胸の奥底に思い出が詰まってしまった


 いなくなってしまった。何も言わないで、綺麗さっぱり。二人暮らしを前提に建てられた家はがらんどうになって、私ひとりでは持て余すばかりの空間がただそこに在るのみになっている。
 朝起きたら、青も銀もすっかり消え失せてしまっていた。寒がりの私を引き寄せる腕も、昨日の夜愛をささやいた唇も、時々何かを憂うように鈍くひかるアメシストの瞳も、二人で一緒に眠るベッドから抜け出してどこかへと行ってしまったのだ。どこへなんて見当もつかない。
 テリー、一人きりになんてしないと言っておいて、どこに行ってしまったの。今まで私にくれた言葉を全部嘘にしてまで、何か見つけたいものでもあったの。当然答えは返ってこないけれど、投げかけた問いかけに応じる声がないのはひどく寂しい。――当たり前になっていた。当たり前にテリーは私の隣に居て、当たり前に言葉を交わし合って、当たり前に毎日を歩んでいく。でも、それを誓ったのは他でもないテリーなのだ。こんな形で裏切ったテリーへの怒りよりも、どうして、という気持ちの方が強かった。

 せめて書き置きでもあれば。リビングへと体を引き摺るように移動した私は、やはりテリーの普段使いの剣が無くなっていることを確認する。あれだけ自分の剣に自信を持つテリーが、剣を持たずに外へ出るわけがなかった。落胆した私がなおもそこから目を離せないでいるのは、今まであった剣が姿を消した代わりに一枚の紙切れが現れていたからだ。
『オレは強さを諦めきれない』
 置き手紙にも満たない字数のそれを壁から剥がしてまじまじと見る。走り書きだった。こんなのを解読できるのは私くらいしかいない。まだ夜も明けないうちにこれだけをさらっと書いて、いそいそと準備をして、きっと最後に眠っている私の頭をひと撫でして、そしてテリーは出て行ったのだ。
 どこに行くとか、いつ帰ってくるとか。そういう大事なことは何一つ教えないで、たったこれだけの文章で私に納得してもらおうなんて傲慢だ。自分だって置いて行かれたことがあるくせに、テリーは置いて行かれる私の気持ちなんてちっとも汲み取っていやしない。それとも、私にさえ言えないところへ行ったの? 霧散した問いかけを、テリーはどこか遠いところで掬い上げてくれたりするのだろうか。
 テリーにとって「強くあること」がどれだけ大切か、知っているつもりだった。お姉さんを助けること。そのためだけに多感な時期を剣を振ることに費やしてきたテリーが、何より守りたかった姉がもはや助けなど要らないくらいに強くなっていたことを知ったときにどれだけ虚しさを感じたかも、分かっているつもりだった。だから私が新しくテリーの守るべきものになろうとした。けれどきっとそのときにはもう、テリーの生きる意味というのは強さだけに限定されてしまっていたのだ。
 気づくのが遅かった。だって、私の中ではもう、テリーは生きる意味になっていた。

 どうしようもないくらい、テリーのことが好きなのだ。
 きっとテリーも私を大切にしてくれていた。私が世界にたったひとつの銀色を愛したように、テリーは私のありふれた色の髪の毛を「お前のこれだって世界にひとつだろ」なんて言って指に絡めて楽しんでいた。私を、愛していた。私を呼ぶ声がやさしさに満ちていること、私を捉える紫が夜には熱を帯びていること、規則的に動くテリーの心臓が私を抱きしめるときにはほんの少し早く脈を打つこと。全部が、テリーが私を好きでいてくれていると証明していた。
 思い出せば思い出すほど、私はつらくなる。一緒に紡いできた時間を振り返るほど、胸に埋まった鉛がその重さを増していく。
 簡単には取り出せないくらいに深く積もった思い出たちが胸につっかえて、呼吸を難しくさせた。それでも息を吸おうと口を開いて、うまく酸素を吸えなくて、代わりに嗚咽が漏れ出る。きっとこの苦しみを取り除けるのはこの世界にテリーだけだろう。けれどそれも叶いそうにない今、私はただ思い出たちが錆びていくのを待つのみ。それまでは胸の奥に詰め込まれた思い出を大切に抱えて、泣きながら生きていく他に道はないのだ。


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