放課後の教室。誰もいない空間にはオレンジ色の夕日が差し込み、昼間とはまた違った印象を与えている。その空間を埋め尽くすオレンジ色に自分も染まりながら窓側の席へと座る。此処と同じく夕日に照らされたグラウンドに目を向けると、野球部が汗を光らせて練習していた。その様子を微笑ましく眺める。放課後に野球部…正確には田島悠一郎を見るのが、私の日課となっていた。


「次!サード行くよ!」
「おっけー!」


キィーン。金属音とともに白球が田島目掛けて飛んでいく。その白球は田島のグラブに吸い込まれ、華麗に一塁に送られた。もう一球こーいっ!と叫ぶ田島の顔はとても輝いていて、とても楽しそうで。この少年染みた田島の笑顔が何よりも好きだった。

これが日課と成り始めたのは今から一週間程前の話。その日はある男子がしらばっくれた為に一人日直の仕事をこなしていた。私は窓側の席に座り、グラウンドにサボった張本人の姿を見付ける。


『…ったく、日直サボって部活とか』


本来ならばこの場に居るはずの田島を恨めしげに見る。その田島本人はと言うと、私の思いなど知る由もなく、その日も練習に明け暮れていた。お世辞にも広いとは言えないグラウンドで打ったり投げたり走ったり。田島は忙しそうに動き回る。そんな田島の姿は教室の時よりも数倍輝いていて、思わず目が釘付けになってしまう。そして不本意ながら、日直をサボるのも解らなくもないかな、なんて思ってしまった。

それからは放課後に田島を眺めるのが一日の楽しみとなっていた。田島のグラブ捌きはお手の物で、あの中の誰よりも輝いていると言っても過言ではない(多少の贔屓目はあるものの)。そんな田島がふと空を仰いだかと思うと…不意に目が合った、ように感じた。突然の出来事に心臓がドキリと飛び跳ねる。そしてお互いに視線を反らすことなく一瞬の時が過ぎ…田島は再びグラウンドへと視線を戻した。向こうからは逆光でこちらは見えないはず。だから目が合ったなんて気の所為だろう。そう思い込むことにし、今日はもう帰路につくことにした。
次の日。時間ギリギリに教室に入って来た田島は来て早々後ろを振り返り、私に話し掛けてきた。


「なあなあ。名字ってさ、此処からいっつもグラウンド見てるっしょ?」
『み、見てない、よ』


咄嗟に出た否定の言葉。別に嘘を吐く必要などなかったのだが、改めて指摘されると無性に恥ずかしい。そんな私を訝しそうに見る田島だったが、私が一向に肯定する気配を見せないので、渋々諦めたようだ。


「…まぁいいや。でもさ、此処からよりグラウンドで見た方がよく見えるぜ?」
『だから見てない…』
「グラウンドまで見に来いよ!待ってるからさ!」


ニカッと田島が笑うのと同時に教室の扉が開き、見馴れた先生が入ってきた。それを皮切りに田島は前に向き直る。昨日目が合ったのは、どうやら気の所為ではないのかもしれない。それよりも田島は私が此処から見ていることに気付いていたのか。うっわ、恥ずかしっ。先生が何やら話しているが、次第に赤くなる顔に気を取られてそれどころではなかった。
放課後。田島は泉や三橋と共にグラウンドへ走って行った。私はと言うと、どうしても勇気が持てずに、やはりこの少し高い場所からグラウンドを眺めていた。三塁ベースに付く田島に目をやると、またしても田島と目が合い…何だか悲しそうな視線を向けられた。


「もう一球いくよー!」
「…さっ、こーい!」


ノックの声で我に返った。それでも頭に焼きついて離れない田島の瞳。あれは…何?私、田島に何かした?それとも…気の所為?もう一度田島に目を向けると、其処には既に此方など見ておらず、ボールに集中する田島がいた。いつもと変わらない練習風景。ただ一つだけ欠けていたのは、輝く田島の笑顔だけだった。
不安を胸に抱えたまま迎えた翌日。先日同様ギリギリにやってきた田島は、いつもの笑顔などを見せずに後ろを振り返った。


「…何で昨日来てくれなかったの?」
『…えっ?』
「俺、待ってるって言ったじゃん」
『そ、それは…』
「昨日名字が来てくれると思って、すげー楽しみにしてたのに」
『……』
「…今日こそは見に来いよ!此処じゃなくてグラウンドに!」
『あ、の…』
「絶対だからな!」


