なんて広い場所だろう。世界とは、わたしの見渡せる範囲など優に超えて、いったいどこまで続いているのだろう。世界の果てはどこにあるのか――地平の彼方を見ようとして、遠くに煌めく太陽が眩しくて目を細めた。
 太陽の高さからして、時間は昼前だろうか。天辺を目指して登りつめようとしている太陽が、わたしの肌へ光を下ろす。刺すような陽射しを浴びたのははじめてのことだった。陽に当たるというのはこういうことなのか。じりじりと皮膚がやかれていく、その感触は存外に心地が良い。わたしは今『生きている』と実感できるからだ。『活動している』ではなく、『生きている』と。

「……すごいですね」
「えっ?」
「はじめて、カルデアの外の世界をこんなにしっかり感じました。あくまでレイシフトで、ここは特異点ですが。けれど、外界とはこういうものなのかと……内心で、今、わたしは感動しています」

 心の内をそのまま吐き出して並べたような、直情的な言葉の羅列。汲み取るような意味すら持たないだろう言葉を、しかし隣に立つその人は頷きながら聞いて、そしてやんわりと目を細めて笑った。
 ナマエ。デミ・サーヴァントとなったわたしの、マスター。わたしが先輩と呼ぶ人。
 どこにでもいる普通の人だったという彼女は、数奇な運命の果てに人類最後のマスターとなり、わたしの隣でフランスの空気を吸い込んでいる。冬木から戻った直後はショックを隠しきれない様子だったというのに、今ではたおやかな笑みを浮かべている。それはこの人が強い精神を持っているからなのか、それともその真逆なのか。付き合いの浅いわたしには判断がつかない。

「何がすごいと思った?」
「はい?」
「はじめて見たこの景色、マシュは何に心を動かされたの?」
「それは……」

 先輩の言葉に、わたしはあたりを見回す。
 空の一番高いところにある光の輪は、きっと本来の景色には含まれないものだろう。わたしの心を動かす景色、わたしは理由を探して、目線を動かした。
 キャンバスを青で塗って、その上に綿を千切って置いたような空と、大地を埋める柔らかな緑と、わたしの左手側の方に群生している木々の緑が、ぱっと視界に入った色だった。草の緑と木の緑、『みどり』という音は同じなのに、およそ全く違う色であることが、当たり前のはずだけれど、わたしには興味深い。興味深いけれど、心は動かない。
 わたしがここに降り立って、目を開いて、心を動かされたのは。きっと――。

「地平線です、先輩。この景色を通り過ぎて、その先に浮かんでいる一本の線……わたしに見える景色の終わりですが、そこで世界が途切れているわけではない、その先を覗き込みたくなるような境界です」
「地平線かあ……」
「『地平線』という言葉は知っていました。そういう事象があるということを、言葉と画像では知っていたんです。けれど、はじめて目にして……、これが世界というものなんだと、実感できました」

 先輩の視線はわたしを向いていない。わたしと先輩のつま先の向くところを、先輩はじっと見ている。「地平線なんて何度も見てきたけど、そんなこと考えたこともなかったなあ」、先輩はそうこぼした。

「わたしは今、本当の意味で世界を知ることができたのだと思います。人類史の危機に不謹慎だとは思いますが……正直なところ、今は嬉しいです」
「そっか。レフに感謝だね」
「そっ、そんなつもりでは!」
「冗談」

 あはは、と声を上げて笑った先輩は、軽やかに二歩、三歩と足を踏み出す。それは歩いているというより、踊っているような躍動感があった。

「ねえマシュ」
「はい」
「地平線の先を覗きに行こうよ」

 軽い足取りでまたこちらに戻ってくると、先輩はわたしの手を取った。はじめて会った時から思っていたが、この人は楽しそうに笑う。

「その先の景色を、覗き込みたくなるんでしょ?」
「……はい。どこまで世界が続いているのか、わたしは、わたしの目で確かめたい。そんな気持ちになります」
「なら私は、マシュと一緒に行くことにする」

 先輩と繋いだ手が引かれる。わたしの顔を覗き込んで、先輩はふっと笑った。わたしが先輩の手を握り返すと、先輩の瞳がきゅっと細められる。
 わたしは先輩と出会って、冬木の一件を経て、自分の足で大地を踏みしめることを覚えた。砂地と泥地とアスファルトの感触の違いを知った。空の色を、空気の味を知った。世界が広いという事を、身体の全てで思い知った。
 まだわたしの知らないことがたくさんあるだろう。世界の果ても、未来も、いつかこの目に収めてみたい。それが叶うとき、わたしの隣に先輩の姿があるならば――。
 夢想しながら、一歩を踏み出した。広い世界に刻みつけた、わたしの小さな小さな一歩。わたしと先輩の旅の始まり。
 いつか地平の彼方から自分の旅路を振り返ったとき、この一歩を踏み出したときの気持ちを鮮明に思い出せるように。空の色も木々のざわめきも先輩の手の感触も、すべての感覚を以って、わたしはこの広い世界を自身に刻みつけるのだ。

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