![]() ヒソカが、こちらを見ている。 表情は視界がぼやけてよくわからないけれど、目が合っていることだけははっきりわかった。 いつの間にか辺りはしんと静まり返っている。 確かにさっきまではあったはずの息遣いが聞こえてこない。 死屍累々。今の状況を言葉で表すのにこれほど最適な言葉はなかった。 この場でまだ生きている人間はおそらくヒソカと私、そして私の背後で悶絶している男の3人だけだろう。私が蹴りを入れた人々も、結局ヒソカの手で黄泉の国へと旅立ったのかもしれない。 浅い息を繰り返しながら、なんとか立ち上がろうと足に力を込める。しかし思うように動いてくれない。 突き刺さる視線だけがひしひしと伝わってくる。 ぶわりと毛穴が広がる感覚。心の奥底で絶えず鳴り響く警報。まずい。たぶんじゃなく、絶対。 “狩る者と狩られる者”なんて言葉が脳裏をよぎった。私は間違いなく後者だ。 そして前者であるヒソカが私を見つめていて、 「――本当に」 一歩、 「美味しそうだ」 足を踏み出した。 ヤバイ。来る――! と思ったときにはもう遅い。膨れ上がった殺気が私に直撃した。びりびりと肌を焼くそれに、身震いが止まらない。 凄惨なまでの殺気。 あ、死ぬ。私はきっと今この瞬間、目の前の狂気に狩られる。 そう悟ったはずなのに何故だろう。恐怖が微塵も感じられない。 むしろ違った感情が頭をもたげた。 死ぬ? 私が? ここで? そんな。そんな嫌だ。 そう思ったところでヒソカは止まらない。もう一秒もかからず、彼の持ったトランプは私の頚動脈を抉るだろう。 ああ、駄目だ。意思に反して意識はどんどん遠のいていく。視界が暗くなる。せめて応戦しなきゃと思うのに、体が反応しない。 どうしよう。ここで死んでしまうなんて。こんなところで終わるなんて。 あまりに…… あ ま り に 勿 体 無 い 迫り来るヒソカの殺意を一心に受け、私の意識はそこでぷつりと途切れた。 03.青い果実(仮) 「あ……ぐっ」 トランプで切り裂いた喉元から鮮血があふれ出し、事切れた“男”が”彼女”の背後で力なく崩れ落ちた。同時にガスボンベも消える。 ついで彼女も気を失ったらしく地面に倒れ込んだ。 ああ、危ないところだったよ。もう一歩遅かったら、まだまだ美味しくなりそうなとても珍しい果実を摘み取ってしまうところだった。ダメダメ、我慢しなきゃ。 ボクが何かする前に倒れた彼女はどうやらガスにあてられたらしい。 殺しに夢中だったボクはガスを使う男の事はあまり気に止めていなかったけど、ボクとは逆に危険を感じたらしい彼女の咄嗟の動きはなかなかだった。 この手で壊したいと思わず足を踏み出してしまうほどには。 踏みとどまれたのは彼女が応戦する前に気を失ったせいもあるけど、彼女の後ろで蹲っていた男がのろのろと立ち上がってね。 無防備な彼女の背中を攻撃しようとしたから、迷わずそっちに標的を移せたところが大きい。 せっかく見つけた”果実”を名前も知らないようなヤツに奪われるなんてごめんだ。 ちょうど興奮も収まったし、一石二鳥だった。 「さて、と」 これからどうしようか。団長は……もう帰っちゃったかな。まあガードが固いのは今に始まったことじゃないし、狩るのはまだ先でもいい。 ボクは思考を切り替えて、顔面蒼白で横たわる新たな“青い果実”かと思っていた“彼女”を見た。 ずいぶんと息が浅い。血の気の失せた頬なんて真っ白で雪と見紛うほどだ。 放っておいたら死んじゃうかもしれないなぁ。 ――連れ帰ってみようか。 ちょっとした気まぐれと好奇心。このまま死なれるのが勿体無いという気持ちももちろんあったけど、それ以上に彼女の瞳が気になった。 珍しいアメジスト色の瞳は、ボクの殺気と真正面から対峙したというのに、死への恐怖がまったく窺えなかった。 だからといって団長のように死を享受しているわけでもなさそうだ。 焦りは感じられたし、応戦しようとしている動きも見えた。 「……くっくっく」 なんにせよ、面白そうな果実だ。ついつい頬が緩んでしまう。 ボクは具合の悪そうな“彼女”を抱き上げて、携帯をポケットから取り出した。 私用船を呼ぼうとボタンを押しかけたとき、ちょうどコールが入る。団長からだ。 「もしもし」 「ヒソカ、気は済んだか」 「うん」 「……何か面白いモノでも見つけたのか」 「ククク」 流石、団長は気づいているようだ。ボクが新しい果実を見つけたことに。 「……仕事は終わった。あとは好きにしていい」 「了解」 ピッと携帯の電源ボタンを押して、再び新たな番号を打ち込む。 今度こそ私用船の手配をして、ボクはボクの体に凭れ掛かってぐったりしている彼女の頬に触れた。 「冷たいね。もう少しで温かいところに行けるから死んじゃダメだよ」 呼びかけてみたものの返事はない。 かわりに一陣の風が頬を掠め、彼女の艶やかな黒髪を静かに靡かせた。 風の流れにつられて空を見上げると、赤い花がいつまでも咲き誇っている。 よく目を凝らせば、花火の下に小さな亀裂があることに気づいた。どうやら風はそこから吹き込んでいるらしい。 もっと視野を広げれば空から空へ、そして地面から地面へ、四方を箱のように囲った薄い壁がボク達の周囲にあるのが見て取れる。 「なるほど」 まるで時間が止まっているように思えたけれど、どうやらそうじゃないらしい。 現実と同じ景色の箱庭を作り上げているようだ。 だから景色はそのままで人がいない。閉じ込められたモノは現実と引き離され別の空間に閉じ込められる。そういうことなのだろう。 「でもこの念を使ったヤツは見かけなかったなぁ」 念を発動したあと逃げたのかもしれないけど。 「まあ、いっか」 ボクは箱の隅と思われる位置まで歩いていき、念を込めたトランプで壁を切りつけた。すると壁は呆気なく砕け散り、四方を囲っていた壁も一緒に崩壊。 やがて喧騒が帰ってくる。 ボク達は祭りの真っ最中である町のちょうど入り口辺りに立っていた。 「くっくっく」 こんな風に念能力は十人十色だ。 果たして“彼女”はどんな念を使い、そしてどんな表情でボクを楽しませてくれるのだろうか。 想像しただけで笑みがこみ上げてくる。 「美味しく実らせるためにも、まずは元気になって貰わないと」 人々の楽しげな声を背中に、ボクは町の外へと歩き出した。 |