そう言うと田島は前を向き、そのまま振り返ることはなかった。田島…怒ってた?私が昨日グラウンドに行かなかったから?約束を破ったから?田島を…怒らせた。私は田島の背中を見つめながら、どうしようもない罪悪感に襲われていた。
ようやく放課後になり、あらゆる部が活動を始める。野球部も例外ではなく、声を張り上げて走り出していた。私はどうしても一歩が踏み出せずに、この教室から抜け出せないでいた。練習はいつのまにかートノックに切り替わっており、意識せずとも目は田島を追い掛ける。すると田島は朝と同じ真剣で尚且つ怒りを潜めているような瞳を此方に向けてくる。


「…早く来――い!!」
「お、おう!」


田島の叫びに肩が飛び跳ねた。高鳴る心中で、今の叫びはノックの人に向けられたものであり私にではない、と自分に何度も言い聞かせて心を静める。


「俺は待ってる!ゲンミツに!!」
「田島?お前、どうしたんだよ?」


そして田島は私の方を、先程よりも更に強い眼差しで見てきた。その瞳から背けることが何故か出来ない。あの言葉は私に向けられたものだったのだと、真っ直ぐな視線で訴えてくる。どんどん自分の心臓の音が大きくなり、私は咄嗟に鞄を持って駆け出した。辿り着いた場所は田島が待っているであろう、橙に色付くグラウンド。


『はぁ、はぁ…』
「おー、やっと来た」


息を切らす私の前には、いつもの笑顔を浮かべる田島の姿。その姿に私の鼓動は更に速さを増した。


「名字がいつ来るのかなーって、ずっと思って待ってた」
『はぁ、なん、で?』
「ん?何が?」
『なんで…私のことなんて、待ってたの?』
「そんなの…名字が好きだからに決まってんじゃん」
『はあ……はあ!?』
「おお、びっくりした」


…ちょっと待った。今、目の前に居るこの少年はさらっと何か凄いことを言いませんでしたか。私の頭は先程の田島の言葉を瞬時に理解出来る程有能ではなかったようで、軽く混乱状態になる。そんな頭を無理矢理落ち着かせ、改めて田島に問う。


『い、今なんて…』
「えっ?びっくりした?」
『その前!』
「名字が好き?」
『…嘘』
「嘘じゃねーよ」
『…夢?』
「夢でもねぇって。何なら頬っぺた抓ってやろうか?」


私の返答も聞かずに、田島は少しざらついた手で私の両頬を容赦なく抓った。当たり前だけど、それは痛みを感じさせる。


『いっ、いひゃいいひゃい!』
「あははっ、名字の顔おもしれー」
『もうはなひへ〜』
「はいはい」


痛みから解放され、反射的に抓られた箇所を摩る。此処に田島の手が触れていたことと先程の田島の言葉を思い出し、自然と頬が染まっていくのが自分でも解った。


「名字の顔、真っ赤だー!」
『うぅ〜…全部全部田島の所為なんだからね!』
「マジで?」
『田島が抓った所為で赤くなったし!…田島が急に変な事言った所為で赤くなったし』
「変な事なんて言ってねーよ?俺はいつでも大真面目だもんね!」
『なっ、』
「俺、名字がゲンミツに好きだ!!」
『…ゲンミツの使い方違うけど…でも、そのゲンミツは受け取っとく』
「へっ?」
『私も田島が好き…ゲンミツに』
「っ…しゃああ!!」
『ちょっ、田島!』


田島は右手を勢いよく突き上げたかと思うと、その右手で私を思いっ切り引き寄せた。途端に広がる田島の匂い。ほんのり柔軟剤と汗と泥とが混ざった匂いは私の心拍数を十分に上げたが、何処か心地が良かった。



「…田島、」
『!!』
「何?花井」
「その…今は部活中なんだが」
『そ、そうだね!ごめんなさい!!』
「あっ!名前!」
『えっ!?なっ、何?』
「部活終わるまで俺の事ちゃんと見てろよー!!」
『う、うんっ!』


突然大きな坊主の人が来たから、思わず走って逃げ出した。あの人が来るまで練習中だと言うことをすっかり忘れていた。つまり、今のを野球部の面々は見ていたと言うことになる。今更ながら物凄い羞恥心に襲われた。でも、走っている最中に田島に呼ばれた私の名前。ほんの些細なことだが、とてつもなく嬉しくて顔が綻ぶ。部活が終わるまで大好きな田島を見ていよう。そんな田島の笑顔が太陽よりも数倍輝いて見えたのは、やっぱり田島のことが好きだからかな。




「花井ー、良いとこだったのに邪魔すんなよなー」
「お前…!ってか、ああいうのは人前でやんなよなー…目のやり場に困る」
「だって折角のチャンスなのに逃したくねーじゃんか!」
「はあ…お前のその姿勢はある意味凄いよ」
「まぁねー」




100929 りく



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