「それ、IDOLiSH7の曲ですか」

 ソファに凭れるなまえさんの両耳には、イヤホンが嵌められていた。後ろから覗き込んだ音楽プレーヤーの画面に映る楽曲タイトルは、私たちのものではない。私が部屋に入ってきたことにも気づかないで、彼女は随分と聴き入っているらしかった。
 私がそのまま声をかけると、なまえさんは右、左と順にイヤホンを外して、首から上だけ振り返り、私を見る。

「……びっくりした」

 びっくりしたとは言っても、彼女の表情は大して驚いているようには見えない。プレーヤーの停止ボタンを押して画面を消したなまえさんは、イヤホンのコード部分をプレーヤー本体にくるくると巻きつけた。ああ、そんな巻き方をしたら、断線してしまう。

「IDOLiSH7の曲ね。桜ちゃんが作ったって前に言ってたでしょ、巳波くん。だから聞いてたの」

 どれもいい曲だね、と笑いながら、なまえさんは音楽プレーヤーを机の上にぽんと置いた。
 なまえさんは、桜さんのことを『桜ちゃん』と呼ぶ。彼が男性であることは前に教えたのだけれど、ずっとそう思っていたから癖ついちゃって、と言って呼び方を改めないまま今日まできているのだ。
 そう、なまえさんは『桜ちゃん』のことを女性だと勘違いしていて、さらに私のガールフレンドだと思い込んでいた。実際の桜さんを知っている私からすれば、桜ちゃんという呼び方もガールフレンドという言葉の響きもあまりに彼にはミスマッチで、思い出すたびに笑ってしまう。

「桜ちゃん……。いつ聞いても、ふふ」
「あ、もう男の人ってわかってるから、大丈夫だからね」
「ええ。ガールフレンドなんて、もう言わないで」

 私がノースメイアに行ったことも異国のガールフレンドへ気持ちを伝えるためにしたのだと思っていたというなまえさんは、私の笑い混じりの返しを聞いて、眉を下げて笑った。
 ずっと後ろから話しかける姿勢なのも何だと思って、なまえさんの隣に腰かける。なまえさんがすこし横にずれて、微妙な距離が空いた。

「けれど、どうして桜さんをガールフレンドだと勘違いされたんです?」
「えっ? よくあるでしょ、女の子の名前で、桜って」
「それは、そうですけれど……」

 小首を傾げるなまえさんを見て、ああ、私が桜さんのことを名前で呼んでいると思っていたのか、と思い至る。きっと、私がなまえさんを名前で呼ぶから。

「……あのね、なまえさん。私、基本的に人のことは苗字で呼んでいるんです」
「そうなの?」

 あれ、でも私のことは名前で呼ぶよね。なまえさんはそう続けた。

「ええ。私、なまえさんの苗字を知らないので」
「そうだっけ……」
「そうですよ」

 名乗っていないことを、なまえさんはすっかり忘れているようだった。知り合ってからけっこう長いこと経つけれど、私は未だになまえさんのフルネームも知らない。好きだと言われるのに相手の名前すら知らないなんて、おかしな関係だな、なんて思う。

「だから、私が名前で呼ぶのは、あなただけ」
「………」

 なまえさんが何も言わないから、不思議に思って彼女を見つめる。何か変なことを言っただろうか。
 ええと。言葉を探しながら視線を泳がせるなまえさんは、すこし珍しい。

「私、こういう名前なんだけど……。苗字で、呼ぶ?」
「……。ふふ」

 ――呼び慣れてしまったから、お名前で。
 そっか、と納得している様子のなまえさんはきっと気づいていないのだろうな。あなただけを名前で呼ぶなんて特別扱いしているようなものだから、もっと喜んだっていいということ。
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