![]() 「……ありがとう、か」 一体何年ぶりの言葉だろう。 ボクには縁のない言葉だと思っていたけど、まさかこんなところで貰うとは。 私用船を下りたボクは、珍しくもこれから壊しに行く玩具の事ではなく、さっき別れたばかりの彼女の事を考えていた。 そういえば彼女が笑うところを見たのは初めてだ。ずいぶんと幸せそうに笑うんだなぁ、陽だまりみたいだよ。 彼女の少し気の強そうなつり目がちの瞳が、笑う事でまったく違った印象になった。 花が綻ぶような優しい笑顔だ。 誰かに微笑まれるのもたまには悪くないね。 それに「いってらっしゃい」も久しぶりだった。この感じだと戻ったら「おかえり」が聞けるかな。 ククク、さっさと片付けて戻りたいね。 誰かが待っているなんて煩わしいだけだと思っていたけど、今はそうでもないから不思議だ。 ジッポーの事だって本当は今言わなくてもいいかなって思っていたけど、言った方が喜びそうだったからつい言っちゃったよ。 案の定彼女は興味深そうに、そして少しだけ嬉しそうにしていた。 記憶が戻るかどうかはわからないけど、手掛かりくらいにはなるかもね。 「それにしてもユーリか」 つい最近、団長が欲しいと口にしていた花の名前だ。 なんの偶然か、先日ボクが団長と2人きりになれそうだと思っていた仕事の内容のひとつ、それがユーリ探しだった。 結局見つからなかったんだけどね。 確か世にも珍しい、光の加減で花びらが色を変える花――だったかな。 世界七大美色には数えられていないけど、コレクターの間では高値で取引される文字通り高嶺の花だ。 なんでも滅多に花を咲かせる事がなく、開いた花を見た者には幸が運ばれるとかなんとか。 そもそも蕾を見つける事さえ難しいため、生態は謎に包まれているらしい。 そのせいか本当に望む者の前にしか姿を現さないだとか桃源郷にしか咲かないだとか様々な説があったはず。どこまで本当なのかは知らないけど。 まあもし望む者の前に姿を現すのが真実なら、遠くない未来彼女がユーリを手にするかもしれないね。 ボクは約束の場所へと歩みを進めながら、ユーリがどんな花なのかほんの少しだけ興味を持った。 ――そして、 「……おや」 まさかの遭遇に口角を引き上げた。 10.ユーリ す、することがない。 ヒソカが出掛けてまだ一時間程度だと言うのに、私はすでに暇を持て余していた。 寝ようと思っても妙に目が冴えてしまっているし、かといって船内を歩き回れるほどの元気があるわけでもない。 困った。 ころんと広いベッドに寝転がる。そして自分の上着に入っていたというジッポーを掲げてみた。 「ユーリ……か」 珍しい花だとか七色に変化するとか幸を運ぶとか、記憶の引き出しをじっくり眺めてみると、いろいろなことが思い出せた。 でもそれはツツジの密は甘くて美味しいとか、サラシナショウマはやけどに効くとか、そういう「知識」と同じカテゴリーにあって、この花を通しての背景、私がこの花をどこで見てどんな人達と交流したのかというような記憶には繋がらない。 「んー」 それでもやっぱりこの花には何か大切な思い出が隠されていると思う。 花びらが舞うところが思い浮かんだんだから咲いたところを見たんだと思うけど、 「ちっとも思い出せないな」 わかっているはずなのに、ぽっかり穴が開いてしまっている感じだった。 うーんうーんとしばらく唸っていたけど、一向に良い兆しは見えてこない。 「仕方ないか」 どんなに焦ったって思い出せないときは思い出せないし、気長に向き合っていこう。 万全の状態に戻ったらユーリを探してみるのがいいかもしれない。 うん、それがいい! と考えを纏めてジッポーを元あったところに戻す。 さて一段落したところでこの持て余している時間をどうしたものか。 私、趣味とかなかったのかな。 んーと首を捻る。こういうときは……そうだなぁ。 「あ」 絶でもしようか。 