白日夢 これのつづき



「キリンじゃキリン!ほれ、キリンを見に行くぞ!」

モコモコの白いハットに白い服、そして鼻の長い男。なぜ、俺は、裏切り者と動物園にいるのか……?


──────休めるときに休んどけ。
と言ってきたのは、副社長になったパウリーだった。巨大アクア・ラグナによる甚大な被害を受けたウォーターセブン──。同じ日に『一騒動』あったガレーラカンパニーが、傷を補いながらもどうにか新しい日常を築きあげ、町全体が落ち着きを取りもどしてきた頃。突然、「お前、休暇取ってねェだろ」とまとまった休みを与えられてしまった。ほんとうは休みなんか要らなかった。なにかをしていた方が余計なことを考えずに済むから。一度は断ったものの、承諾はしてもらえず。それで、ずいぶんと困ってしまって……。結局家でじっともしていられず、財布だけを持って家を飛び出し、気がつけば船をいくつか乗り継いで知らない町へとやってきていた。

無目的の人間がたどり着いた先は、海沿いの遊歩道だった。手すりに凭れて、港を眺めつづける。正確にいえば『船』を見ていた。デザインや細部のつくりに目がいってはケチをつけてしまう。職業病だ。誰かさんともよく見に行ったな、なんて。こんな遠くの地まで来ておいて忘れたいはずの顔が思い浮かんでくるのだから、やっぱり休暇なんてものはなくてよかったとしみじみ思う。


『今さらなにを言うたところで、信じてもらえんじゃろうがのう……わしはほんとうに好きだったんじゃ。────ナナシ、お前のことがのう』


「────うがあ!」

あれやこれやが頭の中をぐるぐると巡り、心がかき乱され頭をかかえた。こうも煩わされるのは、仲間だと思っていた人間に手酷く裏切られたからだけではない。まちがいなく、衝撃の告白の所為だった。言い逃げは卑怯だ、とか。返事ができていたとしてどう返していただろうか、とか。というかあれはほんとうのほんとうに本人だったんだろうか、幻なんじゃないか、だとしたら俺の深層心理はどうなってんだ──なんて、自らを疑いだす始末。そしてその答えはおそらく、この先もう一生得ることはできなくて。だったら早く記憶の彼方に追いやられてほしいと願うばかりだった。

「ふゥ……──?」

溜息を吐いたとき、ふと、誰かが俺と同じ様に手すりに凭れた。誰が訪れてもおかしくはない公共の場とはいえ、広いスペースの中でわりと近い距離に気配がやってきたので、自然と目が隣を確認しようとする。──けど、できなかった。顔をわずかに斜めへ向けたところで、視界の端に既視感あるシルエットが見えた気がして。横顔の真ん中あたりにあったそれは、鼻の様であったが、分かってはならない気がして。反射的にびたりと止まっていた。前を向いているのに、俺の目は景色を見ていない。

「────今、入ってきた船」

ちいさな痺れがうなじに走った。知っている声に、よく似ている。その声が、食料の貨物船へ視線を誘導した。

「おそらく、武器の密輸船じゃのう。船底が沈みすぎとる。荷物が重すぎる上、装甲が厚いことまでバレバレじゃ」
「………………」

心臓のあたりに湧いた熱は怒りによるものか、それとも別のなにかによるものか。俯いて目を閉じたって、いるものは、いる。もはや疑う余地はなかった。おしゃべりを聞き届けた俺は──────。


右ストレートを繰り出した。


「おっと!──わはは、迷わず鼻をへし折ってこようとするとは、さすがじゃな」
「……何の用だ、知らない人」
「知らない人をいきなり殴りつけるのか?それは感心せんのう」
「黙れ、クソ!」

拳をてのひらで受け止めたまま放そうとしないそいつは、四角ばった長鼻のそいつは────カク。親友、だった男。

「珍しい場所で会うもんじゃのう……。こんな所まで仕事に来たとも思えん。ということは、オフか?」
「……」
「だったら構わんじゃろう、休戦でも。仕事とプライベートは分けるもんじゃ」
「仕事だろうと、プライベートだろうと、お前は裏切り者≠セ!」

勢いよく手をふりはらい、距離を取りながらちらりとカクの服を見下ろす。きれいな服だった。ウォーターセブンにいたときよりもシックな雰囲気で、大工仕事をするにはまったくもって向いていない。似合わない、装い。

