アタラクシア


『オーロ様は、テゾーロ様を愛してらっしゃるんでしょう?』

家族や友人に向ける愛しか思い浮かばなかったならどんなに良かったことか――。
咄嗟に否定の言葉が出てこなかった。むしろ解けないでいた数式の答えを目の前に突きつけられた気分でいた。雁字搦めの糸がほどかれる感覚と共に、鉛でも飲み込んだような重苦しさが臓腑に垂れさがる。答えなど知りたくなかった。気付いたって、その感情を大切になどしてやれないのだから。




「――…………」
「起きたか」
「っ……!」
「喉が渇いているなら水がある」

脇から聞こえてきたテゾーロの声に心臓が跳ねあがる。倒れるまでの経緯はすぐに思い出せたが、今の状況が少しばかり飲み込めずにいた。自室でも医務室でもないベッドの上。しかも傍らには今最も顔を合わせたくない人物。混乱を察した様にテゾーロが「わたしの部屋だ」と説明してくれた。一つ謎が解けて、またいくつか謎が増える。ひとまず差し出されたコップを身を起こして受け取ると、カラカラに渇いていた喉を潤した。
「何で此処に」恐らく指示したであろう本人に意図を問えば、「少し話をしたいと思ってな」と静かな声が返される。話。話とは。互いに一定の距離を空けていた最近のことを考えても世間話ではないだろう。足が自由に動くならばすぐにでもこの部屋から立ち去ってしまいたかった。

「オーロ、おまえはバカラに何を言った?」
「……何かあったのか」

あったから訊いているのだろうが漠然とし過ぎていて答えづらい。余計な墓穴を掘ってしまわないよう、用心深く言葉を選んだ。

「バカラに告げられた。誰かの代わりを務められるほど、健気な女ではいられないとな」

定期的に行っていた調査、もといデートを終わりにしたいのだと切り出されたらしい。その話から瞬時に思い当たったことは、一番用心していた内容だった。

「……まさか船を下りると言い出したのか?」
「いいや、彼女はこれからも此処に留まる。下りる意思はないと言っていたよ。恋に破れたからといって、何もかもを投げだす様なやわな女ではないだろう」
「…………」

だがなぜあんなことを言い出したのかが気になるのだと、テゾーロの目が此方を探る。大方の予想などとうについているのだろうが。

「君の、最愛の人に似ているのだと答えた。確信をもって訊かれてしまったからな。彼女は元々感付いていたみたいだ、君と初めて会ったあの日から」
「……そうか……」
「…………バカラをバカラとして見ることは、どうしても叶わないのか」

言いながら、心臓の周辺がぐっと縮む感覚がする。苦痛なのだとわかった。本心と逆のことを述べている。

「バカラはわたしにとって大切な存在だ。部下としてだがな」
「…………」

ほっとしてしまっている自分がいることに頭が痛くなった。全て自分から始めたことだというのに、失敗してこんなにも歓喜している。滑稽だ。そしてここ数日の煩悶の末、ステラに対する複雑な思いにも気がついてしまった。
――――嫉妬、憎しみ、感謝。
彼のこころに居座り続けることへの嫉妬。彼を憎悪の世界に捕らえ続けることへの憎しみ。それから、彼が君を想い続けることで、この先誰とも結ばれることはないだろうというほの暗い安心感への感謝。

オーロはテゾーロの野望を叶えてやることが贖罪になる様な気がしていた。友としての最善を尽くさず、絶望に至らしめてしまったことへの罪滅ぼしになるだろう、と――。けれど自らの欲の根源がはっきりしたことで、この立場に充足感を得ているという事実に気がついた。贖罪なんていうのは、テゾーロの傍に居続ける為に掲げた都合のいい理由に過ぎないのかもしれない。
この黄金の都から出なければ、テゾーロはいつまでも独りで、オーロはいつまでも近くで彼を見つめ続けていられる。片想いしか許されない者にとっては最高の環境といえた。

……それでも最後に浮かんでくる光景は、望む思いの先にいるのは――――楽しそうに歌う、あのテゾーロの姿なのだ。

「テゾーロ」

物思いに耽る横顔へ呼びかける。

「もう、船を下りよう」

今度こそ殺されてしまうかもしれないが。だとしても、


「君は……此処から離れるべきだ」



愛する者の手で殺されるなら、俺の人生としてはハッピーエンドだ。


  
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