「俺は、この世界を変えたい」
 なまえが銃を握るようになったのは、幼馴染みであるリーベルの一言がきっかけだった。
 リーベルとクウラとなまえ。幼い頃からずっと、リーベルの突飛な思いつきに振り回されるクウラとそれを見て笑うなまえの図は、彼らの住まうこの集落で当たり前の光景だ。
 今回のリーベルの発言もまた彼の思いつきのようで、しかしそれにしてはリーベルの瞳はあまりにも真剣だった。いや、リーベル本人は常日頃から真剣ではあるのだが。今までとは何かが違うということを、彼の瞳に差すまっすぐな光が、告げている。
「世界を変えるって、地上のこと?」
「そうだ。この地上を、争いのない平和な場所にする」
「……どうやって?」
 首を傾げて問うたなまえに、リーベルは「よく聞いてくれた」と言わんばかりに得意げな表情で、それはそれは力強く頷いてみせる。そして次に、窓の外――彼方に見える“それ”を指さした。
「アークから、地上に対しての支援を取りつけるんだ」
「アークから……」
 空に堂々と居座る、太陽でも月でもない、人工の建造物。人類の叡智の結晶にして繁栄の象徴、空中都市アーク。リーベルの指先は、それを確かに指さしていた。
 ――この世界は、二つに分かたれている。
 宙に浮かぶ奇跡の街と、荒廃しきった地上。その境界には、二つを隔てる線がはっきりと引かれている。絶望的なまでの格差という、見えない線が。
 リーベルたちが身を置く地上は実りに乏しく、僅かな資源を奪い合わずして生き抜くことはできない。今日食べるものにすら困るような環境では、地上人同士の争いが激化することは必至だった。苦しみに喘ぐ地上を、アークは天高くから見下ろすばかり。
 “アークに選ばれなかった”地上人を見下すユニティオーダーの兵士たち、寝静まることなど知らずに夜も燦然と輝くアークのネオン、アークに住まう者たちの“天子”なるものへの信仰の不可解さ。どれを取っても、アークと地上が歩み寄り手を取り合う未来など見えそうもないが、リーベルはそれを成し遂げるという。
「素敵。でもそんなこと、どうやって実現するの?」
「ああ、それはな……」
 リーベルが答えようとした瞬間、彼の後ろからひょいと顔が覗く。リーベルの頭を押さえつけるように引っ掴み、「これから考えるんだとさ、このバカは」と吐き捨てるように告げた。なまえのもうひとりの幼馴染み、クウラだ。
「昨日思いついたんだ、仕方がないだろう。クウラも手伝ってくれ」
「勝手に巻き込むなっつうの! 俺はお前に付き合ってやるなんて一言も言ってない」
 言い争いを始めそうなふたりに、なまえは「ふふ」と笑みをこぼす。リーベルの思いつきに振り回されるクウラと、それを見て笑うなまえ。幼い頃から変わらない、いつもの光景。
「昨日お前に言われた課題の解決策を考えた。まずはそれを聞いてくれ」
「へえ。言ってみろ、絶対ロクなもんじゃない」
「まず、人員だと言ったな。どんな手段を使うにしろ、アークを相手取るなら頭数が必要だと」
「そうだ。一人でできることなんかタカが知れてる」
「考えたが、地道に数を増やすしかない。あちこちを回って、協力してくれるやつを探すんだ。始まりのメンバーは俺とクウラと」
「勝手に入れんな! おいなまえ、お前からも何とか言ってくれよ」
 困り顔で、クウラがなまえに助けを求める。三人で話しているから、二対一になれば勝てるという算段なのだろう。なまえは穏やかな笑みを崩さぬまま、リーベルとクウラを交互に見る。
「いいんじゃない? 私は協力してもいいよ」
 ぽかんとした顔でじっとなまえを見つめるクウラ、「本当か、なまえ」と喜ぶリーベル。
「よし、これで三人だ。それから、あちこちを回るなら活動の拠点がいる。メンバーが増えても手狭にならないように、広い用地を確保する必要がある。どこかいい場所がないか、俺はこの近くを見てくる」
 すっかりやる気になっているリーベルは立ち上がり、足早に部屋を出て行った。「行ってらっしゃい」と見送ったなまえに、クウラがため息と厳しめの視線を送る。
「なまえ。そうやってリーベルを甘やかそうとするな。どうすんだよ、あいつ、もうやる気になっちまってる」
「いいじゃない。甘やかしてるわけじゃなくて、協力しようかなって思っただけだよ」
「はぁ……だいたい協力っつったって、何するつもりだよ? アークから支援なんて、簡単に受けられる訳がないんだ。戦うことになるかもしれねえんだぞ。そうなれば最悪死ぬ」
