何も言わないクザンと訊けない副官 


「どこへ向かわれる気ですか」



「……あららら、さすがナナシくん」

ニワトリも鳴かない未明。
人気の無い海岸線にたったの二人。


――――時期元帥の座を巡り、赤犬と青雉による決闘の火蓋が切られたのが半月前。
パンクハザードで行われた二人だけの闘いは熾烈を極め、十日に及ぶ闘いの後、軍配は赤犬に上がった。青雉は負けた。だが死にはしなかった。赤犬が情けを掛けたからだ。

青雉が軍を退く気でいると知ったのは、彼が昏睡状態から目を覚ました日の夕方のこと。病室に入る手前で、見舞いに来ていたセンゴクとの会話を聞いてしまった。
その日、青雉はセンゴク以外にその話をすることはなかった。
何も知らない風を装って病室へ入り、いつ話してくれるのだろうと待ち構えていたが、結局触れられないまま。去り際に蹴りの一発でも見舞わせてやりたかったが、当の本人は片足を失い、全身ボロボロになってベッドに横たわっているのだからそうもいかない。

一旦家へ帰り、すぐにまた病院へ戻った。病室の入口と窓の外に監視カメラを設置するためだ。やましいことこの上ない行為だったが、長年彼の副官として培ってきた勘がこうするべきだと訴えた。
そのカメラの映像に、今朝、見覚えのあるひとつの人影が横切った。まだ歩き回ってはならない容体の筈なのに。

そうして現在、波打ち際での対峙と相成り――――。


「じゃあ、まァ……そういう事で」
「じゃあでもまァでも無いだろ大将」

呆れ半分、怒り半分に言えば「細かいこたァ気にすんな」とあしらわれる。
サングラスの奥にある目と視線が合わなくてイライラする。腕を組み、指先で忙しなく二の腕を叩くが、苛立ちが緩和されるわけもなく。
ずっと一点を睨み続けていれば、首を反らして見上げた先にある厚い唇が僅かに緩む気配がした。

「それに、おれはもう大将なんかじゃないし、お前の上司でもない。そうだろ、ナナシ中尉」
「……ああ。そうだな」

正義を背負わなくなった彼の風貌は、さながら孤独を愛する旅人だ。いや、これから現実になるものだろう。
どこか張りも、気怠ささえもすり減った空気を纏って、自転車とカバン一つで軍を去ろうとする。その男がこちらの頬を大きな手の平で包み込むように、そっと触れてきた。鼻をくすぐる薬剤と包帯の匂い。

じっと瞳を覗きこんでくる。
ようやく目が合った。

「なァ、今からでも一緒に来ない?」
「断る」
「即答しないでよ恋人なのに……」
「それも今日で切れる縁だ」
「あらら、さすがのおれでもそりゃ傷付くよ?」
「傷を負うのが自分だけと思うな」

目を細めて見上げれば、何がおかしいのか、男の笑みが先程よりも濃くなった。その反応が気に食わなくて目を眇める。

「こうしてわたし自ら出向かなければ黙って去ろうとしていたくせに、よくもぬけぬけと言えたもんだな……」
「顔を見ると気持ちが揺らぎかねないから会わないで行こうとしたの。ま、追ってきてくれたのは嬉しい誤算だったわけだけど。……引き止めに来たのか?」
「そうだと言ったら」
「喜ぶ」

でも――――、

「おれは戻らない」

それは予想していた通りの結果のはずだった。

「……そうか」

予想通りでありながら、つまらない相槌しか打てなかった。意味のある言葉を用意していなかった。別の選択を期待してしまっていた証しなのかもしれない。
自嘲気味になりながら視線を僅かに落としていると、ふと頭上から溜め息が聞こえてきた。

「ったく、その顔は卑怯なんじゃない?」

卑怯?
どんな顔だと問い質す前に、青雉の長いゆびの背が頬の上を優しく滑り、親指がゆっくりと下唇をなぞる。
甘い愛撫にキスでもしてくるのかと構えたが、予想は外れた。手を離した男は静かに背を向け、停めてある自転車の許まで歩いていく。別に。決して。断じて期待していたわけではない。

「クザン」

自転車に跨がった男が首を捻ってこちらを向いた。彼の足がペダルを踏み、体重をかけて海へこぎ出せば、もう、さよならだ。

「わたしは、おまえが好きだ」
「……どうしちゃったのー、普段そんな素直に言ってくれたこと無かったのに」
「だからこそもし、おまえが今後我々海軍の前に立ちはだかる事があったなら。その時は必ずわたしが――――この手で、おまえを殺す。それが、わたしなりの愛だ」

はっきりと告げた宣言は、思っていたよりも無機質な声となった。顔の筋肉も動かなかった。愛などと苦手な言葉を発した割りに、羞恥の熱も沸いてこない。

なのに彼は「熱烈だ」とだけ呟いて顔を逸らす。

何故こんな話をしたのかと尋ねてこない背中は、胸に燻るいやな予感を膨らませる。多くを語らない彼が何を決意し、覚悟しているのか、恐ろしくはあるが知っておきたかった。
けれど別れ際に零した男の言葉に、もう何も紡ぎ出せなくなった。


「おれも……お前を、愛してたよ」





海に一本の氷道が現れて、大男を乗せた一台の自転車がゆっくりと辿っていく。逞しいあの背中は振り返らない。
影が水平線の向こうに消えるまで見送ったつもりだったが、視界がひどく滲んでいた所為でいつ見えなくなったのかは分からなかった。


(どうか次に会う場所が、相対する戦乱の地でないことを――――)


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