――戯れで手の甲に、キスをしたのはいつだっただろうか。


「…綺麗になったな」
「やだ、らしくないこと言わないでよ」


頬を赤らめながらも、慣れた手つきでワインを注ぐナマエのその姿に思わずぐらりと脳が揺れた。立ち寄った王国の街中、偶然再会した幼馴染は本当に文字通り、美しく成長していたのだ。ナマエとは、彼女が親の反対を押し切り、家を飛び出してそれきりだった。もしかしてククール、と背中から掛けられた懐かしい声に振り向いたときの衝撃。

ナマエは家を飛び出した後、思う存分に酒の勉強をしたらしい。今はこの国の一角に店を構える、ワインを主に取り扱う少し高級なバーで働いているのだとナマエは笑った。「ククールは聖堂騎士になったんだね。騎士服、よく似合ってる」「…まあな」カウンター越し、笑うナマエに重なって脳裏にちらつく幼い頃のナマエの笑顔は、それこそ満面の笑み、といった文字が似合う。今は?口元を緩めて、目を細めたそれは確かに幼なかった頃に通じるものがあるかもしれない。あるかもしれないが……昔馴染みであるだけに、ナマエの纏う恐ろしいまでの色香に戸惑ってしまう。落ち着け、と頭の中で何度自分に言い聞かせても目線はどうしたって、ナマエの唇だとか、目元だとか、流れるような髪だとか、腰のラインだとか、追いかけるのをやめてくれやしない。

特に目を引いたのはナマエの手元だった。綺麗に整えられた爪と、その上に乗せられた赤色。鮮やかな指先がワイングラスを優しく掴み、そこに濃い赤紫色が誘い込まれるように注がれていく。薬指を守る銀色の円形が魔法のようにきらきらと輝き、ナマエの目のなかで揺れていた。…思い出すのは幼い頃の戯れ。神聖なものにさえ見えるその指、繋ぐ手の甲にキスをしたことを思い出したのだ。ナマエを幸せに出来ると信じて疑わなかったあの頃。ナマエの指には、俺が選んだ指輪が光ると思っていたあの頃。


「結婚するのか」
「…ん、まあね」
「相手は?」
「ククールの知らない人」


目を伏せて、静かに笑ったナマエは俺がキスをした時と同じ顔をしていた。どうぞ、と差し出されたワイングラスを受け取る瞬間に指先同士が触れ合う。びりびりと伝わった熱が腕を通り、心臓を駆け抜け再び脳の奥を揺らした。いつも心の奥底にあった、上辺だけのものでもなんでもない、大切に大切に取っておいた感情を、飲み干す時が来たのかもしれない。

どこで何を間違えたのか、分からないままグラスに口をつけた。「おいしい?」「…ああ」頷くと、嬉しそうにナマエが笑う。一番好きなの、とワインに向けて言われた言葉を自分のものだと錯覚しそうなぐらい、液体越しに映るナマエの姿から目を離せないままでいる。口の中にひろがる優しくも芳醇なそれは、感情を押し殺させまいとしていた。


「…お前は、出て行った時から…酒に生きるのかと思ってた」
「うん、私も。びっくりした」
「どうして結婚しようと思ったんだ?」
「好きだ、って言われたの」


ボトルを戻すのだろう、後ろを振り向いたナマエの表情は見えない。「…本当は、」ナマエが微かに何か呟いたかもしれないが、耳は上手くその言葉を拾ってくれなかった。そのまま棚の整理を初めてしまったナマエの後ろ姿を見つめる。白い首。晒されているうなじ。他の男の指がそれをなぞり、ナマエを悦ばせる…?
グラスの中身を一気に煽る。今更だろうか。キスをする前から、幼い頃から、ずっと好きだったと言えば何かが変わるだろうか。――顔も知らないナマエの婚約者に、ナマエを取られた気分だった。そいつが知らないナマエを俺は知っている。…裏を返せば俺の知らないナマエをそいつは知っているわけだけれども。


「……追いかけてきてくれるって、期待してたのにね」
「…ナマエ、何か言ったか」
「んー?そのワイン、気に入ったんなら一本持って帰らないかなって」


振り向いたナマエは笑っているのに泣きそうで、思わず立ち上がった俺はカウンター越しに腕を伸ばしていた。掴んだ手首が手のなかに収まるのは、あの頃も今も変わらない。ククール、と小さく俺の名前を呟いたその唇を塞ぐつもりだった。塞いでやるつもりだった。

結局引き寄せたのは手首で、あの頃と同じように手の甲にキスを落とした俺をナマエはやはり、悲しそうな目で見つめていた。「…ククール、私ね」何かを言いたそうにして、…ナマエは言わない。攫って欲しいだとか、好きだと言って欲しいだとか、言わないあたり俺には可能性が残されていないんだろう。――ナマエが今のままでいたいと望むなら、気持ちを殺すぐらい簡単なことだ。
2015.05.24
「青春エレクトロック」の星乃さんからいただきました。
切ないククールさん!ククールさんが不幸なの大好きなんですありがとうございます…!
ありがとうございますとても元気出ました……!バイト頑張れます…本当にありがとうございます!
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