「いいよ。いつ死ぬかわからないのは、地上のどこにいたって同じだもの。それなら、リーベルとクウラくんと行く」
「アークとだけじゃない、地上の人間同士で戦うことにだってなる。その時に俺やリーベルがお前を守ってやれる保証はない。お前はここに残れ」
「私も戦う」
「……、は?」
 私も戦う、そう言ったなまえの瞳はまっすぐにクウラを見据えていた。聞き間違いかと思ったが、なまえの視線が本気だと告げている。目は口ほどに物を言うとはよくいったものだ。
「剣とかは無理だと思うけど、飛び道具なら練習すればどうにかなるんじゃないかな。銃とか」
「バカ言うな。言うだけなら簡単なんだ。けどお前はわかってねえ、銃を持って戦うってのがどういうことか、よく考えてから言うんだな」
「わかってるよ。だけどそれでも、リーベルの言ってることを実現できるかもしれないなら、やってみてもいいんじゃない?」
 クウラは絶句した。絶対わかってないだろ、と思ったが、こうなってはなまえも自分の話を聞いてくれそうにない。
 リーベルの言いそうなことをそれなりに予測できるのと同じように、なまえがリーベルに協力しようとする理由も察しがつく。
 なまえはリーベルのことが好きだ。三人で集落の端から端を駆け回っていた、幼い頃からずっと。リーベルは知る由もないだろうが、クウラは二人と友達になった頃から、なんとなく気づいていた。それにしたって、命の危険があるかもしれないのに着いていこうとするとは。
 けれどまあ、地上にいる限り、いつ死ぬかわからないのはどこにいたって同じだというなまえの言葉は決して間違いではない。間違いではないとはいえ、それではいそうですか、着いてきてくださいとは言えないが――多数決の論理で言えば、勝つのはリーベルとなまえということになる。どうにか自分を納得させて、折れるしかないのか。はあ、と大きなため息を吐いて、クウラは頭を抱えた。
 まだきちんとした名前もない、所属人数たった三人の新しい抵抗組織。――のちのリベリオンは、そんなふうにして立ち上がった。

***

 結論から言えば、銃を握って戦うことの意味を、なまえはきちんと理解していなかった。
 なまえにはもともとそれなりのセンスが備わっていたようで、リーベルが訓練についてやり数ヶ月もすれば、実戦に出られるようになった。それはひとえに、リーベルの力になろうとなまえが努力した結果であるのかもしれない。クウラだけが日々胃をすり減らし、それに反してなまえは力をつけ、リーベルのカリスマ性によって組織は順調に大きくなった。
 組織が大きくなるにつれ、リベリオンは地上の抵抗組織の中で悪目立ちをするようになった。武力で地上を統一するでも、黒縄夜行のように略奪だけを目的とするでもなく、アークと地上の和平交渉を理念に掲げるリベリオンは地上人たちの反感を買う。その理念はある意味、地上人の多くが大人になる過程で捨てざるを得なかった夢そのものだったからだ。実現不可能だと冷笑されることもあれば、活動中に襲撃を受けることも多々あった。
 ある時、突発的に起きた抗争でなまえは戦場に立った。いつも通り中・遠距離からの狙撃を担うことになったなまえは、淡々と自分のやるべきことをこなした。普段と同じように敵をいなして、みんなでアジトに帰る、つもりでいた。
「なまえ!」
 自分の名を呼ぶ声に振り返り、そこで初めて、間合いに入られたことに気づく。クウラが手を伸ばして自分に駆け寄ろうとするのがやけにスローモーションに見えた。まずいと思った時には既に遅く、腹部に当てられた銃口の感覚を、なまえはその日初めて知った。
 そこから先の出来事を、なまえはあまり覚えていない。
 ただ、腹部が燃えるように熱かったことと、半ばパニックになって引き金を引いたあと、自分を撃ったのだろう男がぐったりと力を無くし、もたれかかってきたことだけははっきりと覚えている。あとはアジトに担ぎ込まれ、設備や薬品の不足する中で何日か死線をさまよい、意識が回復してからは数ヶ月の療養生活をすることになった。療養中のなまえをリーベルが見舞いに来ることは、最後までなかった。
 療養中にベッドの中で、あの日に引いた引き金の重みを何度も思い返した。それまでに数え切れないほどの弾を撃ってきたなまえが、明確に人を殺したのだと実感したのはその時が初めてだった。
 自分だって撃たれて痛かったし怖かった。自分は運良く生きているけれど、自分が同じことをした相手は死んでしまった。――過去に引いた引き金の数だけ、自分は他人に同じ痛みを与えたのか? 同じ恐怖を、味あわせたのか?
