ステップフォード


艶やかなサキソフォン、切れ味のいいドラムス、変幻自在のウッドベースに、スタイリッシュにして繊細なピアノの旋律。奏者によるジャズの演奏を横目に見ながら、バーテンダーに案内されるままアーチ型の仕切りの先に見える席へと進む、この国の管理者・オーロと――一名の部下。



「礼を言う。ここまですんなり付いてきてもらえるとは思わなかった」

テゾーロの配下である証、左半身の縦に一本の白ラインが走ったシングルスーツを着こなすサボ。話し合いの場を設けたオーロが用意していた物だった。部下に扮した彼は今、皮張りのパーソナルチェアへ深く腰かけ、足を組んでいる。警戒したまま座ったところで咎められるものでもないであろうに。オーロは革命活動の中核を担う彼の豪胆さを理解した。
カクテル――グレープフルーツジュースをベースにしたノンアルコール――を一口飲んだサボは、フッと自信ありげな微笑をくちびるに描く。

「礼なんていい。いざとなればあんたを人質にする」
「随分と見縊られたものだな」
「で――そのままあんたを革命軍に引き入れる。良い計画だろ?」
「おもしろい冗談だ」

本気なのになァ、と子供みたいな反応を見せるサボ。反してオーロは、その態度に同調する気振りもなければジャズに耳を傾けるわけでもなく。静かに、青年を一瞥して。

「単刀直入に言おう」

カットグラスの中で、溶けた氷がカランと鳴った。

「テゾーロを見逃せ」

――――……サボの顔がみるみる引き締まっていく。返答など考えるまでもなかった。口元の笑みは絶やさないまま、サボが“無理な相談だな”と口を開こうとしたとき、

「グラン・テゾーロに手を出すなという意味ではない」
「……?」

すかさず継ぎ足したオーロに、意図を汲み取れなかったサボは眉を顰める。オーロのすらりとのびた骨立つ指が、厚いグラスの底を支えた。焦点のぼやけている眼差しは、琥珀の水面を見つめている。

「この国〈船〉も、黄金も、カネも……あの男の地位も、権力も、根こそぎ奪っていい」

ただし――――。

「あいつの身柄だけは、見逃してもらいたい」

「……………………」

何故だろうか。カネを積まれるよりも、その願いは真に迫って聞こえた。組織のナンバー2が『命さえあれば破滅しても構わない』と言い出す点には、やはり疑念を抱かずにはいられないが。

「いくらオーロさんの頼みでもそれは聞けない。犯してきた罪の責任は、その身を以て、しっかりと負わなければならない」
「社会的な破滅も一つの“死”だ、違うか?それとも……私に協力できることがあれば惜しむことはしないが?」
「有難いな、あなたの身柄については考慮できると思いますよ」
「私ではない」
「だったら、前提から受け入れられないお話だ」

答えを聞くや否や、オーロは無言でグラスをテーブルへと置いた。胸の前で手を組み、わずかに瞼を伏せる姿は、怒っている様に見える。サボの確固たる姿勢に、彼を乗せることはできないと判断するに至ったのだろう。
その横顔をじっと捉え、青年は身を乗り出した。

「オーロさん、革命軍に来なよ。昔言ってたじゃねェか。ゴア王国と自分の故郷は似てる、こんな世界ウンザリだ、って」
「言ったか、そんな事を」
「“大きな権力が人間を腐らせる”。“本当は誰ひとり例外なんかない、人に貴賤など存在しない。在るとすればその人格にだ――”。聞いたときにはぼんやりとしか理解できなかったけど、今ならよく分かる」
「……美化されすぎなんじゃあないか、その思い出は」

溜息でも吐きだしそうな口調だった。

「君がまだ幼い頃の話だろう?正確に覚えているとも思えない。私との記憶を、良いように捏造してしまっているんじゃないか」
「、…………」

オーロの冷めた態度に、サボは不満げに口を歪ませた。懐かしさを押し出して接触を図ってきたのはオーロの方からでもある。なのに、まるでそんな対話などなかったかの様な口ぶり。

「……どうしてオーロさんは此処に……?テゾーロと何があったんだ」
「君に関係ない」
「テゾーロが“外”で何と呼ばれているか知ってるか?」
「どうでもいい、黙ってくれないか」


「『怪物』だ」


呼吸すら止めた様に、オーロが静止する。

「自分を選ばれた者だと信じ、邪智暴虐の限りを尽くしている貴族や天竜人の連中と同類さ。弱い者を踏みつけにすることを何とも思ってない。権力を手に入れて強大になっていく裏で、苦しんでる人たちがたくさんいること、オーロさんだって知らないわけじゃ――――」

