東堂とルームシェア | ナノ




自作のみかんの歌を歌いながら洗い物をしている時だった。
みかんは一日5つまで〜と気持ち良く歌っていたのだが、それに被せて東堂さんの「ギャッ!」という悲鳴が聞こえる。
その尋常じゃない悲鳴に思わずなんだなんだと洗い物の手を止めてソファでごろごろしていた東堂さんを振り返ると、東堂さんは顔を青くしながら「春瀬さん……」とわたしの名前を呼んだ。
東堂さんの指は、ベランダへ出る為のガラス戸の下の方を指さしていた。
東堂さんの指の先をよくよく見ると、黒い塊。
これはもしかしてアレだろうか。Gから始まる、アレ。冬なのに遭遇するとは、よっぽど汚かったんだろうか。ちょっとショックだ。次の休みはしっかり掃除しよう。
二人して息を呑んでソレの姿を見守っていたが、ソレが音も無く前進すると東堂さんが「ヒッ」と小さく悲鳴を上げる。

「……東堂さん」
「何だ、春瀬さん」
「その様子だとアレのこと得意じゃ無さそうだね」
「出来れば生涯で二度と関わり合いになりたく無いと思っている」

目線を一切ソレから逸らさぬまま言った東堂さんにわたしは覚悟を決めた。
わたしだって得意な訳は無いが、この東堂さんがアレを倒せるとは思えない。

「ゴキジェットとかは?」
「そこの棚に」
「オッケー」

東堂さんの言った棚からゴキジェットを取り出すと、前にバイト先で遭遇した時に荒北さんがゴキブリ退治には洗剤も効くと言っていたことを思い出したので先程まで使っていた洗剤も一緒に持って来る。
東堂さんは見失わないようにずっとソレを見つめていた。
東堂さんの目線の先から一切ソレは動かない。
右手にジェット、左手に食器用洗剤を構えてじりじりと詰め寄る。
ヤツが、こちらに気付いた気配は無い。
ゴクリと息を呑む。
呼吸を整えて、今だと思ったタイミングで洗剤をヤツの移動予想点に垂らし、更にジェットを噴射する。
思った通りにヤツが進み、無事洗剤を命中させることが出来たのだが、バタバタと暴れるヤツを完全に仕留められた訳では無いので動きが鈍ってきたところで洗剤を追加した後、ダメ押しのジェットを噴射して、缶を上からドンと置く。
今までの経験上、これで明日の朝には死んでいるだろう。
ジェットのスプレー缶の底面は少し凹んでいるのでヤツと接触することは無いだろうが気分的に嫌なので、明日の朝死体を処理したら拭いておこうと決意。
東堂さんに「暫くこれ、倒さないように気を付けてね」と洗剤を片付けながら言うと「今、すごい春瀬さんが頼もしく見えた」と拍手を頂いた。それほどでも。

「っていうか東堂さん、今まではどうやって倒してたの?」
「今までは、掃除機とか……」
「あー、吸って後からジェット噴射するだけだもんね」
「だが、これからは春瀬さんに任せることにした」
「え?」
「本日をもって春瀬さんを我が家のゴキブリ駆除大臣とする!」
「何それ嫌すぎる!」

今回はあまりに東堂さんが動けなさそうなのでわたしが動いたが、毎回それを当てにしてもらっては困る。
勘弁してよね!と辞退する旨を伝えたが必死な顔で「頼むよ」とお願いされるとちょっと心が揺らぐ。
自分でもチョロすぎると思うがこれが惚れた弱みと言うやつである。

「最近リカにテラフォーマーズって言う、進化したゴキブリと火星で戦う漫画借りたんだけどさ。東堂さん絶対読めないね」
「進化したゴキブリって単語だけで嫌なんだが」
「でもこれを読んで戦う意志を取り戻して欲しいとわたしは思うね」

リビングの中の春瀬ゾーンから紙袋を引っ張ってきて渡すと、東堂さんは露骨に顔を歪める。えー、と不満気な声を出したがそれを無視して一巻を取り出してやる。
パラパラと一応捲りだした東堂さんだが、多分その進化したゴキブリが登場したシーンだろうページで一旦手を止めて、それから本をそっと閉じた。

「無理だ」
「だろうね」

首を横に振った東堂さんにこれ以上無理強いする気は無いので閉じた本を受け取って、紙袋の中に再び仕舞った。

「そういえば春瀬さん」
「ん?」
「ヤツをゴキジェットのスプレー缶の下に閉じ込めたということは、春瀬さんは今夜はヤツと共に一夜を明かすことになると思うのだが」
「あ」

言われて気付いた。いくら缶の下で半殺しになった状態とは言え、ヤツと同じ部屋で一夜を明かすなんて嫌すぎる。ゴキブリ駆除大臣より嫌だ。

「……東堂さん」
「何だ」
「寝室入れて欲しいな〜、なんて」
「それは俺も思ったがな、ちょっと色々と問題があると思うんだ」
「何?別にエロ本とか漁ったりしないよ?」
「そういう問題じゃなくて。入ったことあるから知ってると思うが、あの部屋狭いだろ?」
「確かに」
「布団を敷くスペースが無いんだよ」
「……一緒にベッドで寝ればいいじゃん?」
「……自分で言って、今これはダメなやつだと思っただろう」

東堂さんの言う通り、いくら東堂さんにふざけて抱き着くことはあっても同じベッドで寝るのは何かこう、わたしが爛れているだけかもしれないが、性的なアレを連想させるのでちょっとマズい気がする。
そして東堂さんが好きなわたしにとってそれは突然ハードル高すぎないかとも思う。
しかし今夜この部屋で、生きてるか死んでるか分からないヤツが居る部屋で寝るのは絶対に嫌だ。
ヤツが死ぬほど嫌いな東堂さんはその気持ちが痛い程分かるようで、わたしにこの部屋で寝ろとは一言も言わない。

「思ってない!思ってないからベッドに入れてください!」
「いや、ダメだろう!?」
「じゃあ床に座って寝るから!」
「それなら俺が床で寝る!」
「それはダメ」
「何でだよ」
「家主にそんなの、ダメ」
「……春瀬さんは妙なところで律儀だよなあ」

ううん、と頭を抱えた東堂さんに「お互い気にしなかったら大丈夫じゃない?」と言ってみたが、そんなことを言っている時点で気にしないというのはまず無理だ。
東堂さんも同じことを考えているのだろう。微妙な顔をしながらまた唸る。
だがしかし、数十秒考えた後仕方無いと判断したのか「……まあ、止むを得んな」と渋々であるが頷いてくれた。
時間も時間だったので、じゃあ寝るかとそのまま二人で東堂さんの部屋に入っていったのだが、予想していたよりもベッドは小さかった。一人用のシングルだから当然なのだが、わたしの心臓が明日までもつのか非常に心配になった。


140801


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