![]() 「……ヒソカどうしっ、ひうっ」 言葉が紡ぎ終わる前に彼女の耳元に顔を寄せるとますますボクを煽るような悲鳴があがった。 彼女は耳がとても弱いようだ。見る間に耳が真っ赤になった。 煽るのも上手だねぇ。うーんでもダメダメ。少なくとも今はまだこれ以上をするつもりはない。今しちゃったら凄く勿体ない気がする。目の前にある羞恥に染まった彼女の先の表情も見たいけど、これはあとに取っておいた方が絶対にいい。 本能がそう告げている。 ボクはぐっといろんなモノを押さえつつ、囀るように吐息をはいた。 22.月明かりの賛歌(後) 「どうしてベッドで待ってなかったんだい?」 「それはっ……ていうか、ち、近……くすぐった、いからっ」 鼻先が耳に触れているのが気になるのか彼女は逃げるように顔を背けた。でも逃がさない。 「うん? わざとだけど」 「やめ、ほんとにくすぐったいってばっ」 「じゃあ言って? 何でベッドで待っていなかったんだい?」 「……っ」 「ほら」 言ったらやめてあげるよと笑えば、びくりと彼女の細い体が揺れた。息がくすぐったいんだろうね。 本当はベッドで待っていなかった理由なんて単なる羞恥だってわかっているけど、彼女の口から言わせるのが楽しい。 彼女もボクの思考がわかっているのか恨めしそうに睨んでくる。でもこの状態じゃろくな抵抗も出来ないし歯がゆいだろうなぁ。 「……から」 「うん?」 「は、恥ずかしかった……から」 絞り出すように告げて、彼女は再びそっぽを向いた。耳や顔どころか首まで真っ赤だ。 「良くできました」 笑顔で言って顔を離すとぷるぷる震えながら涙目でギッと睨み付けてくる彼女。 ああ、本当に恥ずかしかったんだね。 「クク、怖いなァ、どうしたんだい?」 「何でもないっもう寝るっ」 体ごとひっくり返って背を向けたもののそれ以上動く様子がないのは、逃げられないとわかっているからなのか、やっぱり怖い夢のせいなのか、それともボクと寝るのが当たり前になりつつあるからなのか。 どんな理由にしてもボクは彼女と寝るのが好きだし、彼女の気配は不思議と苦にならない。 羞恥という点を除けば彼女も同じ気持ちだろう。 「ほらもう離れたから仰向けに戻って大丈夫だよ?」 ころんと横に転がって言うと、ちらりとボクの様子を見た彼女も同じように体を回し天井に顔を向けた。 「昨日からほとんど寝ていないだろうし、今日はゆっくり休んでね」 「……急に優しい」 「ボクはいつだって優しいじゃないか」 「うそつき」 「それってボクにとっては褒め言葉だよ」 「……」 黙り込んだ彼女はまたそっぽを向いてしまった。こっちを向かせたくて声を掛けようとして、ボクははっとする。 彼女の名前を呼びたい、と。 でもそうだった、彼女には記憶がない。自分の名前さえわからないのだ。 今まで不便に思った事はなかったけど、そういえばボクは彼女の名前も知らなかったと今更な事実に気づいた。 「……? ヒソカ?」 ボクの些細な空気の変化に気づいたのか、彼女が少しだけ気にしたように顔をこちらに向けてくる。 名前……名前か。 カーテンの隙間から柔らかに落ちてくる月明かり。そしてちょうど彼女の首辺りに影が出来ている。 窓辺においてあるユーリだ。 「……ユーリ」 「え?」 前にも思ったけど、彼女はユーリに似ていると思う。 「キミの事、ユーリって呼んでいいかい?」 「私の、こと?」 一瞬目をぱちくりさせて体をこちらに転がした彼女は、ボクと正面から向き合う形になった。 「あ、そっか。そういえば名前……」 全然気にしたことなかったけどそういえばなかったね、と破顔した彼女は心底可笑しそうに肩を揺らしてひとしきり笑った。やがてボクに優しげな視線を向けてくる。 「いいね、綺麗な名前」 ”私には勿体ないかも”なんて今度は照れくさそうに笑う。 「そうかい? ぴったりだと思うけど」 「そ、そう? なんか照れるね」 「ユーリ」 「うん?」 「うん、やっぱりしっくりくるね」 「……ありがと」 微笑むユーリの頬に自然と手が伸びる。嬉しそうな顔がとても眩しかった。滑らかな肌の感触と少し熱を持った感覚に、ボクの笑みも深まる。 ――しばらくはボクの家でゆっくり過ごすのも悪くないと思ったけど。 「ヒソカ?」 「……名前も決まったし、予定変更しようか」 「変更?」 「明日からは天空闘技場に行こう」 もっともっと笑った顔が見たいし、ユーリ自身もそろそろ体を思い切り動かしたい頃だろう。 たぶんあそこに行けば喜ぶだろうし、成長の一環としても申し分ない。 おぼろげな記憶があるのか、なんとなく首を傾げる彼女にボクは闘技場とはどんな場所なのかを嬉々と説明した。 |