「……職には就いてる様だな」
「ん?」
「セント・ポプラの噂≠聞いた……。エニエス・ロビーが崩壊したあたりの頃、男女数人のおかしな流れ者が現れて、海賊を血祭りにあげて……海軍≠ェ、その跡を追っていったって。……もしかして、お前らが、追われる立場にでもなったんじゃないかと……」
「あァ、そんなこともあったのう」
「────」
「一時は色々あったが、今は無事に復帰できとるわい。そんなことより……それを知っておったなら、無事で良かった≠フ一言くらいほしかったのう」
「…………あァ……無事で良かった……」
「お?」
「────落とし前をつけさせるチャンスができた」
「なんじゃ。ひどい奴め」
「どっちがだ──!」

思わず語気が強まり視線があがった。──途端に、言葉に詰まり、神経が落ち着かなくなる。隣に立っていたのは、微笑ってまっすぐに見つめてくるカクだった。そこには敵意も、暗鬱とした曇りもない。表情や服の白さも相まって、青空と海の背景がよく似合う清冽な印象があった。

「……っ、なんだよ」

黙ったまま目を逸らさないカクに眉を顰めれば、頬杖をついていた相手はしばらくの間を置いたあと、いつもと変わらない調子で──────……。


「ナナシ、デートせんか?」

「……は?」


脈絡のないことを言い出した。

「そういえば、近くに気になる動物園があるんじゃった」
「い、いや、待て待て待て!」

返事する前に手首をつかまれ、歩きだされてしまう。思わず体をのけ反らせ、足にぐっと力を入れてブレーキをかけた。

「なんでそうなる!?」
「前に言うたじゃろう?わしはナナシが好きなんじゃ」
「す……!」
「デートにくらい誘うわい。どうせ予定も何もなかったんじゃろう、ぼーっと船ばかり見つめおって。だったらわしが暇潰しに付き合うてやるわい」
「い、いらない!」
「キリンは居るかの〜?」
「話聞け!」



──────子供の様に笑うカクを見るのは、ひさしぶりで。
気抜けする自分と、叱咤する自分が頭の中でせめぎ合い、大混乱をひき起こして。いつしか双方、沈黙してしまった。



……はじめて入る動物園。中は思った以上に広く、いろんなエリアがあり、さまざまな動物がいた。カクに引っ張られながら、網羅をめざしてひたすらに突き進む。ヒョウ、オオカミ、ライオン、フクロウ、パンダ、羊、ウシ────。(ウシ?)

「──うっ」

キリンに近づけるという高台にいたら、顔を舐められてしまった。

「ナナシはキリンに好かれる運命なんじゃのう」
「……なんだよ、その運命」

そうして気づけば一周達成。今は休憩所にある木陰のベンチで、二人揃ってソフトクリームを持ちながら、親しい距離感で並んで座っていた。一息つける様になって、頭を埋め尽くすのは今さらな一言。
────どうしてこうなった?

「外で食べるソフトクリームは格別おいしいと思わんか?」
「…………」
「わしは好きじゃ」
「、」

好き≠ニいう言葉に反応して、肩が揺れてしまった。カクはばくばくとアイスを食べつづける。
──そうだった。今は、もう一生得られないと思っていた答えが聞けるチャンスなんだ、と思い至って。唾をのみこみ、意を決し。ずっと触れていなかった『あの日』の話を切り出した。

「……お前が、ガレーラをクビになったあと……」
「あれはこっちから辞めたんじゃ」
「クビになったあと」
「…………」
「俺の家に、来たか……?」
「? なんじゃ、夢だとでも思うておったんか」

傷つくのう、危険を冒して会いに行ったのに。なんて、まったく傷ついてない口振りでぶうたれ、コーンに突入するカク。俺のアイスはまだ一口も齧られないまま、角が丸みを帯びはじめていた。

「お前が言った好き≠チてのは……友達としての好き=Aだよな……?」
「──…………さすがはナナシじゃのう」

食べるのをやめ、固い声を出したカクは、全然褒めている調子じゃなかった。

「意味深に言い残していったはずじゃし。きょうの二度目に至っては、面と向かってストレートに伝えたというのに……。──あんまりかまととぶっておると、此処でキスするぞ」
「!?」
「冗談じゃ。……じゃがその反応は、期待してよいのかのう?」

耳まで真っ赤じゃぞ。と、揶揄ってくるカク。白い歯をこぼれる様に見せて笑う顔を眺めていると、懐かしさと、胸が締めつけられる様な思いが去来する。

──『あの日』のあと、カクの部屋へ行った。マイカップなんて物まで置かれることになった行き慣れた部屋。でもそこには、なにもなかった。もうなにも。まるで最初から誰もいなかったみたいにきれいさっぱりで、乾燥しきっていて。知っている間取りと窓の景色のはずなのに、すべてが、偽物じみて見えた。
あのときのぽっかり感を思い出す。