 答えの出ない自問を繰り返し、なまえはそれから、二度と銃を握れなくなった。これはとても怖いものだと、そう言って愛用のハンドガンを遠ざけるなまえを、けれどクウラは責める気にはなれなかった。

***

「懐かしいね」
 なまえが穏やかに笑う。自分のことのはずが他人事のように笑うなまえに、クウラは「お前な」と悪態をついた。お構いなしとでもいうように、なまえはフォークに刺したリンゴを口に運ぶ。しばらく前までナイフすら怖くて持てないからと皮付きで食べていたリンゴは、一年ほど前からきちんと皮が剥かれるようになった。
「自分のことだろ。お前、もう少し自分を大事にしろ」
「してるよ。してるから、戦うのをやめたの。ね?」
 戦えなくなってからも、なまえは変わらずリベリオンの構成員としてアジトに身を置いていた。追い出されたところで行く宛てがないのもあるが、男ばかりが所属するリベリオンは洗濯やらアジトの掃除やらが追いつかず、そちらの方面でも人が必要だというのが理由だ。
 なまえが後方支援に移って数年、相変わらずリベリオンは少しずつ組織を拡大し、数ある抵抗組織の中でも規模が大きく有名なグループになった。間近には天子の誘拐作戦の決行も控えている。そんなタイミングでふと、クウラと昔の話に興じていた。
「俺はあの時、お前が死にそうになって……。やっぱりなまえを連れてくるんじゃなかったと思ったよ。それは今のお前を見ててもそうだ。戦わせるべきじゃなかった」
「………」
「フーガがさ、めちゃくちゃ喜んでんだよ。天子を誘拐する作戦のメンバーに選ばれて。けど、それを見てるとお前のことと重なってさ」
「私と?」
「確かにあいつはどんどん強くなってるし、それはリーベルも認めてる。だけど所詮まだガキだろ、戦わせて本当に良いのかとか……。でもあいつにとってリベリオンが居場所になってることも知ってるし、なんつーか……」
 いつか、あの日のお前みたいになっちまうんじゃねえかって。
 吐き出すように打ち明けられたそれは、夜の薄暗いアジトの空気に静かに溶けていった。やや重たい沈黙が何秒か続いたあと、なまえがそっと口を開く。
「大丈夫だよ。大丈夫っていうか……仕方ないよ」
 なまえは諦めたように笑う。幼い頃はそんな笑い方はしていなかったが、いつからかなまえは諦観という言葉がよく似合う笑い方をするようになった。
 地上に生まれた時点で、人生は常に何かを諦めるものになる。お腹いっぱいになるまで食べること、学校で勉強を習うこと、ひどいところでは家族と一緒に暮らすことや大人になることまで。運良く大人になれた地上人たちはみな、諦めることに慣れている。言ってしまえば、リーベルのような人間は相当のレアケースだ。
「地上に生まれた時点で、いつか戦うことになる。そうでなきゃ死んじゃうから。でも今回の作戦が成功したら戦わなくてもよくなるんでしょ。だから今は我慢して、戦うしかないよ」
 私はフーガくんのことよく知らないけど、彼のことを信じてあげて。なまえはそう続けてから、齧りかけのリンゴの残りを口に運んだ。それを見つめるクウラは、何とも言えない気持ちに顔を顰める。
 クウラはもう、なまえのような存在をリベリオンに増やしたくはなかった。それくらいに、戦うことをやめたばかりのなまえは痛々しくて見ていられなかったのだ。
「……もう寝たら? 夜も遅くなってきてるし」
 フォークを置いて、なまえが皿をテーブルの端に寄せながら言う。重たくなった空気を取り払うような、少し明るい声。
「それが寝れねえんだよ。リーベルのヤツ、作戦の肝心な内容は俺に丸投げしやがったからな……。今から徹夜覚悟で作戦立てなきゃならねぇ。まあ、そうでなくても不眠なわけだけどさ」
「そうなんだ。ふふ、丸投げ、リーベルらしいね」
「お前本っ当にリーベルには甘いよな……。はあ、なまえはもう寝ろ。長話付き合わせて悪かったよ」
「うん。けど作戦立てるの、付き合うよ。ここで見てる」
「そうかよ。じゃあもう少し、長話の続きしますか」
「作戦、立てながらね」
「わかってるよ」
 ノートを開いてペンを片手に、クウラはふたたびぽつぽつと話し始める。
 ――運命が大きく動き出す日、天子誘拐作戦の決行まで、あとわずか。
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