13 「ヒソカ、そろそろはなして欲し……」 「ダーメ、ああキミはホントよく赤くなるね」 「え、あっとヒソカッ」 まるでダンスでも踊るようにくいっと体を回されてヒソカと向き合う形になる。抱き込まれそうな勢いに、今度こそ悲鳴に近い声が上がった。 ぞわぞわーっと全身に鳥肌が立つのと、よくわからない羞恥とで私は捕まったにわとりの如くバタバタと暴れる。 路地裏は両側を高い壁が覆っているのでやけに暗い。声も微妙に反響している。 「やめっ」 「このまま後をつけられるのは面倒だし、ここで殺しちゃうからもう少し我慢して」 「やっ、それとこれとは関係ないんじゃっ」 「ちょっとした演出だよ」 「なにそれいらないっ」 「照れない照れない」 「照れてないから!」 「ククク……ねえ、見たらわかるでしょ? イイところなんだけど」 「へっ? あ」 急に冷たくなったヒソカの声。そこでようやく私達のいる路地に1人の男が立っていたことに気づいた。 ヒソカと出会ったすぐあとにナイフを投げつけられたときもそうだったけど、記憶を失ってからの自分は迂闊すぎると思う。人の気配に疎くなってしまっているようだ。 もし1人のときに命を狙われたりしたら、怪我だけじゃ済まされないかもしれない。 もっと周りに気を配らないと。 異様にギラギラした男の視線を感じながら、私は気持ちを引き締めた。 「ハッ、知ったことかよ。テメェを殺せりゃそれでいいんんだからな」 「ふーん」 「前のようにはいかねーぞヒソカ。オレも腕を上げたからな」 「……そうは見えないけどねェ」 「な、んだと!?」 「それで腕を上げたつもりなら実に残念だよ」 ざわりと、風がさざめく。 心底冷めた表情で男を見るヒソカの瞳に、私はさっきとは別種の冷たいものが背筋を伝った。 壊れた玩具でも見るような、そんな瞳に、 「ボクの見込み違いだったみたいだね」 空気も凍った。 「イイ使い手になると思っていたのに、まるで進歩がない」 キミはもういらないや。 声が聞こえたのと、男が地を蹴ったのはたぶん同じくらいだったと思う。 思うっていうのは、私がちゃんと男の姿を見ていなかったから。 私はヒソカの冷たい横顔に釘付けだった。 もう、いらない。 ヒソカのはなった一言に、のっそりと目に見えない恐怖が頭をもたげた。 「女抱いたまま死にやがれ! この殺人狂がっ」 男の声がどこか遠くで響いている。 いらない、なんて言われたら――私はどうするんだろう。 まだ何も考えていなかった。 これからのこと。 具体的な今後の身の振り方。 記憶を取り戻す方法や、強くなるために必要な修行。 そして、ヒソカとの別れ。 体が動かないうちはどう転んでもヒソカの好意に甘えるしかなかった。 だからこそ私はこうして歩けるまでに回復したし、充分過ぎるくらいお世話になったと思う。 でも、じゃあこれからは……? 私はいつまでヒソカの傍にいていいんだろう。 「ククク」 ヒソカは私を片腕に抱いたまま、取り出したトランプで一歩も動くことなく向かってきた男の命を奪った。 13.もうすでに 「それじゃ行こうか」 「……うん」 離れていった腕に僅かな不安と肌寒さを感じながら、私達は再び日の当たる場所へと戻った。 『もういらない』 そう言ったヒソカの笑みはいつも私が見ていたものとはずいぶん違っていた。触れたら一瞬で凍り付いてしまいそうな冷たい視線は、失望の色が濃く浮かんでいて。 ――あんな顔もするんだ。 でもそれは本当に刹那的なもので、次の瞬間にはどうでもよさそうなものを見る目に変わっていたけど。 考えなきゃいけないのはこれからのことなのに、何故かヒソカの言葉ばかりがさざ波のように心の内でざわついた。 もし自分が言われたらなんてあるかどうかもわからないことを考えても仕方ないのに。 しかもいつまで傍にいていいんだろうって……これじゃまるで私が、その……ヒソカとこれからも一緒にいたいと思ってるみたいじゃない。 「…………」 すでに”みたい”なんて曖昧な言葉で済ませられなくなっている。たった数日のうちに私はヒソカといることに慣れてしまったのだ。 一緒にいることの心地良さと、ひとりじゃない暖かさを知ってしまった。 うわ、どうしよう。 今の私にはヒソカ以外の知り合いがいない。このままだと近い将来ヒソカに依存してしまいそうだ。 「どうしたんだい? ずいぶん静かだね」 「えっ、あ、何でもない」 「何でもない? キミは本当にウソが下手だね」 「うっ」 顔に出ない練習ってどうしたらいいんだろう。 「……」 誤魔化せない空気に私の心は重くなる。 胸の内を言ってしまえば、ヒソカの口から答えを聞くことになってしまうかもしれない。 ”いつまで”なんて期限を言われるのは嫌だった。 私とヒソカの関係は死に損ないとそれを拾った人というだけで、それ以上でも以下でもない。ヒソカにとって私は青い果実で、勿体ないという理由だけで助けられた。 要は薄っぺらな関係だ。 ヒソカ自身が青い果実に対し訓練的なことをするかはわからないし、私が元気になったらあとはお日様を浴びて大きくなるりんごを見守るように、ただ待つだけかもしれない。 「強くなったらまたおいで」と突き放される可能性だってある。 ……ダメだ、怖い。 だったらいっそ、今ここで別れを告げてしまった方が後々のためだ。一緒にいる時間が長くなれば、それだけ別れのときが辛くなる。 今でさえ、すでに胸は痛かった。離れるなら今しかない。 私は一度大きく息を吸ったあと、意を決して私より頭一個分以上高い位置にあるヒソカの顔を仰ぎ見る。 「……これからのこと、なんだけど」 「うん? どこか行きたいお店でもあるの?」 「あ、そっちじゃなくて、なんていうかこれからの生活について」 「生活?」 「ほら、私動けるようになったでしょ。だからもうお世話になりっぱなしってわけにもいかない、かなって……」 目一杯の強がりと一緒にはき出した言葉は途中で止まってしまった。 気持ちを切り替えないと。一緒にいられなくなったところで死ぬ訳じゃない。 「今まで本当にありがとう。私、なら、もうひとりでも大丈夫だから」 声が震えそうになる。せめてちゃんと笑えていることを祈るばかりだった。沈んだ状態で話したら意味がない、もっと明るくポジティブに…… 「キミは」 「え?」 「ボクと一緒にいるのがイヤかい?」 「っ?」 意外な言葉に、私の足は止まった。 |