狩人夢 | ナノ

  17

誰かに呼ばれた気がして振り返る。少し離れた丘の上に、太陽を思わせる髪色の長身細身な青年が「早く来い」と微笑んでいた。
眩しいほどの陽光で顔は見えない。というより体全体が少しぼやけている気がする。声も反響しているし私自身も不可思議な浮遊感がありどうも現実味がない。
そこで私はやっと”これは夢なんだ”と気づいた。

丘の上の人が誰なのかはわからない。でも彼を目にした瞬間、安堵とともに早く傍に行きたいという気持ちが生まれた。
きっと私にとって特別な人だったんだろう。記憶がないのでなんとなくだけどきっと恋人ではない。胸に宿る想いは恋慕ではなく友愛。もしかしたら兄妹に近い間柄だったのかもしれない。

「どうした?」

彼が問う。私の体は勝手に走り出し、彼の隣まで行ったところで「何でもない、行こう」と歩みを促していた。

「ああ、そうだな。……さんが待ってる」

名前の部分だけがノイズ混じりで聞き取れなかったけれど、体はさっきと同様私の意志に関係なく動き、深く頷いている。

丘の上から見える景色は素晴らしいものだった。一面に広がる色とりどりの花が風に揺れ、太陽の光を浴びてきらきらと輝いている。甘い香りが頬を撫で優しい気持ちになった。
ふと彼の長い髪も風に靡いて視界の端に映る。花も綺麗だけど私は隣に佇む彼のしなやかな長い金髪の方がもっと綺麗だと思った。

やがて寄り添うように歩き出したところで私の意識は途切れてしまった。




次に見えた光景は先ほどとは様子が変わり、穏やかとは縁のない場所だった。目に見える物すべてが紅い。紅蓮の炎が、猛り狂うように燃え上がっていた。噎せ返るほどの熱が辺りを包み込んでいる。

……これも夢?
私はこの場所を知っている気がした。何だか嫌な予感がする。
これは見ちゃいけない、と本能が警報を鳴らしていた。心臓が忙しなく鼓動し、暑さからくるものとは違った冷たい汗が背中を伝う。
ふと汗とは別の湿りを手に感じ、右手を見ればべっとりと血がついていた。まるで血溜まりにそのまま手を突っ込んだような有様だ。

これはいったい。いや、駄目だ、考えちゃいけない。

嫌な予感はますます大きくなり、私は頭を抱えてその場にうずくまった。早く覚めろ、覚めろ、と念じながら震える体を誤魔化すように首を振る。

ひたすら念じ続けてしばらく経った頃、まるで願いが届いたかのように意識が遠くなる。
そして浮かび上がるような感覚。それは意識の浮上だった。私はゆっくりと眼を開ける。
静まりかえった暗がりには、猛威を振るう紅蓮の姿はなかった。



17.真夜中の攻防・表



あ、れ……?
ほっと息をついたのもつかの間、私は何故かベッドの上ではなくドアの前に立っていた。
加えて自分の体なのに自由が利かない。まさかまだ夢の続きなのかと焦燥に駆られたが、目の前のドアには見覚えがあった。ここはヒソカの部屋の前だ。
そう気づいたときにはゆったりと手がドアノブを捻り、音もなく戸が開く。

え、ちょっと待って。
何勝手に入ってるの、と声に出したかったのに喉が詰まって声が出ない。暗さからしてまだ真夜中だ。私は焦りながら歩き出した自分を制止しようと試みる。が、まるで効果がない。
ドアの先には見慣れた光景が広がっており、違うところと言えば部屋が暗いこととヒソカがベッドに寝ている姿があることくらいだ。

これじゃまるで夜這いでもしているみたいじゃないか! と焦りは頂点に達し、回れ右ー! っと強く心に願うが、やはりどうにもならない。
それでも諦めず訴え続けていると足音を消して進む私の体が、ベッドから三歩くらいのところで一旦足を止めた。
やった、と喜んだのものの今度はぴくりとも動かない。さらにベッドの上で衣擦れの音がして私はびくっと肩を揺らした、気分だった。