「……ほんとうに……、ムカつくなァ、お前は……!」

憎まれ口で返すこともできず。俯いて、込み上げてきた怒りを吐露していた。

「居なくなるんなら居なくなるで……ひとの心ン中、掻き回してかねーでくんねェかなァ……!」
「………………」

しおらしい返事が寄越されるなどとは毛ほども考えていなかった。けど、それにしたって、次の言葉はあんまりだった。

「──……攫ってしまおうかのう」

……ぽつりと聞こえてきた声に、もう目を合わせるつもりなどなかったというのに、じとりと睨んでしまった。茶化されたと思ったのだ。けどカクは、冗談なのか判別のつきがたい真顔で、まだつづける。

「部屋に閉じ込めて、外から鍵を掛けて、ナナシの居場所を知っとるのはわしだけにするんじゃ」
「……………………」
「不自由はさせん!すこしばかりインドア生活にはなるが、わしと一緒なら外出もありじゃ」
「何言ってんだ、お前……」

返事はなかった。瞬きしない真ん丸なふたつの眼が、急に恐ろしく思えてくる。なんの疑念も抱いていない双眸。不意に、全身から冷たい汗がにじみだした。我慢ならず目を逸らしてしまったとき、その行為は肉食獣に背中を向けて走りだす様な危険なものではないか?と、背筋が凍りついて。
とっさに足に力を込めた。

────……瞬間、「でも」と、緊張を解く声がひびいてくる。

「やっぱり、やめておくかのう……。どうしても予定のさだまらん仕事じゃ、長期間離れることだってざらにある。面倒も見きれんのに、命を預かるというのは、無責任というもんじゃろ」
「……俺は、犬猫じゃねェぞ……」
「何を言うとる!当然じゃ、ナナシはわしの特別≠カゃからな!」

こんなにもおおきな戸惑いのつき纏う特別≠送られたことはない。ただ──。たとえ歪んでいたとしても、そこにはたしかに性別などという常識を越えた好意があったのだと確信できて。だからこそ、あの日できなかった『もうひとつ』を、実行しなければならないと思った。

ちゃんと────返事をしなければ。

「もし。俺の中にも、カクに対して友達とはちがう特別≠ェあったとして……」
「…………」

耳を澄まされている。一音も漏らさない様に。

「俺が好きだったそいつは────しんだ≠だ」
「…………………………………………」

ペンギンの風船をもった子供達が、甲高い声をあげながらハシャぎまわっている。遠くからは動物たちの声。催し物のアナウンスが辺り一帯に流れ、いくらかの人々がおなじ方角へ歩みだした。本日の天気は、良好だ。

「…………わしは、────」
「いなくなったんだよ。もう」
「……………………」

言葉にして直接伝えると、けっこう意思って固まるもんだ。反発ではなく、決別する為に、まっすぐに隣の男を見据えた。


「俺はお前を、赦すことはできない」


カクは、すこしばかり見つめ返してきたあと、静かに首を正位置にもどして。「……そうか」とだけ呟いた。

「最後にひとつ……いいかのう」
「……なんだ?」

夏の終わりでも訪れたかの様なさみしさがただよう中、カクは正面を向いたまま、ゆっくりと口をひらき──────。



「ソフトクリーム、溶けとるぞ」



「…………え……あ?うわ!」

なぜ今まで気づかなかったのか。液体となったものがコーンからあふれ、指を通り越し、服にまで垂れてしまっている。ソフトクリームをにぎる手を体から離し服の被害状況を確認していると──不意に、その手をなでられる感触があった。ついと目を向ければ、なにやら舌なめずりをしている長鼻の男。

「……おい、今お前、舐めなかったか?」
「わはは」
「バッ──!?」
「ニラ味」
「フザけんな!」

ちいさくなったソフトクリームを一気に口へ放り込み、数メートル先の水飲み場に目を留めた。カクには何も言わず、というより声を発せられる状態になかったので、一直線に蛇口へと向かう。

「ナナシは隙だらけじゃのう〜」

うるさい、とすぐに返せないのがもどかしい。背後からの声を受けながら、ベタつきを洗い流していった。


「これからは、気をつけるんじゃぞ」


──なにが気をつけろだ。隙だらけだ!心の中で怒鳴ったとき、「すき」の字が別の意味に変換されてしまい、煩悩を拭い去る様にゴシゴシと力を込めて洗う。さっぱりした頃には、口の中のものも完食できていた。

「おい!俺はもう帰っ──」



──────……振り向いたとき、ベンチにはもう、誰もいなかった。風が通りすぎて、木漏れ日がゆれる。そのとり残された様な寂寥感は、からっぽの部屋を目の当たりにしたときと、重なった。

「…………帰る≠ュらい、こっちから言わせろってんだ……バカ野郎」


亡霊らしくさっさと成仏しろ、そして二度と現れるな。────その願いが、本心からのものだったかは、自分でもよく分からなかった。


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