ふと思いついた念の基礎。絶は体の回復にも繋がる。 本当は練とか流をやりたいけど、今は回復最優に考えた方がいいし。 私は上半身を起こし、ゆっくりと目を閉じた。そっと息を吐いて体の力を抜く。 全身の精孔を閉じ空気に溶け込むようなイメージを作る。 この感覚もかなり久しぶりな気がした。 もっと体調が良くなったら他の鍛錬もやってみよう。何か思い出せるかもしれない。 私はしばらくの間、絶だけに集中した。 「驚いたな、“絶”得意なのかい?」 急に耳に入った声で、はっと瞳を開いた。見ればヒソカがドアの前に立っている。あんまりにも集中し過ぎて、戻っていたことに気づかなかった。 部屋の時計を見れば、あれからかれこれ二時間が経過している。 「あ、おかえり」 「うん、ただいま」 にんまりと笑ってヒソカがベッドに座った。なんだか纏うオーラがいつにも増して禍々しい。 「やっぱりいいねキミ。ゾクゾクするよ」 「……そ、そう?」 何が良いのかよくわからないけど、微妙に高揚しているっぽいヒソカはとてもご機嫌だった。 最初に会ったときもそうだったけど、ヒソカはこういうことに興奮する趣向があるのかもしれない。 この前は完全に、よ、欲情してたし。 ヒソカからは禍々しいオーラとともに微かな血の匂いもする。怪我をしている様子はないので、おそらく別の誰かのものが移ったのだろう。 予想通り、約束というのは戦うことだったのかもしれない。 「部屋の扉を開けるまでキミがいなくなったのかと思ったよ」 「ほんと?」 「うん」 ちょっと嬉しくなった。絶は得意かもしれない、とこっそり脳内メモに付け足しておく。 基礎応用問わず一度ヒソカに見て貰ったら得手不得手とかいろいろわかるかな、なんて考えていると。 禍々しかったオーラが少しずつなりを潜め、ふいにヒソカが私の前に手を出した。 きょとんとする私にヒソカが奇術師らしい感情の読めない笑みを深めた瞬間、ぽんっと小さな音を立てて一輪の花が現れる。 「えっ? うそこの花って」 「そ。ユーリだよ。まさかこの島で見るとは思わなかったけど、望む者の手にって言うのはあながちウソじゃないのかもね」 あげるよ、と差し出され私は驚きのまま停止した。 あっさり言っているけど、ユーリはそう簡単に見つかるモノじゃない。 一説によればあまりの難易入手度に人生を狂わされ、発狂した人間も少なくないという。 それにヒソカは自分のために取ってきたんじゃ? 「気になっていたんだろう? ボクは花に興味がないし、キミが持っていてくれると嬉しいよ」 「え?」 ヒソカの言葉にますます目を見開いた。 興味がない? じゃあ自分のためじゃなく、私のために……? 「…………」 わ。 う、うそ。どうしよう。 花はもちろん嬉しかったけど、それ以上にヒソカが私のために取ってきてくれたことが嬉しかった。 「あ、ありがとう」 「どういたしまして」 目を細めるヒソカが思いのほか優しい眼差しを向けてくるものだから、少しだけドキッとしてしまった。 慌ててユーリに視線を戻す。 記憶にある通り、不思議な色をした花だ。もちろん蕾の状態で、その形状はユリに似ている。 なんだか懐かしい。 ……花が開いてくれたらきっと、もっと自分の記憶に近づける気がした。 「咲くといいね」 「……うん」 初めての贈り物に感激しながら、私はユーリを胸元に寄せ優しくかいなに抱いた。 「あ、そういえばヒソカ。私が記憶喪失だって気づいてたの?」 「うん。最初に会ったときキミ自分が念を使えるかわからなかったんだろう? そのときからちょっとずつね」 「そんなに前から?」 「キミはすぐ顔に出るからわかりやすいんだよ、とっても」 「……そ、そんなことは」 「無表情作っているつもりかい? バレバレだよ?」 「……っ」 喜びもつかの間……いつかヒソカにさらりとウソをついて驚かせてやりたいとちょっとだけ思った。 |