「やっぱり来たね」

クククと喉を鳴らしてヒソカがゆっくりと起き上がる。どうやら起きていたらしい。
慌てる私とは対照的に長めの前髪を掻き上げて、悠然と微笑んでいる。

「どうしたんだい? おいでよ」

甘い声が室内にゆるりと響く。導かれるように再びヒソカの方へ近づいた。
ばくばくと心臓が煩くなる。招くヒソカはとても満足そうに笑っていて、色っぽさが尋常じゃない。またくらくらしてしまう。
甘いマスクがそれを引き立て……というか「なんで上半身裸なのっ」と、ところ構わず叫びたくなった。
しかし私の体はヒソカに導かれるまま戸惑うことなくするりとベッドの中に入り込む。
その様子を当たり前のように受け入れて、ヒソカもまた横になった。

や、ちょ、待ってこれは恥ずかしすぎる。
甘すぎる空気と目の前のヒソカ。ヒソカの匂いと傍に感じる体温。心臓が持たない。

『キミがボクのベッドに入ってきたんだよ?』

ふと脳裏を過ぎるいつかの科白。ヒソカは確かにそう言っていた。さらに私はその言葉を聞いた後もヒソカのベッドで目覚めなかった日はない。
つまり私はいつもこんな風にしてヒソカのベッドに入り込んでいたのだろうか。

恥ずかしすぎて消えたい。心地良い温もりにほっとしちゃってる自分も張り倒したい。
いっそ自分がネコとかならこうして同じベッドで寝ても許される気がしたけど、いかんせん私は人間だ。羞恥が半端じゃない。逃げたい、とにかくどこか遠くへ。頭を冷やすべく飛行船からバンジージャンプをしてもいい。ヒソカのバンジーガムを借りれば可能なはずだ。

意味のわからない思考に絡め取られている間に、何を思ったのかヒソカが柔らかく笑んで私の頭を撫でた。

「どうせ来るんだから、最初から一緒に寝ればいいのにねぇ」

面白がるような口振りではあっても、悪意は感じられない。何より撫でる手つきが優しすぎる。

――わたし、いつもこんな風にされてたの?

「おや、意識があったのかい?」
「えっ」
「声、出してたよ」
「うそっ」

うわっと声が上がる。いつの間にか体は自由になっていて、喉の詰まりも解消されていた。よりにもよって何故このタイミングだったのか。

「ククク、寝る前にも言ったけどそろそろ観念したらいいんじゃないかな」
「か、観念って」
「無意識ならまだしも、今みたいに意識が戻ったりしたら余計顔が熱くなるんじゃないかい?」
「……!」
「ほら、今も真っ赤」

寝そべったまま向かい合う形でわざと囁くように言われ、ぐわーっと沸騰するように熱が顔に集中する。
甘い空気なのにまるで精神攻撃でもされているような心境だ。それはもう楽しそうに目を細めてダイレクトに攻撃してくるヒソカは、私の感情が手に取るようにわかってさぞ心が躍っているのだろう。

「だったら最初から一緒の方が照れも少なく済むだろう?」

ね? なんて諭すように告げてくる。

「で、でも」
「ま、こんな風に夜な夜なそっと来てくれるのもいいけ」
「それ以上は勘弁して下さいっ」
「ん? 言わないで欲しい? 恥ずかしいのかな」
「っ、わ、わかってるなら口に出さないでよ」

顔から火が出そうだ。

「ククク、キミのあわあわする姿が見たいんだよ」
「……ドエス」
「んー? ボクはどっちかっていうとエムだと思うけど」
「ええっ」
「あ、キミはエムだよね」
「はっ?」
「ボクにいじめられるの、嫌いじゃないだろう?」
「な、なななに言って……! 好きなわけな」
「はいはい」

あやすような言い草にムキになってしまう。

意地になればなるほどわけのわからないエスエム談義は続き、どんなに反論しても言い負かされてしまう私がヒソカに勝てるはずもなく。
結局東の空が明るくなるまで頬の熱が引かなかったのは言うまでもない。




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