住処にしている小屋の近くに倒れていたその人は、すぐ近くにある三角谷と呼ばれる集落の住人ではないらしかった。とりあえず食事や風呂の世話をしてはいるものの、彼女が自分の身の上を話すことはほとんどない。そもそも口数の少ないあの人について知っていることといえば、肉よりも葉物野菜を多く食べる傾向にあることだけだ。
 ある日のこと。いつもと同じように椅子に腰かけたままぼんやりと窓の外を眺めていたその人は、徐に口を開いた。

「あなたはどうして私をここに置いてくださるのでしょう。私にはそれが不思議でなりません」

 覇気もない、抑揚もない声だった。彼女の声を聞いたのはおそらく片手で数えられるほどしかないが、印象的なその声は相変わらずだ。静かに、ただ決められた音を発するかのような声。妙に機械めいた声は単調に、一方向へと向かっていった。それが窓にぶつかり跳ね返るのが、目に見えるようだった。
 私が彼女をここへ置く理由。それは私にも理解しかねる何かがはたらいたからだ。単に彼女の行く末を案じるだけならば、すぐ近くの集落へ預ける方がよほど安全だろう。ましてや彼女は女性なのだ。悪しき生はこの世界から断ち切られた、しかしそれだけでは守れないくらいに、女性というのはか弱い存在なのである。
 それでも彼女をここへ留める理由など、私が彼女に興味を引かれている以外に説明のしようがない。しかし彼女にいわゆる恋をしているのか――例えば彼女の唇へ自らのそれを重ねたいと思うか――と問われれば、その答えはノーだろう。そういう欲が己を突き動かしているわけでもない。

「あなたが私に心遣いを施してくださる意図が、まるで分からないのです。メリットなどないでしょう、ましてやただの同情など」
「……同情ならば、あなたをもっと安全なところへ預けるでしょう。私にさえ理解の及ばない行為だったのだから、あなたに分からなくて当然だ」
「同情でないということなら、あなたは私に興味があってこのような生活を?」
「他に表現のしようがないというのが正しいでしょうが、そういうことになりますな」
「…………」

 それ以降、彼女は言葉を発さなかった。私との会話に飽きたのかもしれない。私がひとつの結論を提示した瞬間に、この人の中では私に対する興味がさっと引いたのだろう。彼女の瞳は私を映すことをやめ、再び窓の外に広がる緑に向けられている。
 この人のことを、きっと私は『私に似ている』と思っていた。一向に帰るべき場所のことを持ち出さない彼女には恐らく居場所などないのだと、だから得体の知れない私のもとに留まるのだと、そう思っていた。つまるところ、彼女はこの世界を嫌っているのだと思ったのだ。こんな森の奥深くで倒れていたのも、死に場所を探していたからだと、勝手にそう認識していた。
 しかし、もしかすると違うのかもしれない。嫌い、憎いという感情を持っているにしては、彼女の言葉も瞳も、平坦すぎるのだ。彼女にかかわる全ての事象は、彼女の中で取り留めのないこととして流されていく。あらゆることが彼女の心に留まるだけの引っ掛かりが用意されていないのだ。風に揺れる木もそこから落ちる葉も、並べられたばかりの料理から立つ湯気もすべて、凪いだ彼女の心にとってはどうでもいいことだった。それは恐らく、自分の命さえ同じことなのだろう。だから森の奥に倒れていた。
 おかしいだろうか。あれだけ世界を恨んでいた私が、今では世界に無関心な彼女を哀れだと思っている。好きになれとは思わないが、せめて世界を嫌いだと言えるくらいには心に波風を立ててほしいと、そう、少しばかりだが願っている。
 私はおかしくないと思うのだ。道を歩いていて、たまたまそこに咲いた一輪の花に何かしらの感情を抱けることは、その感情がどのようなものであれ幸せだと思う。嫌いばかりが渦巻いて呪詛を吐くのは不幸だが、何かを嫌いにさえなれない人はもっと不幸せなのだ。
 たまたま彼女を拾っただけ。しかしそれは確かに何かの縁だ。だから私は、彼女が少しでも幸せになれるよう、祈るのだ。

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