![]() ふわふわして、あったかい。まるで雲の上で寝ているような気分だった。 ああ、気持ちいい。このまま大きく伸びをして思い切り眠りたい。 そんな風に思っていると、ふいに唇に湿った感触。 ――これは水? そういえば喉がカラカラだ。でも何故か口が開かない。飲みたいのに。 すると今度は唇にあったかい感触が訪れる。 あれ、なんだろ。ふにっとしてる。 ついで顎に手をあてられ、促されるように口が開く。程なく冷たい水が口内に少しずつ入ってきた。柔らかい何かにうまく塞がれているおかげで、口の端から零れることはなさそうだ。 私は優しく流れ込んできた水をゆっくりと飲み込む。 ――美味しい。 嚥下する度、水が食道を通って体を巡っていくのがわかる。 やがて十分な潤いを得たとき、塞がっていた唇が自由になりほっと息をついた。 ああ、なんだかますます眠くなってきた。 「……おやすみ」 遠くで穏やかな声が聞こえる。内容はよく聞き取れなかったけど、眠っていいよと言われている気がして。 私は心地良いまどろみに誘われ、深い眠りについた。 05.奇術師と私 それからどれくらい眠っていたのか…… すぐ隣にあった温もりが動いたのをきっかけに、私は目を覚ました。 ぼんやりとした視界が、瞬きを繰り返すことでようやく鮮明になる。 「おはよう」 「おは、よ……う?」 かけられた言葉に一泊遅れて返事をし、私ははっとした。 目の前に顔がある。それも飛び切りの美青年だ。 輝かんばかりの美貌を惜しげもなくさらし、さらに蕩けるような笑みまで浮かべている。 「誰……?」 ヒソカと同じような色の瞳。 ん? ようなじゃなくて一緒かもしれない。もしかして彼はヒソカ……? ぼんやりしている私をよそに、カーテンの隙間から差し込む光に照らされたその人は、くつくつと喉を鳴らした。 「もしかして寝ぼけてるのかい? まだ夢の中?」 「あ、やっぱりヒソカ?」 「そ」 声を聞いてやっと確信が持てた。あのおかしなメイクをしてないし、前と違って髪が下りた状態だからまるで別人だ。 ずいぶんと雰囲気変わるなーなんて悠長に構えていたけれど、それもほんの数秒だった。 だってここはふかふかのベッドの上で、私とヒソカは並んで寝ていたのだから。 「えっ、なっ……?」 さらに衝撃過ぎる事実は続く。 私はなんとバスローブ着用中。ヒソカはシーツで隠れている部分も多いけど、逞しい肩が思いっきり見えているので、少なくとも上半身は裸。 そして話は戻り、私達は仲良くベッドの上。 …………ひ。 「ひぃっ」と悲鳴をあげたくなるのを堪え、私はベッドから飛びのこうとして、 「う……っ!?」 見事に失敗する。ギンと鈍い痛みが体中に走って、とてもじゃないが動けない。 「ダメだよ、無理をしちゃ。まだ体が辛いだろう?」 「え……つ、辛い? あれ? どうして」 「くくく、酷いね。夜はあんなに積極的だったのにもう忘れちゃったのかい?」 「ななななんの話っ?」 ばくばくと心臓がこれでもかというほど早鐘を打つ。 ちょっと待って。ちょっと待って下さい、お願いします。状況が掴めません。いえ、掴めないというか大方の予想はつくんですけど夜の記憶なんてまったくないし、いやいやつまり何が言いたいのかと申しますとつまりつまり。 ……変な汗まで出てきて、私は半ばパニックに近かった。自分でもどう解釈したいのかわからない。 傍から見たら挙動不審に他ならない私の様子を見つめたまま、ヒソカは楽しそうに目を細める。 「ん? 言葉のままなんだけどね。昨日の夜も一昨日の夜も、キミがボクのベッドに入ってきたんだよ?」 