もだ、ナマエ」
「……、ふふ、良かった……」

 呟きながら、ナマエはオーガスの左手に被せていた自分の手を離す。片方の手は繋いだまま、ナマエはもう片方の手をオーガスの胸元に寄せた。
 ナマエのふたつの瞳は、今にも閉じそうなくらいに重たげだ。オーガスの、ナマエの肩を抱く手に力が籠る。オーガスはまだ動けるが、ナマエの限界は近いようだ。
 一緒にいられて幸せだった、などとナマエに伝えたのは、初めてだった。人間の真似事のように唇を重ねたことはある。今しているのと同じように肩を抱き寄せたこともある。手を繋いで街中を歩いたこともある。けれど、言葉にして気持ちを伝えたのは初めてだった。これも、終わりを迎えるからこそなのかもしれない。オーガスはぼんやりとそんなことを思う。
 自分だけのロボットドール。オーガスはそんな彼女のことを好いていた。優しい子守唄を聞きながら、ナマエとの別れは寂しいなどと思うのは、きっとその愛情ゆえのことだ。
 今にも眠りに落ちそうなナマエの顔に、その睫毛が影を落としている。まだ彼女に、自分の言葉は届くだろうか。オーガスはそっと彼女の髪を撫でる。ナマエが小さく身動ぎして、繋がれたままの手をきゅっと握りしめた。
 ナマエ、そう優しく呼ぶオーガスの声が、オルゴールと歌声をバックに、二人だけの時計塔の部屋で反響する。

「……伝えるのが遅くなってしまったな。ナマエ、俺は君のことが好きだ。この世界の誰よりも」
「嬉しい、です。オーガスさん……」
「君に出会えて良かった。君が俺の側にいてくれて、良かった」
「私も、私も大好き……」

 ゆっくりと、ナマエの瞳が閉じられていく。その声音は柔らかで、甘やかで、弱々しい。

「オーガス、さん。私、先に、眠ります」
「……、ああ」
「おやすみ、なさい……」
「おやすみ、ナマエ。いい夢を」

 オーガスの言葉に、返答はなかった。


「オーガスさん」

 時計塔の階段を上がる音に、オーガスはそっと首から上で振り返る。見慣れたロボットドールがそこには立っていた。

「オクトか」

 オクトは、オーガスが個人的な接点を持っていたロボットドールだ。二体は簡単な言葉をかわす。その中で、オーガスがまだ眠りに就こうとしていないことをオクトは問うた。オーガスはその役目ゆえにしばらくは留まることを、オクトに教えた。オーガスを労ったオクトは、オーガスが腕に抱いているそれに気がつくと、少し寂しげに視線を送る。

「……ナマエさんは、先に眠りに就いたんですね」
「ああ……」

 オーガスは、自分の腕の中で眠るナマエを愛おしげに見つめる。
 ぴったりと閉じられたふたつの目は、オーガスが髪を梳こうが頬をなぞろうが、もう開くことはない。安らかな表情で眠るナマエは、その寝顔を幸せそうに綻ばせていた。

「ナマエさんは、きっと最後の瞬間まで幸せだったでしょうね」
「……そうだと、いいんだが」
「オーガスさんの側にいられて幸せだって、前にナマエさんが言ってましたから」
「そうか……」

 オーガスが目を細める。その表情は優しげで、ああ、彼がナマエに向ける顔は、こんなに暖かな愛情に満ちているのか――そう、オクトは思った。

 オルゴールは回り続ける。たおやかな歌を乗せて、世界の果てまで音を運んでいく。終わりを迎えた二体のドールは、最後の瞬間まで、恋人同士のように寄り添ったままだった。
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