静まりかえった礼拝堂で、女神の前に膝をつく。胸の前で手を組み合わせ、ゆっくりと目を閉じる。鋭く冷たい月の光が射すのみのこの空間で、私を見るのは目の前の女神のみ。
 すべてを見通す慈悲深い女神は、私のこの祈りに似て非なる行為が何なのかさえ知っているのだろう。それでも祈るふりを続ける私の、なんと滑稽なことである。
 瞼の裏で久しぶりに見たあの子の姿を描く。すらりと伸びた背、流れるような銀の髪、澄たる瞳に差したささやかなきらめき。
 知らぬ間に大きくなったあの子のひとつひとつを思い出すたび、口角が押し上げられていくのを感じる。私の手を離れてひとりでに歩いていきながら、しかし今夜のあの子は困り果てた顔をして私のもとを訪ねたのだ。マルチェロに締め出された、と。

「それが私の告げ口のせいだとも知らずに。本当に、かわいい子……」

 口の端から、ふふ、と声と吐息が混じりあったものが漏れ出す。一度こぼれると止まることを知らずに、形だけは祈りを捧げながら私は笑っていた。
 今頃のあの子は、私の与えた寝床で夢心地だろう。暖かい毛布の感触に安堵しながら、翌朝に己を待ち受けるお叱りを夢見ながら。
 私は知っている。あの子が、良き兄として弟を導くための『お叱り』を心の底で欲していることも、マルチェロは絶対にそれを与えないことも。ぜんぶ知っていて、マルチェロを動かした。
 明日の朝、あの子を待つのは愛に満ちたお叱りではない。呪詛の込められた罵倒、それだけだ。マルチェロはあの子に更生を求めて言葉を紡ぐことはない。自分の嫌いなものを排除しようとする、利己的な欲だけがあの子に向かうのだ。
 わかっていたでしょうに。マルチェロはあなたの家族ではない。あの子の家族は私だ。私だけだ。
 とうに死んだ実の両親より、身体に流れる血を厭う兄擬きより、あの子を愛している私の方が、あの子には相応しい。だってあの子は言ったのだ、「お母さんって、呼んでもいい?」と。あの子が私に母であるよう求めた。だから、私はいつまでもあの子の母でいようと決めた。他人だと言われようと、血縁がなかろうと、私はククールの母だ。もう決まったことだ。この世界中のどこを探しても、ククールの母は私ひとり。
 明日になったら、あの子は期待していたものが得られなくて、きっと私のところにやってくる。こんなことを言われた、と、ありったけの悲しみと怒りと虚しさを私に打ち明けるだろう。それでいい。私はそれが何よりも欲しかったのだから。

「母に何でも言いなさい。無力な子を抱きしめてやるのが母の務めなのだから……ふふ、ふ、ふふ」

 勝手にこぼれていく笑いが止められない。そんな聖女を、女神が見つめる。
 聖女はこんな風に笑ったりしないのだろう。誰かひとりの手を取って、掬いあげたりしないのだろう。誰も選ばず、誰をも救えと神に祈るのが真に聖なる人の本分なのだろう。
 ならば私は聖女でなくて構わない。もともとどこかの誰かが勝手に言い始めたことだ。私の見た目と雰囲気と、敬虔な信徒のふりをした祈りに騙されて、誰かが私を「マイエラの聖女様」と呼んだ。聖女などという肩書きは、祈りに手本を見出したかった誰かが私に押しつけた役割に過ぎない。
 そんな作りものの聖女より、あのかわいい子どもが望む存在に、──あの子の母に、私はなりたい。
 ずっとずっと、私は母で、あの子は子ども。どうかいつまでも無力でいなさい。そうすれば私は母として、あなたを守ってやれるのです。あの子のための祈り、のふりをして、私が叶えるのは私の願いごとだけだ。
 マイエラ修道院の聖女様がこんな利己的な祈りを捧げていたなんて知ったら、私を聖女にした人たちは私に失望するのだろうか? 考えても無駄なことだ。
 怜悧な月光は冷ややかな女神の視線に似ている。聖女たる私の本性を知るのは、女神だけで良い。それが私を神秘たらしめる。私をあの子の、母にする。これは私のための祈りだ。
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