00 ここは一体どこだろう。 ついでに私は誰だろう。 そんな典型的な記憶喪失の現象に見舞われたのはついさっきのこと。 私は答えを見つけ出せないまま、倒れていた路地裏から出て、見知らぬ町をひとりぶらぶらしている。 00.始まりはお姫様だっこ 夜の帳はとっくに下りているけれど、町はとても明るい。 ちょうどお祭りの時期らしく町中が色とりどりの提灯で満たされ、どこまでも続く大きな一本道には様々な出店が並んでいた。 はしゃぐ子供たち、呼子の明るい声、そして無礼講とばかりに談笑する大人たち。町は行き交う人々の活気に溢れていた。 鼻をくすぐる出店からの甘い香りを楽しみながら、私は人の流れに沿って歩みを進める。 とても賑やかな場所だけど、まったくもって見覚えがない。 記憶の引き出しを必死にこじ開けてみても、中身は見事にからっぽのすっからかんだ。 自分が今までどこで何をしていたのか、歳はおろか名前さえ思い出せない。 ……だというのに、私の心に不安という文字は微塵もなかった。 正直、この状況でまったく動じていない自分自身にびっくりしている。 ずば抜けた能天気なのか、はたまた実は物凄い大物だったのか。どちらにせよ、まぁなんとかなるんじゃないかなーなんてどこから出てくるのかわからないポジティブ思考が「不安」を完全に払拭している。 私はきっと記憶を失う前から超ポジティブ人間だった、そういうことにしておこう、うん。 「おれぁコトヒも受けるぞ! 絶対コンロこそ受かってやるからなー!」 「おいおい声でかいって、もう酔ったのか?」 「こんな騒がしきゃ誰も聞いてれえよ!」 ふと、酔っ払っているのか少し舌足らずな男の会話が聞こえてきた。 どうやら何かの試験の話題らしい。 「ハンター試験なんてキョロいんだよ、俺様の実力ならー」 「はいはいわかったわかった、なあちょっとあの店で休もう。おらちゃんと歩けってば!」 ずるずると引きずられていく男の後姿が、人ごみの中に消えていく。 それを見送りつつ私は瞳をぱちくりさせた。 「……ハンター、試験?」 不思議なことになんというかピンとくる言葉だ。 真っ白のはずの記憶の向こうに、確かな知識が眠っている気がする。 こう、喉まで出掛かってるんだけどやっぱりわからないというか。何か思い出せそうで思い出せないもどかしさがある。 「どこかで聞いたっていうか、うーん……読んだ、のかも?」 首を傾げつつぽつりと呟いた独り言と同じ頃、盛大な音を立てて大きな花火が夜空に咲き誇った。 ドン、ドンと立て続けに打ち上げられる花火は見事なもので、思わず見惚れてしまう美しさだ。 「……きれい」 しばし足を止め、夜空の花を見つめる。 鮮やかな赤が次々に弾け、次は何色がくるのだろうと胸を躍らせた。 ……のだが。 次の花火が一向に上がらない。というか空に咲く赤はいまだ消えていない。 あれ? そう思ったのと、自分の体に異変を感じたのはほぼ同時だった。 なにやら足が重い。視線は自然と自分の体、足元に向く。そして瞠目した。 「え? ええっ?」 思わず二度見してしまったけど、きっと誰でもそうなったと思う。 だって、私の足が膝辺りまで地中に埋まっていたのだから。 さっきまで普通に歩いていたはずなのに。特別道がぬかるんでいたわけでもないし、いったい何が……? さらに不可思議な現象は続き、音という音すべてが唐突に消えた。 辺りを見回してみると、それまでの喧騒が嘘のように人っ子一人見当たらない。 出店や町の提灯は確かに存在しているのに、人だけが消えている。これはどういうことなのか。 「おっと」 状況についていけない私の頭上に、芝居がかった男性の声が響いた。 聞き覚えのある声音に自然と視線を向けて私は再び目を見開く。 ――それは奇妙な影だった。 夜空に咲く鮮血のような花火を背景に、だんだんと迫りくる影。このままでは下敷きになる。 いけない、と影へ意識を集中した瞬間、急激に感覚が研ぎ澄まされ、世界がとてもゆっくりに感じられた。 瞬きひとつするだけでもやけに長い。 とくん、とくんと、心音だけが耳に届いている。 影が緩やかに、そして確実に近づく。 ――それは奇妙な格好の、誰かだった。 体躯からしてどうやら男性のようだ。私は考えるより先に両手を前に伸ばしていた。 瞬きを1回、2回と繰り返したところで男性の体が私の腕に触れ、ほどなくずしりと重みを感じる。 俗に言うお姫様抱っこというやつを再現していた。 しかも男に女である私が。 これって普通逆じゃない? ほら「親方ーー! 空から女の子がぁ!」的なシチュエーションでしょ? 「おや」 先ほどよりも幾ばくか驚きの混じった声に、私の感覚は平常時に引き戻される。 瞬きはもちろん一瞬で終わり、改めて目の前にある男性の顔を見て、フリーズした。 彼の澄んだアイスグレーの瞳が、ぽかーんと間抜け面の私を映している。 腕の中に落ちてきた男性は、一言で言うならやはり奇妙。 髪は燃え盛る炎を思わせる赤で。 涼しげな目元が印象的で。 頬に星と涙のペイントを施し、口元には胡散臭い笑みを貼り付いた。 まるでピエロのような装いの。 「うん、美味しそうだ」 禍々しいオーラを纏った――奇術師。 これが記憶喪失真っ白人間の私と、奇術師ヒソカの出会いだった。 |