移ろいゆく季節に置いてきぼりにされるような感覚がした。と言うよりも、変わりなく流れる時間に反して、自分の中の時計がぱったり動かなくなってしまったような感覚。ついこの前まで、旅の仲間たちと笑いあっていたのが嘘みたいだった。あの時からすっかり時間は止まって、もう二度と針がリズムを刻むことはないのだろう、なんていやに悲観的な考えさえ頭の中を駆け巡っている。
 親友を失ったのは、数ヶ月ほど前のことだった。

 レックの振るった剣が大魔王をつらぬいたとき、私は間違いなく世界で一番興奮して、そして安堵した。これで私たちの世界は平和になる、今までの当たり前が戻ってくる。それは私が旅を続けた目的であり、終着点だった。けれど私はそのとき考えもしなかった。旅が終わるということは、この旅で得た新しい『当たり前』を失うのだということ。隣を歩いて、一緒に食事をして、時には買い物に出かけて――私の日常を共にした親友は、私の前から消えてしまった。
 バーバラが暗い顔をしていたことに気がついていた。魔王を倒して、狭間の世界が消え去って、私たちが凱旋をしている間、バーバラはいつもの笑顔を浮かべるのをすっかりやめてしまっていた。どうしたの、と聞けばよかったのかもしれない。けれど私はそうしなかった。早く故郷に帰って挨拶をしたい、懐かしい顔を見たい。それしか考えていなかった私には余裕がなくて、浮かない顔をするバーバラのことは見て見ぬふりをした。まさか消えてしまうなんて、思わなかったから。

「自分勝手だなあ、って、いまさら思うんだ」

 ぽつり、漏らした言葉は風にとけていく。せいぜい隣にいるミレーユに届けばいいくらいの呟きだからどうってことはなかった。現にミレーユは私にちらりと視線を寄越した。しっかり聞こえていたようだし、特に思うことはない。体重を預けている欄干の冷たさだけを感じていた。
 レックが王位を継ぐことになったと聞いて取り急ぎレイドック城へやって来た私は、あの時一緒に旅をしたみんなが新たな生活をしっかり受け入れていることに愕然とした。私だけが、あの旅の結末を認めることができないでいるのだ。隣にいるミレーユはグランマーズのところで修行に励んでいるし、チャモロはゲント族として人々のために力をふるっている。ハッサンは大工として大活躍、テリーは強さを求めて新しい旅に出た。そしてレックは、一国の長になろうとしている。みんな当たり前のようにそれぞれの人生を歩んでいた。それがどうしても、納得いかない。
 みんなは悲しくなかった? バーバラのことはどうでもよかった? そんなわけがないと信じている。バーバラが消えてしまったあの日、バーバラを見送ったあとのレックの顔を忘れることなんてできない。みんな悲しかったのだ。これからも一緒に生きていけると思っていた。勝ち取った平和を一緒に噛み締められると、思っていた。けれど現実のバーバラはとっくに死んでいて、私たちがバーバラと出会うことができたのは倒すべき魔王が夢の世界を具現化していたお陰だっただなんて、何とも皮肉な話である。旅の終わりに待っていたのは輝かしい未来ではなく、バーバラとの永遠の別れだった。未来への期待が裏切られたショックは大きくて、夢の世界に開いていた大穴がそのまま自分の心に現れたような、そんな喪失感と無力感だけが残った。

 レックの王位継承を祝う宴はまだ続いている。どうもその雰囲気を楽しむ気にはなれなかった私は、ミレーユの提案にそのまま乗っかってバルコニーへと抜け出して風に当たっていた。もう結構な時間をこうしてミレーユは寄り添ってくれている。ぽつぽつと言葉を落とす私に時折視線を向けながら、何かを考え込むようにその美しい金髪を風になびかせていた。
 ふっと息を吸い込み、ミレーユがワイングラスを傾ける。ミレーユが私のためにもらってきてくれた分だ。酒を飲んだら嫌なことを考えずに済むというけれど、あいにく私は酒を嗜まない。

「……こうして夜風に当たって、ただ流れる時間に身を委ねることができるのは、私たちが平和を勝ち取ったからよね」
「うん……」
「だったら楽しまないと損よ。強制できることじゃないけれど、ナマエだけがそんな顔をしているのはあまりに酷だもの」
「だって」
「言いたいことは分かってるの。でも、ナマエがそんな風に生きていくのをバーバラは望んでいないと思うわ」

 バーバラはこんな生き方を望んでいない、そんなことは知っている。けれど、それでも私は強く前を向くことなんてできない。旅で強くなったのは腕っぷしだけで、私自身はまだ幼いまま、現実にあれよと押しつぶされてしまっている。
 俯いた私に、ミレーユは優しさを滲ませた声で言い聞かせる。

「ねえ、ナマエ。確かにこっちのバーバラは滅んでいるけれど、向こうではバーバラは私たちと同じように生きてるの。そうじゃないと、私たちの知ってるバーバラは嘘ってことになる。バーバラが嘘だったわけがないって、私たちが……ナマエが一番よく知っていることでしょう?」
「…………」
「この空のずっと上から、バーバラは私たちを見てる。私たちにはバーバラの姿は見えないけれど、確かに繋がっているって、記憶はそう言っているわ」
「……、強いよ、ミレーユは。私にはできない」
「…………」

 分かっている。ミレーユの言いたいことも、それが本当だということも全部、分かっている。けれどどんなに諭してくれたって、私はそんな強さを得ることはできないのだ。
 思えばこれまで、ずっとみんなに守られていた。だってバーバラは最後まで私に話さなかった。他に隠し事なんて一切なかった無二の親友は、最後まで私に普通に接してくれた。彼女の抱えた大変な事情を、その全てが終わったあとにレックの口から聞かされて、私は初めて知ったのだ。バーバラはきっと、私が猛烈な後悔に襲われることも予想していただろう。それでも私が現実にぶつかるその瞬間まで笑っていられる方を選びとった。私はバーバラの優しさとエゴの混じったその嘘に守られて、確かに幸せだったのだ。バーバラの嘘に――バリケードに守られた私は終ぞ弱いままであったけれど。
 言ってくれたらよかった。最後の最後でもいい、バーバラの口から全部教えてくれたらよかった。そうしてくれたら、お別れくらいはできたのだ。どれだけ悲しむことになろうとも、バーバラの前で笑っていられなくなろうとも、『ありがとう』の五文字くらいは伝えられただろう。そんなことを思ったところでもうどうしようもないことは痛いくらいに分かっている。でも、そうしたかったのだ。終わりのない後悔をするよりも、親友を私とは別の未来へ見送ることをしたかった。
 この空の遥か上、そこでバーバラは私と同じように息をしている。生きているだけでじゅうぶんだなんて、そんなのはただのまやかしだ。だってこの後悔を清算するにはあまりに遠すぎる。懐かしい記憶の中のあの橙と、今目の前に広がる暗闇とを比較して、思わず泣きたくなった自分がいるのを見つけた。私の中の秒針はこれからも動くことはないのだと、静かに悟った瞬間だった。
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