ビシャン。

水の叩きつけられる音が、演奏の波間にかき消される。グラスを素早く手にしたオーロはその飲み口を青年の方へと向けていた。溶けきらない氷が床の上をすべる。

「黙れと言っている」

ぽた。ぽた。ぽた。サボの毛先から酒が滴り、スーツに染みをつくっていった。近くにいた客がちらりと一瞥をくれたが、関心のなさそうに目線は演奏者へともどされる。
オーロのグラスを持つ指が、白く染まっていた。

「テゾーロが……、奴等と……同類だと……?侮辱もいい所だな」
「……本気で言ってるんですか……それ……」
「おまえはどうだ?本気なら舌を引き抜くが」

サボの目に寂しげな影が宿る。オーロの顔は弛まないまま。

「もう一度聞かせてください。あなたは、どうして此処に……?いや――あなたを此処に留まらせているのは、なんですか?」
「…………」

徐にオーロが手で何かを合図すると、カウンターにいた二人のバーテンダーがやって来た。一瞬、神経を尖らせたサボだったが、二人は沈黙のまま散らかったものを片付け、汚れを拭き取り、軽く礼をして去っていく。その際、赤いカーテンを閉じていった。空間が隔てられ、ジャズが遠くに聞こえる個室ができあがる。サボはオーロの動きを待った。

「……おまえにはいないのか?何を置いても大切にしたい、自分の命をなげうったって構わないとさえ思う、そんな奴が」
「それが……テゾーロだと?」

オーロの声は平淡にもどっていた。いや、その響きは次第に上の空な感じに変わり、胸の奥から大切なものが染みだすような、あわれな声に聞こえてくる。

「あいつの命は重いんだ。俺の命よりもずっと」

車椅子に座っているとわかっている筈なのに、今にもよろめいて昏倒してしまうのではないかと心配になる、吐息のような囁き――――。


「光なんだ」


それはとても人間的で、盲目的な危うさを孕んでいた。

サボには、オーロがわざと事実から目を塞いでいる様にしか見えなかった。もしその推察が正しければ、この男は現状の不合理性を潜在的に意識している、という表れにはならないだろうか?
彼がどんなきっかけでテゾーロに心酔する様になったのかは知らないが、サボにとってオーロは恩師――“目を醒ましてほしい”と、強く願うのだった。

「あなたはとっくにわかってる筈だ、この国が行き着く先を。だからテゾーロの身柄の話をおれにしたっ。だったら――」


――――……しかし、その思いは脆くも打ち砕かれる。サボの喉元に、手裏剣の刃先が突きつけられていた。大型の切れ物を握るのはオーロの腕。
決定的な、『交渉決裂』のサインだった。
サボがとっさに口を噤んだ理由は他にもある。睨みつけてくるオーロの目が、憎悪と侮蔑に輝き、そのくせ、ネズミみたいな臆病な光をちらつかせていたのだ。遠い昔に憧れた男の姿からはかけ離れた、ひどく不安定な印象だった。

「私の要求を聞けないと言うんなら、すまない。君をこの国から出せなくなった」
「……」
「下手に炎を使おうとは考えるな。後々こんな記事が出回ることになる。『突然の火事による負傷者多数。その多くは罪なき一般人であり、犯人は民主主義を謳う革命軍のナンバー2、参謀総長のサボ――』……こんなところか?」

確かにこの店は、車椅子が通れるだけあって通路幅はあるのだが、天井は低く、ビルになっている建物には上階に他の店が入っている。これから押し寄せてくるであろう敵だけを狙って能力を使うことは至難の業といえた。
食えない人だ、と苦笑いを浮かべずにはいられない。一方、自らの優位を確信したオーロは鷹揚に問う。

「二人で顔を合わせるのは最後かもしれない。何か言いたいことは?」

追い詰められた状況にも関わらず、サボに怯えた素振りは一つもなかった。彼はゆっくりと、オーロを見据え――――。


「ステラ」


薄い唇から紡がれた、名。それだけでも警戒するには十分だったが。

「彼女の遺品や情報を、秘かに集めている人物の噂……――あなた、ですよね?」

「…………っ!」

オーロの瞼がじわじわと見開かれていく。カーテンの向こうでは複数の足音が集まってきていた。ロマンティックなジャズは鳴り止むことなく、室内の二人は世界に二人きりであるかの様に見つめ合う。

――この若き参謀は、なんの策もなくのこのこと付いてきたわけでもないのだと、感心せざるを得なかった。


  
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