「えっ、う、うそ、そそ、そそんなの知らなっ」 「キミがこんな大胆だったなんてね」 「だい、え、え!?」 いよいよキャパシティオーバー。声がこれでもかというほど上擦ってしまう。 だって私がヒソカのベッドに入っただなんて信じがたい事実だ。 ちょっと待って、つまり私ってそんなことを平気でしちゃうような人だったの、まさか。 「ククク、ずいぶん元気になったみたいだね。回復が早くて驚いたよ」 ゆっくりと私の方に体を向けてひじを突いたヒソカに、つい釘付けになってしまう。 見目の麗しさに朝特有の気だるげな感じがプラスされてとんでもない色香を漂っている。 非常に落ち着かない。 急速に膨れ上がる羞恥心と妙な倦怠感も手伝って、なんだかくらくらする。 ……というか、何がどうなって今の状況になったの? 確か敵のガスを吸って、それで……? 気絶前の記憶を呼び起こしてみるも、頭は真っ白だった。動揺の方が大きくてハテナばかりが増えていく。 「さて、ここで問題。当てたらキミの疑問に何でも答えてあげるよ?」 「え?」 「ボクが今言ったことはどこまでが本当でどこまでがウソでしょう?」 ヒソカは長い指を一本ずつ立てて、歌うように言葉を紡いだ。 「1、キミが積極的だったというのがウソ」 「2、キミがベッドに入ってきた、というのがウソ」 「3、本当は全部真っ赤なウソ。さ、どれだ?」 唐突に出された選択肢はどれもウソで統一されているけど、本当の答えがどれなのか見当もつかない。でも真面目な話、全部ウソであって欲しいので、 「3! 本当は全部真っ赤なウソ!」 「ぶー答えは4。今言ったことは全部本当でした」 「き、汚っ」 「ククク、残念でした。ボクは嘘つきだからね」 詰まるところヒソカは最初から説明する気なんてなかったようだ。 うまく煙に巻かれたというかなんというか。 どうやらヒソカは本当に嘘つきらしい。そして気まぐれな可能性もある。 こういう人の場合、あんまり言動の意味を考えすぎると深みに嵌ってしまいそうだ。 「でも大丈夫。キミの思っているような事は何もなかったよ」 「え?」 「キミがあんまりうろたえるから、ついからかいたくなってね」 堪えきれなくなったようにヒソカは肩を揺らして笑った。 ええっとそれじゃ、え? 「真っ赤になっちゃってカワイイなぁ。なにを想像しちゃったんだい?」 「――っ!!」 穴があったら入りたい。そんな心境だった。ぼぼぼぼっと効果音をつけるならこんな感じで、私の顔は燃えるように熱くなる。 きっと茹蛸よりも赤いに違いない。 ヒソカの意味深な言い方のせいもあるとはいえ、勝手に勘違いしてしまった私は一体どんな顔をすればいいのか。 恥ずかしい。ほんと、死ぬほど恥ずかしい。 「も、もう見ないでっ、お願いだから見ないでっ」 否応なしに感じるヒソカの視線に耐えられず、私は目を瞑って懇願した。 「それは出来ない相談かな。しばらく一緒にいるつもりだしね」 ぽろっと驚きの事実を口にするヒソカに私は絶句するしかなかった。 どうして一緒にいようという思いに至ったのか。 そもそもここは一体どこで、私はなぜヒソカと一緒にいるのか。 疑問は一向に尽きない。 テンパりすぎて自分自身、うまく思考回路が回っていないと思う。 とにかく冷静に、冷静にならなきゃ。 「残念だなぁ、あわあわしてくれる方が面白いのに」 「うわーっ! お願いだから思考を読まないでっ」 冷静になりたかったのに出鼻を見事に挫かれてしまう。 こんな調子で冷静さが取り戻せるのか。 ヒソカの楽しげな笑い声を聞きながら、私は赤くなる頬を抑える術もなく、ただただ羞恥に耐えるしかなかった。 ――こうして、私とヒソカの奇妙な生活は幕を開けたのである。 |